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「大丈夫?」と聞かれてすぐに話せるわけじゃない。何気ない会話ができてこそ、話せることがある。聞いてほしいことがある。

一般高校に聴こえない私が入学した頃から、私はよく周囲に「大丈夫?」と声を掛けられるようになった。
私の聴力障害は重度であり、聞き取りはまったくできない。発音も不明瞭。そんな女の子が、一般高校のなかでどうやって学ぶのか周囲の大人たちは、想像もつかず心配にもなったのだろう。

ある日、教育実習の先生がきた。
教育実習の先生は、休み時間にも教室にいて積極的に生徒と会話をしていた。私がいつも一緒に過ごしていた級友とも話をし、私にも「何か授業上で配慮してほしいことはない?」と聞いてきた。
私は声を出さないまま「希望はありません」という意味をこめて、首を振った。

それが先生には信じられなかったのだろう、するとその先生は「本当に?大丈夫?」と聞いてきた。
私は「本当に大丈夫です」という意味をこめて、数回うなずいた。

すると先生は、黒板に、質問を板書してきた。
私はかっとなった。板書でもされたら、教室中のみんなが見るではないか。なんてことをしてくれた。
私はこの会話を一瞬でも早く終わらせてこの場から逃げ出したい気持ちになった。
私はついに声を出して、大丈夫です、と言った。1,2歩後ろに下がったかもしれない。
休み時間は終わり、会話はそれきりになった。

私はそんなふうに、大丈夫と聞かれたときは、いつも、大丈夫だと返していた。なぜか。

第一に、自分の要望を伝えることは「迷惑」にしかならない、と思っていた。
「情報保障」や「合理的配慮」という言葉さえない時代のことである。
高校入学試験を受け入学したとはいえ、自分は、一般高校に入れてもらった立場だという意識が抜きがたくあった。だから、自分が学校側に感謝こそすれ、配慮を求めるなど論外だと思っていた。それは「配慮」ではなく「迷惑」だと思っていた。
入学したばかりの頃こそ、私自身、どんな学び方があるのか情報を知らず、自分のニーズも整理できていなかったが、次第に、おぼろげながらも、自分が必要とするニーズが形をおびはじめた。しかし、それは言っても検討してもらえないだろう、徒労に終わることだろうと思っていた。

第二に、安心してコミュニケーションをとれる関係ではない、と私は感じていた。
その「大丈夫?」からして、必要以上に、ゆっくりぎこちない口調のときで話しかけられるときもあったし、筆談で聞かれることもあった。
相手は私を心配してくれているのだろうが、私はこの人には何も相談できない、と感じた。
相談にまで、自分の不明瞭な発音で頑張って話さなければならない、文字で書かなければならない、なんて考えられなかった。

ゆっくりすぎる口調で話しかけられると、自分がバカにされているような気持ちになった。当時私は手話を知らなかったが、聾学校先生や聾の友達同士で話し合うような読話をしやすい話し方であれば、まだ話せるのに、と思った。また、相手が、聾の独特の声に慣れているのか慣れていないのかはすぐに分かった。慣れていないと感じた相手には、声を出したくなかった。
また筆談で聞かれると、つい心のなかで笑い出してしまうこともあった。なぜなら、あなた自身が私と同じような立場なら筆談で相談ができるのか?と問い返したいような気持ちになったからである。

何より、自分との関係が薄い相手に、自分の思っていること、考えていることを話すのは、自分のなかではあまりにも突然すぎることだった。よく知らない人の前で、衣服を脱いで裸になるような気恥しさも感じた。

私は「大丈夫」という言葉が嫌いになっていった。
これほど漠然で、便利で、無責任な言葉もない、と思ったからだ。

大丈夫?と聞かれるたびに、それはあなたが安心したいだけだろうと思った。私が何かお願いをしたとしても、あなたは本当にそれをやってくれるのかと思った。それができないくせに、軽々しく、大丈夫?と聞かないでほしいとも思った。

そんなふうに、私は、私なりに色々考えていたつもりだった。しかし、それを表出するとなると、どうしても短い言葉、ジェスチャーになった。教育実習の先生に、首振りとうなずきだけで答えたように。
今思えば、周囲の大人たちは、私を「何も考えていないような子」とみていたかもしれない。

高校を卒業してからおよそ10年。私は、大学の事務職員になった。
障害をもつ学生の学習環境を保障し、支援する部署である。
「学ぶ権利は大学側が責任をもって保障します」という考えのもと設立された部署である。

私が高校を卒業した頃は、障害をもつ学生は「入学したあとは、自助努力で勉強してください」という時代だったのに。
時代は変わるものだ。
障害をもつ学生の学習環境の保障をする職業なんて、私が高校生のときには考えられなかった。自分がその仕事につくなんてことも。

私がその部署に入るまで、職員は聴者しかいなかった。
私がその部署に入ったことで、聴者職員同士でも手話で話す環境が生まれた。

途中で、今の話、何?と聞かなくてもいい環境。
途中からでも、話に入れる環境。

ここはあなたの場所だよ、いつ来てもいいよ。

目と目を合わせ、お互いの顔をみて、何気ない会話を重ねていく。
他愛もないことを語り合う。
そんな日々の積み重ねの先をいったところに、ようやく話せることがある。
聞いてほしいことがある。

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