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てるてる坊主は何者か

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てるてる坊主とは何者なのか。これまでの研究史やわたしなりの見解を並べた試行錯誤。
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人形送りのなかのてるてる坊主【てるてる坊主考note#34】

はじめに  民俗学者・柳田国男(1875-1962)がのこした膨大な著作のなかで、てるてる坊主に…

天気コントロールの生け贄【てるてる坊主考note#33】

はじめに  供犠論をめぐる、民俗学者・赤坂憲雄(1953-)の言葉です[赤坂2013:42頁]。人…

穢れを負わされるモノたち【てるてるmemo#12】

 『日本書紀』に大王である天武(天武天皇。?-686)が「大解除」をおこなったことが記録され…

天気専用ヒトガタの誕生【てるてる坊主考note#29】

1、江戸時代の平面的てるてる坊主  てるてる坊主はいつごろからあるのか、確かなことはわか…

身代わりとしてのてるてる坊主【てるてる坊主考note#28】

はじめに  説教節や絵巻あるいは歌舞伎など、多様なかたちでこんにちまで伝えられてきた、小…

銭をもらう「てれてれ坊主」【てるてるmemo#9】

はじめに  明治18年(1885)に『古今百風 吾妻余波』と題された書物が出版されました。作者…

「てるてる坊主=形代」説・再考【てるてる坊主考note#27】

はじめに  寛政元年(1789)に蝦夷(現在の北海道)を旅した菅江真澄(1754~1829)は、旅の記録を『蝦夷喧辞弁』と題してのこしています。そのなかに、旅の途中で目にしためずらしいてるてる坊主について記しています(傍点筆者)[内田武志・宮本1971:41頁]。  前日から降り続く雨のなか、子どもが紙で「てろてろぼうづ」を作っています。頭から縦に真っ二つに切り、そのひとつひとつに糸を付け、木の枝に逆さまに吊るすという作法がつづられています。  注目したいのは、菅江真澄

太陽とてるてる坊主のあいだ 【てるてる坊主の呼び名をめぐって #9】

はじめに かつて、わらべうたに登場するてるてる坊主に注目してみたことがあります。その結果…

雛としてのてるてる坊主【てるてるmemo#6】

1、辞書のなかの「てり雛」  むかしの辞書でてるてる坊主について引いてみると、ときどき「…

太陽の破片 【てるてる坊主考note #2】

1、「天気祭の破片」 かつて、民俗学者の柳田国男(1875-1962)は、てるてる坊主を「天気祭の…

形代なのか本当か 【てるてる坊主考note #1】

はじめに みんな誰もが知っている存在であるてるてる坊主。その正体が何者であるかをめぐって…