思考停止の夏、愚者の夏

夏に人が恋をするのは、暑さで思考がは足らなくなってしまい、理性や本能に掛かるはずのブレーキの効きが悪くなるからではなかろうか。

常夏の国やら赤道直下の国に住む人は精神疾患に掛かる割合が低いという話も読んだ気がするが、どの国であろうと思考を突き詰めれば脳内物質の過剰抽出は起こりうると思うのでそれはデマだといい。

いずれにしろ、今年の長くて暑い気候で、しかも炎天下を歩かねばならぬ際には、思考停止に似た、ぼんやりとした気分で歩くことになる。まさに思考は無化しというのだろうか。言葉もそりゃ頼りなくなる。


昔から、このように、ああでもない、こうでもないと思考回路とシナプスがこんがらがったまま生きてきたので、夏場に恋をした記憶はあまりなく、むしろ春先であるとか秋口の方が多いあたりもひねくれているのだろうな、、、。

暑さを言い訳に近寄る人は多くないはずなのに、肌の露出で本能と煩悩をリンクして盆に至るのが夏のセオリーとするならば、寒さを言い訳に心の距離までも近づけてしまいたいと願う類の人間の方が欲深く罪深い気がするよ。変態ってのはそういうことだ。

自分が陰キャであり魂的な隠居でイ○ポであるのは、総じて頭で考える悪癖が抜けないからだろう。抜けないものばかりの中で頭髪は夏の日差しを受けた植物の蔓のごとく抜けやすいという皮肉。

夏は恋の季節でなんて歌の文句は、上記のように暑さによる理性の蒸発やら気化にもたらされる思考停止だと思うし、成人を越えると許可されるアルコール摂取の頻度が上がるからと規定すると、リア充だろうが隠遁者だろうと季節の作用からは逃れられぬのだなと笑ってしまう。

思考停止が唯一の希望と歌うバンドがあるが、そうでもしないと休まらない脳内やら気持ちというものもあるし、せっかく四季の巡る国に生まれたなら、その狂気の季節を疎むだけではなく、それなりに楽しめたら良い。

人のあまりこない砂浜を見つけて、ぼんやりと海を眺めるのが良いな。どうせ思考停止するなら煩悩の海より、自然の海を眺めたい。

と、熱中症でもないのに、働かない頭を揺すってバカなことを考えるくらいなら、さっさと眠れば良いのだな。暑さを言い訳にバカさを肯定するなど愚の骨頂。

しろくまでも買ってきて、もともとかき氷は水だからローカロリーと言い聞かせて、頭も気持ちも冷やして寝るか。

愚者の夏だ。それもまた夏。

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