青春は前世で終わった

人間、誰でもモテ期があると申しますが、私の場合はちっともそれがなく、漫画で描かれるようなキャッキャウフフを経験せぬままに今生を終えそうな気配もないではない昨今。

あるいは、記憶に残らぬ時代に、産科の看護師さんたちに愛でられ、そこで人生のモテ期ポイントを消化し尽くした可能性もございます。もしくは、今後迎えることができれば老年期に、スタイリッシュな入れ歯を得た私が近所のご婦人型にゲートボールに誘われる未来が待っているのでしょうか。

情欲に左右される若き日々よりも、強制的に心と心の結びつきを得られるであろう老年期(ただ、最近この世代でも痴情のもつれによる事件もあるのよな)にモテ期がくれば、それはそれでいい、、、のか?。

しかしまあ、考えてもみればハーレムルートでもない限りは己が興味を持ち、意中の相手からの想い以外を複数人から持たれる状況というのも、怖いことなのかもしれず、太宰的に命懸けの恋愛をしようと持ちかけ、持ちかけられる可能性までを加味すると、モテるよりも、1人に深く想われる親愛なり深愛の方が幸せなのではないかと思わなくもない。

ドンファン的に多くの方と浮世の浮名を流すのが夢であるならばよかろうが、過ぎた想いは狂気に繋がりますのでね。八百屋お七にしろ、阿部定にしろ、なかなかのものですし、男性側は無理心中やら、なんやらの事件もよく起こしている。

青春は一定の具体的な期間ではなく、心の瑞々しさが保たれた時期であると言う論もありますが、期間限定の儚さであるからこそ美しいと言う桜理論のように、青き春もまた思春期とリンクされるべきものなのかもしれません。


さほど多くはないけれど、私にも想いと時間を重ねた相手はおりましたが、自分にとってあれが青春であったという気持ちよりは、互いに感情を燃やし、燃やされ、灰になって見えなくなった時間たちは、春というよりも夏ではなかったのか。

蒼に染まる私の人生の春は、年齢的にも精神的にも訪れぬまま終わり、キャッキャウフフもまた、絵空事でありUMAのごとく、未確認のまま今回は終わってしまったのかもしれませんが、あるいはその分も先取りセールで前世に全盛期を過ごしたのかもしれません。前世紀あたりに。

与太話はさておき、所謂ステレオタイプな青春は過ごせなかったし、明るい10代から20代ではなかったかもしれませんが、その時期に考えたことやふれたものが今のひねくれ親父につながっているのなら、まあそれはそれなりに悪くない青春予定地だったのではないでしょうか。

さて、みなさまはどのような青い春の予定地を過ごされましたか?そして、その季節を今でも覚えているでしょうか?覚えているなら、それはなんて青春、青く開いた季節であることでしょう。

忘れた方、それはそれで、追憶の扉に仕舞い込んだ秘密の部屋。某魔法使いでも開けられない、大切な秘密なのかもしれませんね。

キャッキャウフフしたみなさま。みなはいいません。爆ぜろ。

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