ブログより〜「もっと素敵な自分になるための努力」を、しなくてもいいと思える日が来るなんて

昨年から書いていたブログを
違うテーマに変えたいなーと思いまして
記事を全て削除するのももったいないので
いくつかこちらにお引越しします。

2020年6月

足るを知ること、に憧れていた。

いつも何かを欲しがる状態はつらい。
いつも人と比べるようなことになるから。

それで、ずいぶん長い間、断捨離やらミニマリストやら
その他いろいろな本を読んで
物質的には「足りている」という状態まで来た。

でも、何かが違う。
何が違うんだろう?

きっと私は、日常に楽しみや幸せを見出せないタイプなんだ、と思ってみる。
日々の単調な暮らしはわたしにとって苦痛で
家事は退屈で、いつも同じ遊びじゃ飽きて
場所や物、何かを変えないと刺激が足りない。
いつも刺激を求めるタイプ。

そう、私にとって日常のこまごまとしたことは喜びに繋がらない。
仕事もハードで刺激の多いことをしていたのに、
休みの日にはさらに刺激を求めて出かける。
さらに長期休みを取って、色んな場所に旅行をする。
休みがなかなか取れない時は、買い物でストレス発散。
物を増やすことには興味がなくなっていたので
持っているものをグレードアップさせる、そんな買い方をしていた。

そうして、少しでも日常にテンションが上がるものを持ち込み、
それでも溜まるストレスは旅行で打ち上げ花火のように発散。
それが私の「生き方」だと思っていた。

だから、「足るを知る」なんて、私には無理なんだ。と。

そう見せかけていたけれど、何か心の中で
日常を楽しめないことに罪悪感みたいなものがあった。
けっきょく、毎日何かしらつらいのだ。
だから、起爆剤が必要なのだ。つらい日常を回していくために。
それは健全じゃない。

今、世界に受け入れられたと感じている私は、何も欲しくない。
もう全部足りた。私の物質的な面だけじゃなくて、
精神面まで足りたのだ。
私は、もうほかの誰かになるために頑張らなくていい。
「もっと素敵な自分」になるために、努力しなくていい。

今、私の日常に、起爆剤は必要ない。
家事は相変わらず好きではないから、後回しにはしちゃうけど
少なくとも、苦ではない。

まだ、始まったばかりの新しい日常だけど
これを積み重ねていきたいと思う。

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