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BIRTHDAY-夜の薬-

「真夜中にはさ、寂しさを溶かす薬があるらしいよ」

「有機溶剤?ラリって忘れたいって事?」

「いやいや、そういう非合法な薬じゃないし、だいたい今更シンナーって。このご時世ならもっと体に害のないクスリが手に入るでしょ」

「クスリは嫌い。」

安奈は、童話のウシガエルのように、ぷぅっと頬を膨らませた。

そのまま膨らませすぎて、破裂して消えてしまわないかと不安になるくらい。消えたがっている彼女には、きっとその方が幸福なのかもしれないけれど。

「そうだね。ただでさえ、飲みたくもない薬を何種類も飲まされているんだしね。でもさ、僕が言っている寂しさを溶かす薬っていうのは、現実にこの世界で形を為す物ではないんだ」

「また気取るー。なに、じゃあ、まさか、触れ合う体温だとか、セックスの後の怠惰なため息とか、そんなありきたりのことを言うわけじゃないでしょうね。そんなの、もう飽き飽きしてるのよ」

僕は大袈裟に首を振る。演技のための演技。
本番なのにリハーサルと変わらない演技しかできない役者は、早晩首になるだろう。けれど、舞台に立つ以上は自分の持てる力を出すしかない。

「夜が持っている寂しさってのは、人間が持っているリズムと、時間のリズムの歪む場所にしかない。例えば、失恋だとか、仕事の悩みだとか、そういった要因があっても、その場所に立たなければ、めったなことで人は死にたくなったり、消えたくなったりしないんだ」

「非科学的な話ね」

「うん。まあ僕は科学が万能だとも、オカルトが全能だとも思わないけどさ。話を続けるね。その歪みに人が巻き込まれたときに、どうやって逃れたらいいか分かる?」

安奈は、バネ人形のようにわざとらしく首を振る。
体が揺れるたびに、キャミソールの上に羽織ったカーディガンの袖が、ゆらりゆらりと跳ね、そこから十字に刻まれたリストカットの痕が覗いていた。

「わかんないわ。そもそも、分かっていたらあなたの話なんて聞く必要ないじゃない」

「ああ、そうだね。実際に、じゃあ例えばさ、地面に穴があいていたとして、それを避けるために、人はどうする?」

「んー。脇にそれて避けたり、大きさにも寄るけど、飛び越えたりするんじゃない?」

「そうだね。だいたい、そんなものだよね。特に、飛び越えるって答えはいいねえ。僕はカウンセラーでもなんでもないから、よく分からないけど、きっとこれが心理テストだったら、君の気の強さをあらわす答えって出るんだろうね」

「もったいぶらないで、早く答えを言いなさいよ」

「穴があいていたら、それを埋めればいい」

「は?なにそれ、馬鹿じゃないの?」

「穴を避けようとしても、通り過ぎて、帰りにまた同じ場所にこないとも限らない。その度に避けていくのって馬鹿らしいだろ。だから、穴を見つけたら、どうにかして塞いでしまうのさ」

僕は、左手を彼女の頭に乗せ、わしゃわしゃと子供の頭を撫でるように、幾度も髪を乱した。

「それと同じでね。夜の歪みに嵌ってしまったときは、逃げ出すのではなく、それを埋めようとするしかない。朝がくれば、その憂鬱な気分が消えてしまうこともあるだろう。だけど、それはその日、その時間の憂鬱が消えるだけで、生じた歪み自体が消えるわけじゃないんだ。生まれた歪みは消さなければならない」

「そんなの、できない人だっているんじゃないの?」

「いるだろうね。だからこそ、薬なんだと思うよ。薬だって、万人に同じ効果が現れるわけじゃない。体質によっては、逆に調子を悪くする人もいるだろ?」

「うん・・・」

「夜の寂しさを溶かす薬ってのは、その人その人で違うんだ。例えば僕の場合は、重い気分の時に、わりとシリアスな世界観の歌詞を歌うバンドの曲を聴いたりする。僕の友人なんかは、自分がどうしようもなく苦しくなった時に、ソマリアだとか、アフリカの飢餓児童ばかりを写した写真集を見るって言うしね」

「不幸な現実ってやつを見て自分を慰めてるつもり?」

「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。そういった行為の中にいる時に、自分は理屈を求めてはいないんだ。市販されている薬だって、最初は自分の状況を改善するために飲むけれど、それになれてしまうと、調子が悪くなった時にはコレを飲んでおけばいいやって、さして理由なんて考えずに飲むだろ?」

安奈は床に落ちているバナナの皮をじっとみつめ、無言になった。

「寂しさを溶かす薬が真夜中にあるってことは、寂しさ自体が一番大きい波を寄せるのが夜だって事だと思う。大抵の人は、昼間は働いているし、何かしら動いているから、夜に自由になる時間が多いってだけかもしれないけどさ。僕は、夜の時間が持っている優しさと凶暴さの狭間に生まれる歪みが、人を不安にさせたり、消えたくさせるんだと思う」

「それで?それで、あたしにとって薬はあるの?」

「そんなの知らないよ。薬っていうのは、必ずしもどこかから処方されるものだとは限らない。民間療法ってのは、長い間の人々の知恵だったり、思い込みと失敗の結果導き出された結果だろう?漢方だって、最初に作った人は、たぶん人体実験の被験者みたいな気分だっただろうよ。」

「なにそれ、じゃあなんのために、こんな長々と話をしたの」

「ただの気まぐれだよ。それに、安奈は、救われたいとは思ってないんでしょ。早く消えたい。消えたいのに、消えられない自分の中途半端さってのを嫌っているって言ってたじゃない」

「それがなんだっていうのよ。話を変えないでよ」

「君は、薬を欲しがった。それがわかっただけでもいいんじゃないの?僕はね、リストカットをする人に対して、逃げだとか、気持ち悪いって思う人の気持ちも理解できないけど、逆に、生きたいから切るとか、その時だけ生きている実感があるって本人達が声高に叫ぶのも理解できないんだ」

「あたしは、そんなこと言ってない」

「ああ。だから、君は君の夜を越えるために、もしかしたらメーテルリンクの青い鳥の、あの姉弟のように、パン屑を道に撒く代わりに自分の腕に傷をつけているのかもしれないと思ったのさ。戻りたくない、思い出したくないと思いながらも、過去のどこかに君は戻りたがっているのかなって」

「一体何がいいたいか、わからない。わかんないよ」

「君は帰りたいんだろ?その悩みが、苦しみがなかった頃の自分へ。だけど、それは叶わない。だから、増える傷が薬になると、心のどこかで思っているのかもしれない。歪みを超えるための傷は、いつしか自分の中にもっと大きな歪みを生じさせるかもしれないんだ。だけどね」

「だけど・・・?」

「だけど、僕はその歪みに寄り添いたい。例えば君が夜の歪みの中にいても、そこから僕が連れ出してあげられるわけではない。自分で言っていて情けないけど、僕は君の夜の薬にはなれないんだ。ただね、君が薬を欲しがっていて、でもそれがなかなか見つからないなら、見つかるまで、一緒に旅をしたいと思う。君が嫌がるならしかたないけどさ。」

「わざわざ、そんなことを言うために長々と、こんな話をしたの?」

「ああ、どうしようもない馬鹿だろ。そんな僕につける薬は、きっとどこにもない。安奈以外はね。一々、こんなことをいつも言ったりしないけどさ、君は僕の薬なんだよ」

「・・・・」

「君が自分が生まれたこと憎んでいるこの日に、僕は君を傍で感じていられることに感謝している。HAPPY BIRTHDAY、生きてきてくれて、生まれてきてくれてありがとう。」

「あたしは、あたしはユタカの薬になれているのかな」

「夜は終るけど、またやってくる。確かめる?」

僕は安奈の細い体に腕を回した。こんなことが、何の解決になると思うよりも、僕は僕の歪みと彼女の歪みを寄り添わせた。
彼女の傷に、僕の涙。これからの日々も、これまでの日々も、安易に僕らの夜の歪みを消してはくれないのかもしれない。

だけど、君は僕の薬で、僕は君の従者であれるなら、怖いことは何もない。恐れを溶かす薬。二人なら、それを見つけていけるだろう。

「あたしは薬より毒だと思うんだけど」
悪戯そうに安奈が耳元で囁く。

「毒って、薄めると薬になるらしいよ。まあ薄められないとして、いつか死ぬのが同じなら、ゆっくり君の傍で眠っていくほうがいいや」

そういって、今度こそ僕らは夜に落ちた。
眠りが眠りになる前に、少しだけ寂しさを溶かすために


【BGM/hide(限界破裂)】

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