笑いと差別の螺旋状

CRAZY COCOさんのエピソードトークをYahoo!が取り上げたこの記事、あらためて笑いには差別性があるなと思った。悪い意味でなく、笑う笑わせる笑われるにはその要素が含まれているという論理を少し実証しているなと思っただけだ。

風刺としての笑いというと、リア王が道化に己を真似させていた話を思い出すが、上記のエピソードはCAの世界と、その周辺事情を面白おかしく話しただけであるように見えて、見えざる階級社会やくだらない(と私が思う)マウンティングが露骨なこれは風刺ですらない。

さんまさんがやっていた、恋のから騒ぎでのバブル時代の恋愛におけるストレンジなエピソードを今日に再構築させた劣化コピーのようだと思ってしまう。


あらかじめ書いておくと、CRAZY COCOさんのCAネタやらデフォルメされた話は嫌いではないのだ。この記事になったような、人を階級で見下すような話が嫌いということ。無自覚な差別意識を感じる。

落語は人間の業の肯定と立川談志さんは生前語っていたというけれど、マウンティングや差別意識もまた業であろう。だからといって、CRAZY COCOさんが本質的に差別主義なわけではない。

キャラを売り出すのに、個性の強調もしての誇張をしているだけで、例えるなら、おそ松くんのイヤミであるとか、ちびまる子ちゃんの花輪くんみたいなキャラ芸だと思っている。

けれど地上波で、こういった露骨な差別意識を表出させるネタというかエピソードを話すのは、なかなかリスキーだと思う。ネタをネタと受け止められる人ばかりではないし、そもそもちっとも笑えないからだ。露悪的なキャラ押しは限界があるように思うのだが。


たまに夜に運転するさいに、彼女が教頭を務めるラジオ番組SCHOOL OF LOCKを聴くと、軽妙な話し方や、不慣れなりにも学生(リスナー)に対して真摯であろうとする姿勢や、番組に貢献したいという空気を感じられて良いのだが、冒頭のような発言がネタであれ続くなら、番組にはふさわしくないのかもしれない。

お笑い的には爪痕を残すために必要な話だったんだろうけど、少なくとも自分はげんなりしたし、記事のような考え方は、はっきりと嫌い。それ覚悟でやっているのだろうし、バラエティの一場面を文字にしたことで、悪いニュアンスになっているのもわかるけど嫌い。

お笑い芸人がネタで不謹慎な内容を含んでいるのとこれは、やはり違う話だと思うけれど、人が人を笑うというのは、ある意味でやはり差別なんだとしたら、どうあれつきまとう問題なんだろうな。

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