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「地図と拳」

小川哲さんの「地図と拳」(集英社)を読み終わりました。
633ページの大作でしたが、2日で読み終わりました。
日清戦争から終戦までを満州の架空の町を舞台に描いた歴史大河小説です。
戦争の詳しい描写はほとんどありませんが、戦争がどうして起こるのかということを描いています。
書名である「地図と拳」について、登場人物の一人である細川がこんな話をしています。

国家とはすなわち地図であると考えているからです。国家とは法であり、為政者であり、国民の総体であり、理想や理念であり、歴史や文化でもあります。ですがどれも抽象的なもので、本来形のないものです。その国家が、唯一形となって現れるのは、地図が記されたときです。(中略)この世から『拳』はなくなりません。家の中からもなくならないし、街の中からもなくなりません。この国は長らく戦場で、今もどこかで兵士たちが誰かと戦っているでしょう。なぜこの国から、そして世界から拳がなくらないのでしょうか。答えは『地図』にあります。世界地図を見ればすぐにわかることですが、世界は狭すぎるのです。

「地図と拳」(p338~340)

なるほどです。

この細川が提唱している学問に「戦争構造学」があります。これは、地図と拳の両面から、日本の未来を、そして人類の未来を考える学問のことだそうです。地理学、政治学、歴史学、軍事学、物理学、人類学などを含む、領域を横断し研究を重ねていくのです。

学校教育では、平和について教える場面が多いですが、戦争について詳しく教える場面はありません。戦争被害については教えますが、戦争の原因について深く詳しく教えることもありません。
細川が提唱するように、人類の未来を予想するためには、様々な角度から人類が起こしてきた「戦争」を学び、考える必要があると思うのです。

大作のラストシーンは、未来に希望を託すような場面でした。