青い鳥亡き後のささやきに

Twitterの名称がイーロン・マスクの意向によりXに移行。独断専行が許される権力を持つオーナーのやり口とはいえ、発表から実行までのタイムラグのないシームレスな変革はいささか乱暴だけれど、日本の経営者では難しいほどに早い。

人間は基本的に保守的だから、なかなか新しい名称を受け入れるのは難しいけれど、先日のTwitter不具合騒動に続出した移転先SNSの紹介を経ても、機能的に見劣りしたり、あまり特性が変わらないならTwitterで良くないかという考えからか、そこまで登録人数が減っている感覚もない。

類似しているなら、今使っているTwitterで良いのではないかという人が少なくないからこそ、Threadsの登録者や利用者がそこまで伸びなかった理由でもあるのだろう。

イーロン・マスクの誤算は、Twitterという名前に愛着を持つ人が案外と多かったことだろうか。看板を変えればあっさりと忘れて行く人が多いと考えていたのかもしれないけれど、あの青い鳥と、ツイートというつぶやきに対してのネーミングを愛した人が多すぎたのだろいな。


青い鳥を失った人たちが、また新しい幸せを探しに行くのか、見知ったものに似たSNSを渡り歩くのかどうかはわからないけれど、あそこで趣味や好きなものが似通った人たちと生ぬるく関われたのはよかったと思う。

どうあれ、青い鳥は命を亡くした。時間は逆戻りはしないし、在りし日を懐かしむばかりで今を見なければ幸せにも気がつけなくなるだろう。

良かった日を基準に考えることなく、それはそれとして喜べることが、そうなった日こそが青い鳥を悼める日なのかもしれないね。

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