私刑の国

他罰的な言動がネットで目立つのは匿名性のせいだけではなく、私信としての私心が流れる場所ができたからではなかろうか。本音と建前論があるが、その本当の音かどうかも定かではない濁りが、自分の中で蒸発揮発せずに、貯まる場所ができたからだと思う。

個人的な話をすると、一般的な基準(笑)よりも自分の感情を表に出すらしい私とて、思っていること全てを言語化しているわけではない。赤裸々でありつつも、隠すべきところは隠している。

小細工としての不細工なモザイクは、されど本邦に於いてはイマジネーションを掻き立てる存在でもあろう。天下り利権やら、何十年前の倫理規定を変えることすら億劫がる前例踏襲主義かつ事勿れ主義の官僚が牛耳っているとしてもだ。

R18でないとしても、人間の中には人様に見せる必要のない、見せるべきではないグロテスクな感情がある。憎悪や劣等感を煮込んで悪意でコーティングしたかのような黒い気持ち。

それらがSNSをはじめとしたインターネット上では曝け出されやすい状況にあるのだと思う。

露骨な悪意なら100歩譲って、まだマシで、無自覚であったり、あるいは万能感から来る己の正義で悪を焼き尽くすという勘違いな正義感の焔を激らす人は案外と多いし、自分の中にもそういう要素は確実にある。


人が人を裁くということ。法律が裁くといいながら、人が完全に感情から逃れることができない以上は【正義】の暴走はあり得るし、過去の戦争とて、自分達の正当性を錦の御旗として血を流してきたではないか。

それがネット上では安易にネットリンチという形で表出してしまう。とりわけて善人でも悪人でもない人から抽出される他人への攻撃性が火に油を注いでいく。

繰り返すけど、私とてろくなもんじゃない。日々の鬱屈や怠惰の魔物は体に巣食っている。それをわざわざ見せ物にはしないだけで、某掲示板にROM専だった時代から魔素は十二分に取り込んでいる。

だから自分に対しての否定や攻撃とみなした言動に対しては、あきらかに過剰防衛であるレベルで打ち返してしまう。いや、撃ち返すのか。

ハムブラビ法典のように、眼には眼をというレベルではない火力をお返しするのは、自分の弱さゆえだ。

この現状は、何かあれば雪崩れを起こし、社会不安へ、リンクしてしまいかねない状況であるが、いまさらインターネットを手放したとて(それはほぼあり得ないだろうが)以前のように悪意を内に秘めて潰せた時代にはなかなか戻らないだろうが。

私信は指針としてエアリプで済ませるべきなのだろう。わざわざ火元にガソリンを撒く必要はないし、悪意に染まる時間よりは笑える時間がいい。

難しいけれど、ひとりで楽しめることを増やして、誰かとシェアして楽しむという、ゆるい輪を広げて、ゆるく縛り合うことでしか私刑は止まらないのかもしれんよな。

私も当事者だ。寄った眉間の皺を解放せねば。

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