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夜の華媚(青い声)

その瞬間、体に馴染む体というものがあることを、俺は改めて感じていた。

沙羅のすらりと長い両足の間にある淫らにねじれた花びらから、とめどなく溢れ出す、さらさらとした愛液を味わいながら、薄い柑桔系のそれの源泉に先端を尖らせた舌を這いまわらせていく。ぴちゃぴちゃと子猫がミルクを飲み干すときのような音を立てながら彼女を責めている時、ふと茂みから立ち上るような淫らな香りが漂ってきた。

『もう、おかしくなりそう』

沙羅は瞳をうるませながら僕に哀願している。

『おかしくなりそうと自分で自覚しているなら、まだまだ余裕があるってことだな。ほら、もっと足を広げろよ』

俺は冷たく言い放ち、彼女の一番感じる小さな蕾を舌でこねくりまわした。

沙羅の、甲高い声がホテルの部屋の中に響きわたる。その声を掻き消すようにステレオからは、オペラを流しっぱなしにしておいた。ムードも何もあったものではないが、性行為にそんなものは俺はいらない。獣が気取ってどうするのだという気持があるからだ。沙羅の声を他の部屋の誰にも聞かせたくなかった。

行為を終え、沙羅の白いふっくらとした腹の上に放出した精液を、指でなぞり、彼女の口許に持っていく。ゆっくりと唇の間から舌の上に粘りけのある体液をなすりつけ、奥へと流し込んでいく。苦味を感じるのか、微かに彼女の眉間に皺が寄る。

『どうした。いらないのか』

彼女は必死で首を横に振りながら、俺の指をしゃぶり始める。腹を空かせた赤子が、母の母乳を飲もうとするような切実さで、沙羅は俺の指を舐め回してきた。官能的な表情だと思う。飢えに飢えた人間が、食物をがつがつと食らうときの無心な欲望。生存本能を全開にした姿のようだ。本能とは、このように浅ましくも美しいものなのかと、感慨を覚えた。


沙羅とホテルを出たのは翌朝の五時だった。俺は警備のバイトを無断で休み、一昼夜彼女と寝ていたことになる。睡眠時間よりも体を重ねている時間が長いとは皮肉なものだ。安い内装の愛をうたう六畳ほどの部屋の中で、互いの体液の臭いがむせかえるほどに求め合う。これが生きている証拠か、くだらねえと俺はカラスが群がっていたポリバケツを蹴り飛ばした。ギャアギャアと乳飲み児が泣きわめくような声をたてながら空に散らばる黒い固まりは、不吉どころか幸運を運んできそうな予感を漂わせていた。

『あたし、仕事にいかなくちゃ』

伏し目がちに沙羅は俺に言った。彼女は俺の言葉に脅えている。

『ああ、またしたくなったら、いつでも電話してこいよ』

俺は彼女のとがった三日月のような顎を引き寄せ、上唇に自分の唇をねじこんだ。ぬるりとした感触を味わいながら、舌を絡ませていく。

『駄目。せっかくシャワー浴びたのに、また湿ってきちゃうから』

俺は、こみあげてくるものを抑えきれずにげらげらと笑い、沙羅の長い髪を触った。

ふと、視線を感じる。反射的に、その方向を睨み付けた。朝のジョギングをしているウインドブレーカーを着込んだ中年太りの男が、こちらをちらちら見ては、しきりに股間を見つめている。ディープキスの現場を見たくらいで興奮できるのかよ、中・高校生でもあるまいしと思った。同時になぜだか、激しい怒りがこみあげてきた。

『コラ、おめえ何見てんだよ!』

ドスを効かせた低温で、俺は男に声をかけた。沙羅はびくびくしながら俺を見ている。男は、目を反らしていたが、足がすくんでいるのか逃げ出すタイミングを失っているようだった。

『よう、おっさんよ。俺たちのキスしてる姿見てテント張ってんのか』

『な、何を言ってるんだね。き、君は』

表情を失った男は、がちがちと歯を鳴らして喋り、その音が耳障りだと感じた俺は、男に歩み寄り、すだれ状に申し訳程度に残っている毛髪を掴んだ。

『い、いだ、き、きみ何を・・・・』

男が言葉を言い終える前に、俺は彼のこめかみをアイアン・クロウの要領でつかみ、それから膝を下顎に叩き込んだ。グシャっと音がする。男の口からはびしゃびしゃと血が流れ、その中に何本か白い物が混ざっていた。男はぶるぶると震えていたが、先程のようにガチガチと歯が鳴る事は無かった。

『もうやめて、ね、帰ろう』

沙羅は俺の手を引く、確かに帰った方が良さそうだ。ガキじゃあるまいし、喧嘩で得られるものが有るとも思わない。残るのは気だるさだけだ。経験値をためてレベルを上げた所でナイフで刺されれば場合によってはゲーム・オーバーだ。ゴールドを手にすれば傷害罪に窃盗罪のおまけがつく。馬鹿馬鹿しい。

『今夜も期待しないで待ってるからさ、ほんと気が向いたらこいよな』

そう行って俺は歩き出した。暴力の後はいつも欲情するものだが、今日はすでに使い果たしてしまっていたようで倦怠だけが体にまとわりついてきた。だるかったので一刻も早く部屋に帰って泥のように眠りたかった。ご宿泊なのに睡眠しなかったのだから笑い話だよなと思った。
沙羅は、ちゃんと食事してねと行って仕事に出かけていった。その声を聴いて、やはり女はタフだなと、改めて感じた。


部屋に帰ると、留守電のピンクのランプが点滅していた。どうせバイト先からの連絡だろう。無断欠勤は三度目だから、そろそろ馘になるかもしれない。そうなったら、その時はその時だ。金に困ったら男に飢えた年増でも抱いて、暮らしていこうか。それとも沙羅のヒモにでもなろうかと、あながち冗談でなく考えた。

点滅があまりにしつこかったので、コンセントを抜いてやろうかと思ったが、ボタンを押す方がかかる労力が少ないと思い、再生ボタンに指を置いた。

機械音が日付と時刻を告げた後、(孝文。あたし、結婚することになったから。今更あなたに連絡をしても、どうなるわけでもないけれど、伝えておきたかった。ごめんなさい、今でもあたしは・・・・)と、忘れたくても記憶に染み込んでいる彼女の声が聞こえてきた。俺は電話機を壁に叩き付けた。カッコ悪すぎるなと自分でも思った。


加奈と別れたのは、あいつを好きだからだ。彼女の両親が俺と彼女の交際を快く思っていないのは分かっていた。施設育の捨て子。レッテルを貼られることには慣れていた。俺は自分が不幸だと感じたことはない。不幸なんてものは、自分で口にして甘えてしまえば、どこまでも背中にしがみついてくるものだ。俺はそんなものは踏みつけて笑ってやりたかった。だから、高校を卒業し、施設を出るとまったく知らない地方へ出ていった。

それが、こんなざまだ。運命や宿命なんて言葉は包丁で切り刻んでペースト状にして排水口にでも流してしまいたいが、どこに行こうが過去なんてやつは生きている限りは剥がしても、剥がしても背中にぴったり張り付いてくるらしい。

加奈は、お嬢様と呼ぶには平凡すぎる家庭に育った。父親は市役所務めで、母親は主婦。中流という階級が存在するのなら、そのモデルケースのような家庭だった。

一度だけ、彼女の家で両親と食事をしたことがあった。家庭料理とは遠い、冷凍食品づくしのディナー。加奈だけが無理矢理言葉を発しながら料理を食べていた。彼女の父親は、ときどきエビチリをつまみながら、ああ、とか、うんと頷くだけだったし、母親は俺と目も会わせようとはしなかった。

育ちが違う。そんな事は最初から知っていた。家族でもない限り、育つ環境なんて同じはずがない。でも、好きな相手の親だからすべてを認めてくれるなんて思わないけれど、当たり障りのない態度で、その場を無かったことにしようとする彼等の態度には深く傷付いた。

それが平均的な態度なのかもしれないと、やたら上手くなった作り笑いを浮かべて、ごちそうさまと言って俺は席を立った。本当にもうたくさんだと思ったからだ。


加奈とは、コミュニケーションサイトとやらで知り合った。単純にメル友募集と書いてあった。その言葉の裏には、一般にあるようなどす黒い性欲だとか、見た目のいい飾り物をみつけようとする意図は感じられなかった。そして、会ってすぐに俺は彼女の真っ直ぐさに惚れた。自分にはない部分だったから、汚れて過ごしてきた俺には彼女の光が眩しかったのかもしれない。


終った事を考えても仕方ねえよと、舌打ちしながら、俺はこみあげてくる眠気を素直に受け入れて敷きっぱなしの煎餅布団にくるまった。


目が覚めたのは、午後八時を過ぎた頃だった。半日以上眠りこけていた。時間の無駄使いを気にするほどまともな生活を送って来てはいないから、あくびをしながらテレビのリモコンを押した。焦りも俺って駄目な奴だなぁとも思わなかった。これが俺だから。いつ死んだって悲しむ奴がいようがいまいが、死んだ後の事は俺にはわからないしといつも考えている。沙羅が来るとしても、まだ一時間以上時間がある。彼女はいつも残業をしてから家に寄る。そして、お決まりの抱擁を交す。

きっと、沙羅は俺の事を愛しては居ないし、俺も同じだろう。恋は着火した導火線に急かされて燃え上がる花火のようなものだ。俺と沙羅は、果てしなく体を熱らせ着火点を探していく。熱く湿った欲望の導火線は、けして恋の導火線と交わることはない。線香花火がぢりぢりと音をたて、オレンヂの塊が地面に落ちて消えてしまうように、繰り返される摩擦と白濁した体液の塊が体を伝い落ちた瞬間に俺と沙羅の関係も、あっけなく散ってしまうのかもしれない。

そんな空想をもてあそびながら、沙羅が来るのを待ちこがれている自分がいた。いつか施設に母親が迎えに来てくれると思い込んでいた幼い日の気持ちのようだ。

俺は、沙羅に依存し、沙羅を支配しているつもりで、支配されたがっているのだ。暴力は、ただの暴力でしかなく、逃避は、どこまでいっても逃避に過ぎない。だから、彼女と体を重ね、俺が離れられなくなるほど沙羅に溺れさせて欲しいと願っている。口にすることは、これからも無いだろうけど。

二十分ほどして、沙羅はうちにやってきた。仕事を終えた後という事もあるのだろうか、ただでさえ細い顔が、疲れのせいか、なおさらシャープに見えた。

『お疲れさま』

『ありがとう。でも珍しいわね』

『何がだよ』

『孝文が、仕事帰りにお疲れ様って言ってくれたの初めてだから』

そうだったのか。口には出さずに、問掛ける。俺は他人の事なんて信じないようにしてきた。それが強すぎて、一緒にいる相手にすら労いの言葉をかけることすら出来ない男になっていたのだろうか。それなら、それで構わない。これが、道木 孝文という男の偽らざる姿だ。

『やっぱり、慣れないことはするもんじゃないってことか。ははは。沙羅、じゃあ慣れてることをやろう』

そういうと俺は、沙羅の首筋に唇を這わせた。痕が残るように、強く吸って、舌が肌を転げる音が聴こえるように唾液を塗りたくった。

『もう、まだお風呂入ってな・・・い・・・の・・・もうっ』

どうせ無くしてしまうのなら、無くさぬように脅え続けるよりも、瞬間ごとを愛していたい。沙羅を愛しているとは言わない。彼女と睦み重ね
ている体の確かさと、その中にいる俺の生命を愛していたいと思った。

部屋に満ちる、体液と体液の混ざり合う音。沙羅の紅潮した頬を、俺は舌で舐めていく。初めて施設でアイスクリームを食べたときの切実さ。砂漠で三日間放浪した末に、ようやく見付けたオアシスで水を飲み続ける旅人のように、彼女を深く飲み干してしまいたいと思った。


『ねえ・・・・。孝文。本当に何かあったの?。今日はいつもと違ったよ』

行為を終えた気だるい空間の中で、沙羅は尋ねてきた。

『別に、機械じゃないんだからセックスにパターンなんていらなくねぇか?』

話をはぐらかしたのは、沙羅が俺の事を見ていてくれた事が嬉しかった事と、それがどうしようもなく恥ずかしかったから。

『そうね。孝文があたしに飽きてあたしを捨てるまでは、そうなって欲しくないけどね』

火のつくような一言だった。それだけで充分だなとも思った。俺は沙羅を胸に引き寄せ抱き締めた。

『ねえ、どうしたの?。本当に今日の孝文変だよ?。もうっ。恥ずかしいじゃない』

慣れない声が、妙に愛しかった

この夜を愛しいと思った。

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