干し梅が好きだ。
干し梅が好きだ。おそらく多くの人々は一度は食べたことがあるだろう。余談だが私は幼少期の頃、家族旅行で数年おきに和歌山県を訪れていた。そのとき、和歌山県のPAに試食として置いてある干し梅のことが大好きだった。意地汚いとは思いつつも目を盗んで虎視眈々と試食の機会を数度と狙っており、大体の場合は母に見つかり、叱られ、一つしか食べることはかなわなかった。月日は流れ、そんな子供も大人になった。一人で和歌山にだって行ける年齢だ。大人になった今では和歌山に訪れ、あの思い出の大袋入りの小分けの干し梅を買いたいものである。しかし、このファミマのはちみつ梅干しはファミマにさえ行けばあの時の子供の夢をかなえてくれるのである。幼少期に焦がれに焦がれたその干し梅の値段は少々当時の私には買える金額ではなかったが、ファミマで出会ったこの干し梅ならば、ジュース1本を買う感覚で手に入れることができる。コンビニに行く感覚で気分はあのころの和歌山である、最高である。個包装ではないので指が多少さわやかな香りにまみれてしまうのが難点かもしれないが個包装でないということはエコである。代わりに手をふくためにお絞りを使うことがす度の必須となるため一周回ってエコから遠ざかるのかもしれない。この干し梅、私自身はメインのおやつとしてではなく、作業合間の間食として頂いている。メインにするには量が少ない。かといってこの量を一度でとなるとなかなかの苦行だ。1個か2個なら程よい気分転換だが、5個も6個も一度に食べるとさすがにご飯が欲しい。ロ内が梅一色に染まり、まるで梅の反乱である。梅の乱勃発である。では、人が間食を食べるのはどういうときか。これは私の場合では気分転換をしたいとき、である。そのためにさわやかな香りのものや甘いお菓子に手を伸ばすのである。
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