フリーダムな牢獄

様々な禁忌を合法化したら、世の中はつまらなくなるのだろうなと草で逮捕されたミュージシャンのニュースを見て思った。

私は性的な画像のモザイクについて考えるが、海外では存在しないことの多いらしいアレが、日本ではなぜ掛けられているのかを思う。警察利権だの、天下り団体のためだの、法律がだのはあるけれど、概念としての猥褻を取り払ったら、ただの体の一部だから、ある意味では聖域や神域を作っているんだろうなと。

日本には本音と建前があるというが、つまりは表と裏と、その間になんとも言えないグラデーションが広がっていて、良くはないけど悪いとも言えない曖昧な空間が広がっている。コミケなどの二次創作に対する、厳密にはアウトなんだけど、まあ目を瞑っておくかという公認はしないが黙認気味にはしとくよというのも、その類ではなかろうか。

多分、明日からどんな仕事についていても、髪型や服装は自由です。ドレスコードなんてありませんと世界が変わっても、それが国内限定であるならば日本は案外と今と変わらずに制服があったり、髪の長さだとか色にこだわり続ける気がする。

他人の目を気にすることや、同調圧力もあるのだが、それ以上にハレとケというか、日常と非日常を大切に意識する国民性が強いような気がするのだ。

縛りプレイというか、日常的な抑圧を受け入れて生きるのがスタンダードで、だからこそ祭りや禁忌を乗り越えた時にとんでもないことをやらかすという気質があるように思えてならない。

だから、現在に禁止されているあれこれが一部解禁やら全面解禁になったとしても、マッドシティ化したり、治安悪化とはなかなかならないような気がしているが、そもそも外圧がないと変わらない国だから、夢物語というか妄想の類なんだけどさ。

俗に言われる事由に対しての責任というやつも、責任取るなら自由はそこそこでいいやと、見えない不自由を感じられない、あるいは感じずにいられる人は思うのかもしれない。

そもそも、そんな選択肢すら最初から与えられない人も少なく無いのにね。自由の檻に囚われた不自由さを感じないとしたら、そりゃ権力者に都合良いわな。

話が散らかりましたが、禁忌もタブーも現代は調味料なんだと思う。倫理ぶっ壊れた時代に今でも不倫だなんだ騒いでるしね。

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