図書券のない世界で

姪の誕生日なので、プレゼントをあげようと思ったが、何がいいか全くわからんので、さんざ悩んだ挙句、図書券を送ろうと本屋に出掛けた。もう15歳になるので、最近の若い女子が何を喜ぶのか全く想像がつかないから、自分で選べるようにと思ったのだ。

あるいは、Amazonやら楽天やらネットショップで使えるカードの方が親切かとも思ったが、まだ中学生だから親から許可されていないようだし、そういうのは親を通した方がよかろうと、本屋で使えるやつにした。

最近では電子書籍も普及して、データで読む作品の方が多いのだろうが、手にとってページを捲るというフィジカルな営みを好ましく思う旧世代の私の思いの押し付けが図書券というチョイスになった。まあ、プレゼントなんて少なからず思いの押し付けだとは思うが。


図書券なんて久しぶりに手にするし、貰うことはあっても買うことはなかったから、いまでは図書券は取り扱わなくなり、図書カードになっているのだそうな。フィジカルなものを購入するための券が、いまではカードになっているという事実に衝撃を受けるが、考えてみれば私も最近はライブに行く際に紙のチケットではなく、電子チケットを使用しているではないか。

自分の利便性は測り、他人には自分のノスタルジアを押し付けるのかと身勝手さにガッカリしたが、意識していないだけで周囲にこういう気持ちの押し付けはしてしまっているのだろう。気をつけよう。


幸いにも、姪に渡した図書カードは、それなりに喜んで貰えたようで安心した。漫画なり、参考書なり、小説なり、漫画なり好きなものを買うといいよと、漫画をサブリミナルで推しておいたが、さて彼女はどんな本を選ぶだろうか。

本との出会いは、友人との出会いのようなもので、どんなタイミングでどんなものに出会うかで人生に及ぼす影響は計り知れない。本だけでなく、音楽だとか、スポーツだとか幅広いものが該当するだろうけど、その中でも活字の本は特にイマジネーションとの出会いでもあるから特別に思うのだ。

自分は貰った図書券で、サッカー漫画と、一冊の文庫本を買った記憶があるな。あまりあの当時は活字の本は読まなかったはずなのだが、ライトノベルのはしりだったか、詩集だったか、はっきり思い出せない。

思いつきで決めた図書カードのプレゼントだったが、いまは図書券がなくなったことを知れたし、久しぶりにちびすけ時代のことを深く思い出せたのでよかったな。

考えて行動するのは大事だが、思いつきで転がした出来事もたまには悪くないのだろう。

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