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物事には必ず両面がある

市内の公立中学校HPに授業の様子が紹介されていました。
タブレットを使った国語の授業で,
➀弁論大会の原稿をタブレットで書く。
②仲間が書いた文章をタブレットを使って推敲する。
という流れでした。

このような授業を見ていつも思うことですが,学級には生身の人間がいるのに,どうしてタブレットを使う必要があるのでしょうか。
効率を優先しているのでしょうか。
国語辞典を使い紙に書いた原稿を持って仲間と交流しながら推敲してもらうような授業ではダメなのでしょうか。

推敲をして変えたほうがいい部分を仲間に言う時に,どんな言い方をすればいいかを考えます。相手の気持ちを考えるということです。
相手によって言い方を変えなければいけません。相手が不快になるような言い方を避ける必要があります。

タブレットを使わない授業のねらいは,以下の3つです。
➀理論立てた文章を書く。
②仲間と交流しながら推敲をすることでコミュニケーション力を高める。
③思いやりの心を育てる。

さて,今日の読売新聞に,解剖学者の養老孟司さんのこんな話が掲載されていました。

物事には必ず両面がある。何かが解決され,楽になることは,何かを考えなくなることでもある。

「読売新聞」(2024年5月14日)

タブレットなどのICT機器が学校現場に急速に広がっています。
授業や教師の仕事でもタイパなど効率を求めるようになりました。
効率ばかりを優先させると,大切なことを失っていくように思います。

目の前の子どもたちをどんな大人にするのか,教師の哲学が問われているのです。