ここが異世界だ嗤えよ

異世界転生の小説を原作としたアニメや漫画が流行してしばらく経過し、それが1つのジャンルとして定着したのが昨今とするならば、雨後の筍や何匹目かの泥鰌を捕まえる作業も落ち着く頃であろうか。

物価高のみならず、戦争の空気が流される現在、【ここではないどこか】を求める人の数は案外と多いのだろう。その割にはメタバースがさほど流行しないのは絵空事は絵空事として楽しみたい気質が日本人の中には強くあるということかもしれない。

ちらほら読んだ限りでは、俺ツェー系の特車能力やチート付与系統の無双譚がスタンダードであり、そのほかには悪役令嬢のBAD END忌避系タイムリープであるとか、パーティー追放後に能力覚醒ざまぁリヴェンジ系などが多いようだ。

現実世界で才能のみで生きている人間は希少であり、淡々と日々を回す役割を担う人がほとんどであるように、なんらかのギフトを与えられる人は異世界でも多くはない。ヒエラルキーは残酷なほど強固でもある。

漫画なり物語の主人公は選ばれし民でありフリークス。わかりやすい味付け。それはサブスク時代に音楽がサビから始まるキャッチーなものがメインになっていることに似ている。

わかりやすさを求めることは悪いことではないが、そればかりをパターン化してしまうとジャンルの衰退は早まってしまうのだが、それでも良いものは残っていくわけで、いまは淘汰されるものと残るべきものが選別される過渡期なんだろうな。


自分の場合は、まあまあな田舎育ちで、今日のようにインターネットなど存在せぬ時代に育ったものだから、県内でも都市部にいくと、それこそ異世界のように感じたものだ。まして、それが関東圏や東京に行ったときには別天地かと思った。

現在はAmazonやらなんやらで、欲しい本や音楽、衣類なども、どの地域であろうがタイムラグはあるにせよ手に入る。しかし、当時はマニアックな書籍は田舎には届かず、その情報を手に入れることすら難しかった。都会は異国ではないが、異世界だったのだ。

ある時期の秋葉原であるとか、神保町であるとか、街の色が濃厚である場所は、それこそ異世界であったのだろう。都市部の再開発はそういった魔法の解体のようで寂しく思うが、それは田舎者が勝手に抱く異界へのノスタルジーなのだ。

現代の異世界転生は、田舎から都市部への移動では語れない非現実への扉を開ける憧れなのか。日常の中にも異界を見出したい私は、どっぷり異世界にははまれないのだが、そもそも私が日常から半歩ずれているからだとしたら、それは悲しいことだ。

ここではないどこかに行きたがるとしても、そこにいる私はおそらく異世界の私でしかない。今の私も、そこにいる私も間違いなく私なのだろうから。

来世があるとして、そこで初めてリセットなんだろう。

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