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4.今を輝く少女たちに出会う日々-マー子との時間

 この話はフィクションです



 国道246号を南下していくスポーツカーの車内から覗く地元の街には人影が少ないものだから、彼女が取り替えたスポーツマフラーの重低音が一層鳴り響くような気がした。「ああ、まだローンが残ってるんよ、三年もね」と漏らしたマー子の表情はそのヘビーな事実とは正反対過ぎて、私も釣られて、(全く、変わってないのね)と呆れ気味の笑みを浮かべることになった。
 午前一時半。小さめな音量のユーロビートが響く車内。窓に頭を預けて、通りのハンバーガーショップの明かりに照らされながら、私は不思議な今日一日に心地よい過労を感じていた。


 半年か一年ぶりに出会う人々。会社のせいで愛知に住処を移された私には長期休みのタイミングでしか出会えない人々がいるのだ。私にとってはたった一年、大した変化を起こせないはずのその時間に、人々は何故だか強烈なまでの変化が訪れている。だから毎度、誰かと会う約束をする際には、自分が相手に遠く置いて行かれていないか、いつも緊張する羽目になる。
 そんな私だからこそ、地元の神奈川へと足を運んだ時、誰よりも初めにマー子と会うのは必然だった。彼女はずっと、きっと、一番変化が少ない少女だから。

 出迎えてくれた駅の改札からも彼女の愛車のマフラーの低いアイドルが耳へ届くし、相変わらず車内は物置のように乱雑だ。「ほら、ぬいぐるみを抱きしめたいときも大丈夫!」と後部座席に放り投げられていたカエルに頬を寄せる姿は大学時代から変わっていない。いつでも馬鹿みたいに元気で……それでいてちょこっと繊細な彼女は、私みたいな日陰で生きる子にも平等に光を与えようと手を引っ張ってくれるから。

 「私の彼氏……あ、新しい方ね。あの元彼のゴミクズじゃないよ。アイツにマコのこと紹介してもいい?」
 「別にいいけど、急に押しかけて迷惑じゃないの?」
 「あはは、いいんだって、大丈夫大丈夫。マコのことはよく話してるしさ。買い物が終わった後に落ちあおうよ」
 サングラスを掛け、ブリッピングと共に2速へ繋ぎ、ハンドルを傾けるマー子の前髪が揺れていた。前よりも濃くなった茶髪に緩く巻いた髪先。少し乱れたミディアムボブは大学時代の彼女よりも少しだけ大人に見えた。もしかしたら、去年はつけていなかったキラキラ光る銀のピアスのせいなのかもしれないけれども。

 「でも1年ぶりだよね、マコ!去年の冬は何してたっけ?」
 「ええ、確かに。いろいろ都合が合わなかったものね。私が体調崩して首都高に行く約束を破っちゃったのよね。悪かったわ」
 「なら今年の冬に一緒に走ろうよ、C1周回してさ。付いてこれるぅ?」
 「馬鹿。アンタの改造車に追い付ける奴なんていないわよ。せいぜい、私のバイクなら初速で並べる程度よ。後はアンタに引き離されていく一方よ」
 「えー?バイクならワンチャンいけるんじゃん?それとも湾岸線……」
 「それは無理。あのバイク180さえ出ないもん。それに捕まったら私、クビだもん」
 「大手企業様はコンプラ厳しいねぇ。うちに来る?やらかしても笑い話ですむしさ!」
 「いよいよクビになったらね。アンタと仕事するのは楽しそうだし」
 ほんの少し照れたのか、うひひ、と変な笑い方を上げたマー子はテーブルのだし茶漬けの中身をレンゲで回し続けている。ロゴの入ったラフな白シャツから視線を上げても、その目元に影は落ちていないようだ。だから、私の心配は無用の様だ。……そんなところにも時の流れというものを感じてしまう私は、ここで私が会計を持つ理由を引き出すことにした。
 「大変だったんでしょ」
 「ん?仕事は一応ね。あ、でも後輩が客先で自動ドアと間違えて避難用の緊急ドアをブチ開けた時はマジでヤバかったけど」
 「違うわよ。他の女に寝取られたんでしょ、彼氏をさ」
 「んー?まあね。あ!でも色々ウケる話はあるよ!あの短小、起業したいんだってさ!ローンや税金滞納してんのにさ!ウケるでしょ、そんな金あるなら潰した私の車の修理費返せよっての!」
 「どの銀行が貸してくれるのって話よね。そんなの。それに、私、マー子が彼氏の話をするたびに何で別れないんだろうって思っててさ」
 「それは私も思ってる。何でさっさと別れなかったんだろ?あんな地雷物件さ。今となってはありえないって。それに寝取ったクソ女、見てみこれ」
 示されたスマートフォンにはお世辞にも美人だとは言えない地味な女が映されている。人のことをとやかく言えない私でさえも、マー子の方がずっと素敵だと断言できる程、一目で魅力に欠けている子だった。
 「ざけんな、って話だよ。マジでさ」
 「ありえないわね」
 「本当に自信を失ったんよね。私、駄目なんかな?って」
 「意識が下半身に向いている獣は死んだ豚とでもデキるらしいわよ。だから、アンタは寧ろそんな馬鹿男と縁が切れて良かったわね」
 「んふふ、確かにー。今の方が断然幸せだもんー。無職二人、そのまま泥船で社会の底へと沈んでいけ、っての!」
 グラスの水をぐっと飲み干して自信満々な表情を作ったマー子に、私はため息をついてから向こう側に置かれていた伝票を盗んだ。慌てて財布を取り出すマー子に「これはアンタのお祝い代。次からは割り勘だから」とバーバリーの財布を振ると、やっぱり彼女は百点の笑顔を私にくれるのだ。

 男物のシャツをごそごそといじりながら「これ、オーバーサイズすぎる?」と首を傾げるマー子に適当な相槌を送りながら、私は彼女の変わらないところをじっと見つめていた。
 いつも適当で、ノリだけで生きているように見えて、彼女の内面は時折、美麗なガラス細工のように思える時があった。どうしてあんな男とさっさと別れなかったのか。それは、私が鏡の前でシャツを合わせてゆらゆらと小躍りするマー子を見つめていると、彼女はふと、私の瞳をそのまんまるな眼でしっかりと捉えてから「やっぱこれはいーや。肌触りがやだ。他の店行こ。マコはマイケル・コースが好きだったよね?」と15分も悩んだシャツをさっさと戻して私の手を掴むところにあるのだから。

 彼女は、誰かを見捨てられない。見捨てられないから、いつでも残酷に傷つけられていく。
 鼻歌混じりに足を上げ、本人曰く、限定品らしい泥だらけのスニーカーを見せびらかしていた。その姿は本当に楽しそうだ。そう、いつでも楽しそうだからこそ、皆、彼女の底を見誤ってしまうのだ。
 「私、幸せだよ。確かにあいつはドジだけどさ、いいとこもあるんだよ!抱きしめてもらって、撫でてもらって、私は……」と淀んだ瞳でビールを煽る姿を見せたとしても、彼女の中ではその言葉に嘘はないはずだった。けれども、まるで自分で発した言葉を無理に飲み込むかの如く居酒屋の壁を見つめて物思いに耽る姿を見れば、そうした男女の経験を持たないがゆえに人並みな言葉しか返せない私は自分自身に苛立ちを覚えていた。
 
 酒をあおらなければ尚更、明るく笑みを浮かべる彼女が現れる。だから、私はその表情の下に薄暗い感情を隠していないか心配することだってあるから。
 「マコー。腹痛いん?なんか暗いぞー。あ、わかった。さっきのジョーダン1がやっぱ欲しかったん?買っちゃえ買っちゃえ。逃したら次ないぞー」
 だから、私は時折不安になる。
 私だけが、彼女との時間を愉しんで、心を搾取しているんじゃないかって。
 「マコマコマコマコマコマコマコマコマコマコ!!!!!!」
 「ああ、うるさい!ちょっと考え事してただけ!おしりを触んないで!スカートが皺になるから」
 「え、皺にならないソフトタッチならいいの?」
 「ウザ、だっる。近いっての。あっちいけ。ほら、次はEdwin行くわよ。今度こそジーンズを買うって決めたもの。今年こそ、店員さんに照れずに試着をお願いして、裾上げしてもらうの!」
 「うひひ、そうこなくっちゃ!手ぶらでは帰らせないぞ!」
 嗚呼、右手を掲げて感情を思いっきり示すマー子に余計な感情を向ける余地はないのかもしれない。だって、多分……何にも考えてなさそうに見えるし、もしもそれで私みたいに感情を隠しているんなら、今すぐ客先商売なんてやめて女優を目指させたいとも思った。
 立ち並ぶお店のガラスに反射する私の表情は呆れ気味な笑み。私の胸中がそのまま自然に表れている気がした。左に寄せた一つ結びに慣れないコンタクトレンズ。白のブラウスと黒のロングスカート。マー子は、私に”変わった”とは言わなかったけれど、少しは大嫌いだった私からは変わることが出来たのかしら。
 いや、表層は変わっても、中身は全然変わってないな。いつでもどんなことでも不安が頭に浮かぶし、良い人に見られたくて自分を殺すし……マー子と過ごす時間はかったるくも案外悪くないって思えるし。
 遠くで彼女が私を呼んだ。周囲が見えずに自分の世界に入っていて、それを少し恥ずかしく思う私。大学時代から変わらない。変わらないから、私はマー子と一緒に居たいんだ。

 「んー、確かそこ曲がったところだと思うよ」
 「そこ?思いっきり住宅街ね」
 マクドナルドのハンバーガーを晩御飯代わりに口に押し込みながら、マー子は愛しい彼の場所へと車を飛ばしていた。予想では、私は、もう少しもじもじとした感情が芽生えて、目を逸らしながら「どうも……」と呟くオチかと思ったけれど、二度も掛かってきた通話から、どうにもノリがマー子にそっくりな男の子であることが分かった。少し高めの、思春期から抜け出せなかったみたいな声。……何となく、マー子とお似合いな姿が私の脳裏に映った。
 ある角に差し掛かった時、一人の青年が私達の車に手を振っていた。それを見つけたマー子の横顔はやっぱり目に見えて嬉しそうで、いち早く声を聞きたい想いを先走らせながらパワーウィンドウを下ろして瞳を追っていた。
 車に近づく青年は限りなく黒に近い茶色の髪色を携え、咥え煙草をしていた。彼もまた嬉しそうに隣の少女にいくつか言葉を残すと、照れ臭そうに私に「こんばんは……何も用意できていなくてすみません」と言葉を残していた。

 そうして連れられた場所は街角の駐車場で、車の部品を外していた眼つきの鋭さが際立つ気の強そうな少女と、ひしゃげたドアをじっと見つめる緩い雰囲気を醸し出している痩せた少女が私達を見て「え、二股してるの?」と冗談交じりの口調で青年に漏らしていた。
 呆気にとられながら簡単な自己紹介を済ませて、私はぼんやりと作業風景を眺めていた。いつの間にかマー子は作業に混ざっている。蚊帳の外でぼんやりと形成されたコミュニティを見つめていると、なんだか周囲と馴染めなかった高校時代を思い出した。けれども少しだけ異なるのは、あの時とは違って、彼らは私に敵意を向けているわけではないこと、そして、私はこの光景を微笑ましくも羨ましく思っていることだ。

 マー子が工具箱を抱えてセダンの下部を覗き込んでいた。ダメージジーンズがさらにダメージを受けることも厭わずに。そんな彼女に青年は工具を手渡してから身を屈め、マー子の視線の先を追って肩を並べている。
 「ほら、もう外れる……おっけおっけ、外れた」
 「さっすがマー子。やるね」
 「だって私だしぃ?何年ガレージで作業してるとでも?こんなの眠りながらでもできるって」
 きっとドヤ顔をしているんだろうな。青年が突っ込むようにマー子の髪をわざと雑に触って、まんざらでもなさそうな声を上げる。
 「こんなところで発情すんなっ」
 「してないって」
 「ソラぁ、発情すんなってぇ」
 「うるさいな、これはお前の車なんだから自分で作業して」
 「タバコが見つからなーい。やだー。コンビニ行こうよぉ」
 二人のやり取りに眠そうな少女も自然に交わっている。「車内じゃん?」「んー、ないよ、マー姉、盗みました?」「アタシは電子派だし」「どこぉ……ヤニが欲しいぃぃ」
 グダグダとしていて意味を成さない会話。けれどもそこには気を許し合った仲の深さを感じ取れた。実家にいた時に、私がお姉ちゃんと暇な時間を過ごした時のような空気。お昼ご飯を食べ終わって昼寝に落ちる前の働かない頭で、最近あった大して面白くもない話を落ちもつけずに話すような、そんな空気だ。きっと、こんな感覚で話すことは、私にはマー子にもできないような気がする。
 「ノラ、タバコの前に壊したドアをどうにかしろよ」
 「どうにかぁ?」
 「バラすんだよ。レギュレーターを引っ張り出して、残りは鉄くずに」
 「にゃーん……」
 眼つきの鋭い少女は眠そうな少女にひじゃげたドアを指さしながら命令を下している。マー子曰く、二人は高校時代からの先輩後輩の関係だったらしい。私が今まで会ってきた先輩は、私という存在に関心さえも持たなかった人々ばかりだったけれども、この子は夜の十時に後輩の壊した車を必死に直している。何が彼女にそうさせたんだろう、なんて疑問が浮かんだのは、きっと私が過ごした日々が余りにも利害関係と薄情に満ちていたからなのだろうか。

 「マコ、悪いんだけどドアの配線を外してくれる?」
 「ん、いいよ」
 「ソラ、マコはメーカー勤務のエリートエンジニアだぞ」
 「え、すごいですね。クロと同じトップメーカーの?」
 「マー子!話を盛らないで!……トップメーカーじゃない方で、内勤だよ。エクセルを開いたり、閉じたりしてるだけ」
 「いえ、凄いですよ。クロは試験部門で色々やってるんで、話が合うかもしれないですね」
 ……聞かない方が良かった、とは口にはしなかった。ビニルのシートを外しながら相槌を打ち、クリップを指二本で握って思いっきり引っ張りながらそんなことを思い始めていた。クロと呼ばれた少女は吊り上がった瞳が魅力的な圧倒的な美人さんだったから、尚更。
 淡々と作業をしながら、何だか、世の中はやっぱり酷いものだと思った。趣味に相関する仕事を選んだのは私もクロさんも同じだけど、格が違い過ぎる。私だって、退屈な実験に耐えて大学を卒業して、試験部門を志望したけど叶えてもらえなかったのに……。
 目を引くほどに艶のある長い黒髪を一本にまとめたクロさんがドアを覗き込んでいた。冷たく見える瞳はやはり自分に自信があるからなのだろうか。大人げなく完全敗北を味わった私は、そんな思考をごまかすように言葉を残した。
 「レギュレーターのコネクタが外れなくて。外せそうかな?」
 「ん……んん?どうなってんだこれ」
 「板金のエッジに気をつけてね。リテーナーの構造がよくわからないから難しいよね」
 「ステーの裏にあるからよく見えないな」
 「切っちゃおっか」
 「その方が手っ取り早いな。ノラ!配線はもう使わないだろ?」
 「あー、切っちゃっていいですよぉ」
 「他も切った方が早そうだな」
 「ううん、残ったのはここだけだから、あとは大丈夫かな。ありがとう」
 「ん」
 一見不愛想に見えるクロさんは、電工ペンチで電線を切りながらも内心で少しビビる私にも丁重であった。でも確かに、よく考えれば後輩のためにここまで動いてくれるような子が性格悪いわけはないか。スマートウォッチに目を遣ると、時刻は十時半を回っていた。日頃の私ならば、この時刻は私だけの時間だから、他の誰にもその時間を奪わせたりなどしないから。
 私がじっと目を閉じてグッと大きな伸びと欠伸をする頃に、マー子がレギュレーターを取り外そうとして顔を顰めていた。
 「ノラ、事故った時、窓は開いていたか?」
 「いえ、閉めてましたよぉ」
 「ああ……なら外れねぇや」
 「つなぎ直して動かしますぅ?」
 「あ、ごめん……もう配線切っちゃった」
 ドアに群がりながら私達は、どうにもならなくなった鉄くずを囲んだ。人感式のライトが時間切れを主張するかの如く消え、辺り一面は暗闇に包まれた。誰もが無言を貫く中、作業用のハンドライトだけが虚しく車体下を照らし続けている。
 「……アイス食べたい」
 「タバコ吸いたーい」
 「コンビニ行くか」
 まるで問題から目を背ける様に、各々が言葉を残して車に乗り込み始めた。私もペンチを工具箱に押し込んでからマー子の背中を追った。
 「な、全く飽きないだろ?」
 「ええ、飽きること"は"ないわね」
 私の言葉に、やっぱりマー子は笑っていた。私もマー子にとって居心地のいい世界とはこういう場所なんだろうな、と確信していた。本当にいいコミュニティを見つけたんだと思うと、私もなんだか嬉しくなって目を細めている。
 だから、これ以上は言葉を飲み込んだ。この場はマー子の居場所だ。そこに私が何を感じて、何を求めるかなど主張する必要などないから。自分本位な悪癖は直らずとも、ほんの少しだけ空気を読むことが出来るようになったのは成長というべきか、年老いたというべきか。
 これから、私は、どうなれば。
 ガラスに映る私と運転席のマー子の姿が重なっていた。
 いっそ、髪を染めて、ピアスを開けてみようか。
 そんなやけくそな思考は、ソラ君の車を追うマー子の本気の踏み込みが生み出す本能的恐怖によって即座に書き換えられてしまった。



 非日常が続いていた。関わることのない人々、見ることのない関係、そして持ち得ぬ精神性。
 想像よりもずっと、楽しかった。どうしてヤンキーたちは飽きもせずにずっとコンビニに佇むのか、その理由もよくわかった。
 ノラさんが峠で滑ってドアを壊した話、友達の車の助手席に乗っている時に左側のガードレールに刺さって危うく死にかけた話、湾岸線で流星になりうる数分の話、アセスメント試験中、派遣された試験立会人の外国人が試験室の余りの寒さに母国語で文句を言い始める話。
 どれもこれも、私の休日からはかけ離れた話ばかりだった。それに、私の退屈な話も何故だか皆、不思議そうな顔で聞いてくれた。アイスとタバコを片手に各々が好き放題に話す最中に握ったブラックコーヒーを流し込むと、少しだけ、名古屋が憎く感じていた。同じ星空の下なのに、焦燥に駆られてバイクを飛ばす深夜の四時間とはまるで違う刺激がそこにはあった。
 でも、けれども、どこかが皆と私は違っていた。上手く言葉では言い表せられない。言い表せられないけれども、こんなに楽しいけれども、私と皆と心を通じ合わせる日は来ないような気がした。
 罪悪感が心に満ちた。ソラ君とマー子の会話が私の右耳をくすぐっていく。明日のパーティに行きたくないソラ君と、いっそ抜け出してパーティ会場近くの温泉旅館に泊まりに行くか提案しているマー子が視界の端に映った。別にべたついているわけではないのに、何故だかそこには強固な絆のようなものが見え隠れしている。それに、幼馴染だというノラさんやクロさんと仲睦まじく会話をする姿を見ても、マー子は全く意に介していない。そこには何故だか絶対的な自身と信頼をソラ君に寄せているように思えた。
 ふと、寂しくなった。誰と言葉を交わしても、何故だか通じ合っている気がしない私には、マー子の心境まで至る日は来ない気がしたから。きっと、それはどんな気持ちなのかを彼女に尋ねたところで「んー?好きなだけ。ソラも、皆も。あ、マコもだよ!」といたずらに笑って「マコは警戒心が強すぎなんだよー」なんて私のような根暗の脳内ロジックを理解していない余計なお世話を口にするだけだろうし。
 それでも、純粋な刺激が私に目を伏せさせる時間を与えなかった。せっかく買った愛車のアンテナを皆の目前でへし折ってしまったソラ君が目を丸くする様子を皆で笑っていた。嘘偽りのない笑顔が私にも満ちてくれた。
 だから、本当に良かったと思った。
 マー子が私のせいで再び目を細めることにならなかったその事実に。


 「マコ、寝ててもいいんだよ」
 「いや、目はすっかり冴えてるよ。ただ、考え事をしていただけ」
 ハンバーガーショップを通り過ぎた頃、窓の外をじっと見つめていた私にマー子は気を使ってくれていた。流石に、午前中のような元気はお互いにはない。マー子自身も「あの子たちは元気すぎるからさ」と付け加えていたけれども、お互いに26歳という年齢によって若さを失い始めたことに言及はしなかった。
 「マコ、疲れたっしょ」
 「ええ、朝、早かったからね」
 「違うよ、マコ。寝不足の話じゃない」
 「他に何があるって言うのよ」
 「マコはああいう付き合い、苦手だってわかっていたからさ」
 その言葉は、今までマー子が発した言葉の中で一番大きな衝撃を私に与えていた。今日の振る舞いが不自然だったのか、それとも態度に出ていたのか。今日のどこに綻びがあったのかを思い出す間に、マー子は再び口を開いた。
 「昔からそうだったからね、マコはさ。だから、すごく悩んだんだよね。でも、会って欲しい気持ちは嘘じゃない。ソラ君もマコに興味があるって言っていたし。だから紹介してもいいか、ってきいたの」
 何も、考えていないと思っていた。善人であることは間違いないけれど、それは自分本位の世界の中で他者に与える強者の慈悲だと思っていたから。見捨てられない彼女の性質が生み出した、私への情けだとも思ったから。
 「マー子は、私以上に私の事、知っている気がする」
 嘘じゃなかった。私にはもう、私の望みがわからなくなっている。働くことや昇進に喜びはない。学び、視野を広げ、可能性を見つめることにも喜びはない。恋愛に溺れて本能のままに生きる喜びもない。そして、芸術で名を残したいという願望も最早、無くなっているから。
 大半の物事や態度は考えるよりも先に出力された。社会性という名の偽称によって、本能が何か感じ取るより前に機械のように動き続ける。だから、記憶にも残らない。誰かの顔も覚えられない。そういうことを続けていれば、自我そのものを必要としなくなっていくから。
 だから、他の誰かが私を引っ張ってくれなければ、いつか戻れない場所で私は何か別の存在へと生まれ変わっていく。貴方は「望月誠」という存在であると伝えて、どんな人間かを伝えてくれて、存在にどんな意味を持つのかを伝えてもらって。……そういうことをしてくれるのは多分、マー子の他には思い浮かばない。
 
 「ねぇ、年末も一緒にどこか行かない?」
 滅多に提案しない私からの誘いに、マー子は当然こう答える。
 「もちろん」
 やっぱり、純粋にうれしかった。私の為に時間をくれることが。
 だから、そのままの勢いで、普段ならば言わないシンプルな一言を伝えておいた。
 「ありがと」
 「んふふ、ガス代貰ってるし、家まで送って当然でしょ」
 ……全く、照れちゃって。
 きっと、ソラ君もまだ理解していない彼女の言葉の本質を感じ取って、私は少しだけ満たされた胸中を抱えたまま瞼を閉じ、深く、深く眠りにつく街の一部に同化していくのだった。



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