耳の聞こえない私が、脳内の辞書を編むということ。「しゅくだい」を編み込んだ入学式の日。

私は、生まれつきの聴力障害者である。聾学校幼稚部(聾学校内にある幼稚園)に通い、卒業。そして、同校内にある小学部に進学。

小学部入学式の日。帰宅したのちに、母に聞かれた。
「****は出たの?」
手話も何もなく、口だけで言われた。家族や聾学校先生たちとは、口をはっきりあけてゆっくりと会話をしていた。しかし、このときは母に何を言われたのか分からなかった。分からないままに、あいまいにうなずいていたが、母はなおも聞いてくる。うなずくだけではスルーできない、何かを聞かれているようだ。何度か聞かれたが私は何も答えられなかった。母はうんざりした様子でようやく紙に書いた。
「しゅくだい」

「しゅくだい」という言葉を私は知らなかった。初めて聞く言葉だった。
口を読むということは、口形の並びの羅列から、知っている単語と照合し類推することなのだ。例として、「OAOU」と朝言われたとしたらそれは「おはよう」と類推してほぼ間違いない。頭の中に辞書があり、口形と文脈等から辞書を引いて単語をあてていく。そこに耳を使う作業はまったくない。よって初めて知る言葉は、辞書に未記載ということであり、口をどれだけ読んでも分からない。

私との会話が、埒があかないので母は同級生の家に電話をかけたようだ。幼稚部を一緒にすごした同級生がそのまま小学部に進級したので、入学式前からみな知っている仲だ。もちろんその親も知っている。電話の結果、「しゅくだい」は出たらしいことが分かった。その宿題とは、「学校から家までの地図を描きなさい」であった。
母からその話を聞き、私は2つの理由で驚いた。

1つめ、同級生は、「宿題」の意味を理解している。同級生はみな聾学校幼稚部3年間を一緒に過ごした仲である。小学部に入学する前の幼稚部時代は「宿題」は出されなかったし、その言葉も聞くことはなかった。「宿題」という言葉をいつどこで聞いたの!?なぜ知ってるの!?と不思議に思った。

2つめ、宿題が出されていたことを私は知らなかった。先生は言ったかもしれないが、私には伝わっていなかった。もしかすると、先生の口を読み取れなかったが、読み取れないままにやりすごした可能性もある。最初の話始めを見逃すと途端にそれ以降も全部分からなくなってしまう。とにかく、私だけが理解できていなかった。

当時は、分からないと聞き返すことはとてもできなかった。なぜなら、分からないと言おうものなら「なぜ分からないの!?」「口を見ればわかるでしょ!?」「ちゃんと聞きなさい(見なさい)」と怒鳴られ時にはビンタされることもあったからである。しかし、当然ながら口を読むことには限界がある。

母の電話確認を経て、私は「宿題」の内容は分かった。しかし、宿題の意味については概念はあいまいなままだった。地図を描くこと自体が宿題そのものではないようだが・・・?とはうっすら気づいていたが。「ちゃんと先生の話を聞かなかった」ことを母にひどく怒られたあとだったため、宿題の意味については確認できないままだった。
入学式翌日から、紙のプリントが宿題として出た。そんな日が数日続き、私は経験と重ねて「宿題」の意味をしっかり理解した。

私にとって、言葉とは「気が付いたら理解していた」ものではない。
物を所有する感覚で、この物はいつどこで買ったものだ、これは誰からもらったものだ、というような記憶をその言葉に内包している。


言葉を「所有」していく記憶で、一番古いのが「しゅくだい」である。古く、かつ、苦い。

「しゅくだい」のように、その言葉との”初めての出会い”を覚えている単語がいくつかある。「絶体絶命」なら江戸川乱歩の少年探偵団、「待ちに待った」なら運動会後の作文でというふうに。
そうして私は脳内の日本語辞書を編み、改訂していった。
私の脳内の日本語辞書は、だいぶ語彙が増え厚くなった。そして日本手話の辞書も編んだ。
日本語辞書には日本手話の索引を作り、日本手話の辞書にも日本語索引を作った。

あれから30数年経った今も、わたしは辞書を編みつづけている。
たぶんわたしは辞書を編むのが好きなのだ。異なる言語の辞書を行き来することも。

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