見出し画像

神戸元町「ホテルシェレナ」を忘れない

 兵庫県神戸市中央区、神戸元町商店街の南の端に「ホテルシェレナ」というホテルが建っていました。
 ホテルシェレナは1995年の阪神・淡路大震災で建物が損傷し休業となり、紆余曲折を経て2023年に解体されてしまいました。

 ホテルシェレナを忘れないために、2001年から撮り溜めた写真をここに載せようと思います。


ホテルシェレナとは

 ホテルシェレナは三越神戸支店の跡地に建築され、1986年に開業しました。
 開業日はいつなのでしょうか。Wikipediaには9月27日開業とあるのですが、「ジャパンアーカイブズ」というサイトに開業当時の広告が掲載されていまして、そこには9月28日とあります。個人的には9月28日が正しいように思います。

 結婚式場や800人以上を収容する多目的ホール、宴会場などを設けた大きなホテルでした。

 Wikipediaによりますと1990年に東館と西館を増築とあります。ホテルシェレナは3つの建物で構成されていたのです。

 ざっくりとした地図を描いてみました。

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災で全ての建物が損傷し休業されるのですが、株式会社アクセス鑑定の「週刊アクセス」によりますと

東館(約1,820m2)は建設中だった

アクセス鑑定 ホームページ(ヘッドライン) (a-kantei.co.jp)

 とのことで、営業されていたのは本館と西館のみだったようです。

2001年6月16日

 さて、2001年6月16日の写真から見ていきましょう。

 西館と本館です。大きな建物ですね。
 2024年の現在は神戸の街を歩きましても阪神・淡路大震災の傷痕を見ることはまずありませんが、2001年の頃は震災から6年経ったとはいえ傷痕を見ることがまだまだあったものでした。

 当時のコンパクトデジカメ……いや、大きなデジカメでしたけど、まぁ現代のカメラほど性能の良いものではありませんでしたので綺麗には写っていないのですが

 ここ

 飛び出た屋根と「ホテルシェレナ」の文字が見えますね。飛び出た屋根につきましては後でお話いたします。

 ちなみに矢印の部分が神戸元町商店街のアーケードです。

 西館に近付きます。

 ちょっと拡大してみます。
 小さなバリケードが並べられているだけで、いくらでも乗り越えられそうですね。

 とはいえ乗り越えるわけにもいきません。バリケード越しに出入口を撮影します。
 結婚式場も設けられた豪華ホテルだったはずが……布を粘着テープで留めるという形振り構わない目隠しがされていました。

 神戸元町商店街のアーケードに入ります。建物の西側です。
 ここはどのような用途の出入口だったのかな……。

「HARA Hideki's Room」というサイトの「ありし日のホテルシェレナ」というページに1階の平面図が掲載されています。

 平面図によりますとこの出入口のそばに「シェレナバー」があります。恐らくはお酒を飲むバーだったのでしょうね。バーを利用する人に便利な出入口だったのでしょう。

 扉をよく見ますと何か書かれています。三代目山〇組と書かれているような気がしないでもありませんが、分かりません。
 今なら間違いなく綺麗に撮影して残すのですが、当時は今ほどマニア気質がありませんでした。惜しいことをしました。

 アーケードを外れて北側に来ました。西館の裏側ですね。

 こちらは本館の裏側か東館の裏側か……。

ホテルシェレナへの搬入車輛は附近住民の方の迷惑とならないよう徐行運転をお願い致します
ホテルシェレナ

 今となりましては貴重な看板ですね。この看板は

 このあたりに立てられていたのだったと思います。

 しばらく歩きますと

 東館の「ホテルシェレナ専用駐車場」に着きました。

 東側の歩道に面したところです。

 もちろん入ることは出来ません。
 向こうは下り坂になっているように見えます。地下駐車場だったようですね。

 出入口がありました。こちらは本館です。

 建物の中が見えそうですね。

 乱雑に貼られた粘着テープが悲しい……。

 背後の建物が写り込んで見にくいのですが、吹き抜けになっているようですね。手前の紅いカーテンも高級感を漂わせています。

 というか

 ここから撮れば良いじゃんという話なんですが……謎に遠慮してしまったのだと思います。規制線が張られているわけでもないのにね。
 歩道からのたった1歩が踏み出せなかった若い日の私……。

2002年2月3日

 まずは駐車場です。

 高さ2M。

 東側の歩道に面したところです。

 内部は震災の日からそのままというわけではなく、片付けられているようです。

 先日は遠慮して踏み出せなかった1歩を踏み出して出入口の扉のところから撮影しました。

 左を向いたところです。

 さて、

 本館の正面にやって来ました。

 レリーフというのか何というのかよく分かりませんが、現役の頃は高級感を醸し出していたのでしょうね。
 その向こうに瓦礫が積み重なっているように見えます。

 どうして建物から少し離れて撮影した写真がないのだろう……あぁ、バカだなぁ若い頃の私よ。

2002年12月23日

 西館のあたりへ来てみましたら

 あれ!?
 バリケードで囲まれています。以前は

 このように開け放たれていましたのに……。
 バリケードの向こうを撮影すべく手を伸ばしますと

 ぎゃーす!
 随分派手に割られていますね。なんてこった……。ガラスを割って不法侵入したホテルシェレナは楽しかったですか? 要らんことしぃなや……。

 本館の正面です。

 これはどう撮影したのかな。どこかの隙間から手を差し入れたのかな。まるで記憶にありません。
 左側の壁に生々しい傷痕が残っています。その下のスピーカーは昔の学校のようで懐かしさを感じますね。

 というか上だけでなく下も撮影しておけよという話ですよね、21年前の私。

 まぁ嘆いても仕方がありませんので東側に向かいます。

 吹き抜けに階段です。
 高級感のあるホテルだったのでしょうね。今となっては寒々しい雰囲気ではありますが……。ブルーシートや会議机も見えますし。

 こちらは事務所に置いてあった細々した何かといったところでしょうか。

 ここは先日も見ましたね。視線を下げますと

 おぉ!?
 2月3日はこのような様子でした。

 明らかに人が入った形跡がありますね。それが関係者なのか不法侵入者なのか分かりませんが……。

 手前は手提げ袋のようですね。ホテルシェレナのオリジナルであるとすれば今となっては貴重な品なのですが。

 右下には紅いハンガーが集められています。紅はホテルシェレナのテーマカラーだったのでしょうか。

 しかし何より気になりますのは

 布団!
 何枚も重ねられていれば片付けたのだなとしか思いませんが、この1枚だけ……。

 えー……誰かここで寝泊まりしていたのでしょうか。歩道に面しているとはいえ窓には目隠しが施されていますので、私のように覗き込む人間が現れない限りは意外と気が付かれないのかも知れません。いや、この広い空間で眠るのは強いメンタルが必要な気も……いや、そもそも不法侵入するなという話……。どこから突っ込めば良いのか分かりません。

2003年10月18日

 おわぁ!
 ネットが掛けられています。

 見上げても……。こうなる前に撮影しておけという話なんですけどね。

当社占有中につき
立入りを禁止する
(株)フジタ

 ここはどこだったかな……。まるで記憶にありません。
 画質が妙に粗いのは暗い場所なうえに当時のコンパクトデジタルカメラでデジタルズームを行っているからです。
「フジタ」について検索してみますと、どうやらホテルシェレナの施工者のようですね。

 占有中とは穏やかな響きではないように思います。まぁこの記事の本質から外れますので深くは書きませんが。

2005年1月15日

 久し振りにやって来ました。ネットが掛けられたというだけで解体工事が始まったわけではないのですね。

 西館にネットは掛けられていません。

 バリケードはそのままです。バリケードの上に手を伸ばして……

 2002年12月23日はこのような様子でした。

 そして今……落ち葉やゴミが溜まっていること以外は変化がありませんね。

 本館はどうなっているのでしょう?

 こちらもバリケードで塞がれてしまいました。

 こちらは本館の東側だったかな……記憶が曖昧です。

 いつもの中を覗けるあたりに向かいますと

 粘着テープで留められた目隠しが剥がれ落ちていますね。残っている目隠しもいつ落ちることか……。
 落書きやポスターの跡も痛々しいです。

 そんな窓から中を覗いてみますと

 ステンドグラス風の窓も一部が剥がれ落ちてしまっています。

 ナニコレ……。
 柱というのか壁というのか、中身が剥き出しになっています。2本立っています短い筒のような物も何なのでしょうね。

 吹き抜けがあって……

 会議机。

 奥に見えますのは灰皿でしょうか。元々この場所にあった物か分かりませんが……1995年ならあったのかも知れませんね。

 進みます。

 進んでも落書き……。酷いものです。

 地図が貼られていました。
 このあたりの土地勘があればあるほど混乱しそうな地図ですよね。神戸中央郵便局がこの形なら地図の下側が神戸駅で……あれ、違うの?

 話が脱線してしまいますのでホテルシェレナに戻りましょう。

 壁や柱の中身が剥き出しになっているのは建物の損傷具合を確認した跡なのでしょうかね。それとも単純に地震で剥がれ落ちたのかな……。
 矢印の先は2階へ続く階段です。

 以前見ました、布団が置かれていたあたりです。

 布団は健在ですね。場所が動いているように見えます。管理されている方が動かしたのか、誰かが寝泊まりしたのか……。

 向かいの神戸中央郵便局の窓にホテルシェレナが映っていました。普通に撮りなよという話なんですけどね……。
 写真の右側に映っていますのが本館、左側が東館です。

 以前見ましたこの出入口は

 塞がれてしまっていました。

 東館を見上げます。

 こちらも東館と思います。

 この部分は何だったのでしょうね? 階段を上って進んだからといって出入口がありそうに見えませんよね。

 ホテルシェレナ専用駐車場はどうなっているのでしょう。

 特段変わった様子はありません。

 このときは違う角度からも撮影していました。先の写真は道が地下へ続いていましたが、こちらは上層階へ続いています。地下駐車場だけではなかったのですね。

 ところで3年前に撮影しました写真は

 こちらです。2005年のときは新しいカメラで撮影したわけですが、まぁ随分と綺麗に写るようになったものです。

 2024年の今となりましてはスマートフォンのカメラでももうちょっと綺麗に撮れるやろという話なんですが、デジカメの進化を肌で感じられた時代だったのですよ、当時はね。

 おっさんの昔話はほどほどにして、いやまぁこの記事自体が昔話もいいとこなんですが、先へ進みましょう。

 ここはどこだったかな。北東のあたりだったかな……。

 東館を北側から見たところ……と思います。手前に重機らしき何かが見えますね。

 東館の北側に「アーバネックス元町通」というマンションが建っていまして、その完成が2006年2月頃なんです。
 この写真が2005年1月15日ですので、建築が始まったところだったと推測します。

 ここはどこかな……恐らく東館を西から見上げたところと思います。

 外灯が立っていました。アシンメトリーなデザイン……ではなくて笠と電球がどこかへ行ってしまったのでしょうね。

 2003年にも撮影しましたこちら。2003年の写真が

 これですから、劇的な進化ですよねぇ、デジカメ。

 ホテルシェレナ通用口。

 今となっては貴重過ぎるホテルシェレナの郵便受けもありました。家庭用と言っても差し支えのないサイズですが、これで間に合っていたのでしょうかね……。
 それより驚くべきは郵便物が入っているということです。いつ、どこから届いたのでしょう……? そして誰かが定期的に回収しに来られていたのでしょうか。

御用の方は
このインターホンを
押して下さい。
ホテルシェレナ管理課

「ですよね」としか言いようのない説明を掲示してくれるのは親切というのかなんというのか。まぁ説明されなきゃ分からない人だっていますよね、知らんけど。

 駐車場はこの先という案内だったようです。

 要所要所のアップの写真ばかりで全体像が分かる写真を撮影していないのが本当に悔やまれますね。

 西館の北西あたりだったと思います。

 こちらは神戸元町商店街に面したところだったと思います。「明治維新開港當時關門趾」。
 何でしょう? 検索してみましたところ1867年(慶応3年)に外国人居留地を設けた時、密貿易を防ぐ目的で置いた14の番所の1つとのことです。
 碑の下側に説明が書かれているようなのですが、アップで撮影していませんでしたので読めません。

 さて、

 神戸元町商店街に面したこの出入口は

 バリケードで塞がってしまっていました。

 落書き……。「喧嘩」を漢字で書いているところに驚きます。

 見上げたところ。左上に見えますのは商店街のアーケードですね。

 バリケードの上に手を伸ばして撮影してみます。

2006年5月21日

 西館からスタートです。

 バリケードの上に手を伸ばしての撮影ですのでアングルはでたらめです。

 よく見ますと窓の向こうは段ボールや……寂しい。

 同じくバリケードの上から撮影したものです。

 本館にやって来ました。

 パネルゲートと呼ぶのでしょうか、人の出入りが始まっているようです。

 どこかの隙間から撮影したのだったと思います。何の木材なのでしょう?

 本館のエントランスにあたる部分でしょうね。

 かつてはドアマンが待機されていたのでしょうね。

 この中身は何なのでしょう。

 さて、どのあたりで撮影したのか記憶にないのですが

「公示書」が掲示されていました。難しいことは分からないや……。

「物件目録」。住所を調べますと東館のようです。東館は地上13階、地下2階。

 こちらの住所は本館のようです。本館は地上12階、地下1階。

2006年6月4日

 外観を撮影することの重要さにようやく気が付いたようです。遅いよ、私。

 ホテルシェレナの本館には「スカイチャペル」と呼ばれる結婚式場があったそうです。

「月刊神戸っ子」にスカイチャペルらしき写真が掲載されていました。

「月刊神戸っ子」1987年6月号

 晴れた日の結婚式、素敵ですね。

 高級感のあるカーテンが寂しく佇んでいます。

 バリケードにポスターが貼られていますね。

 おぉ、神戸を拠点とするプロレス団体「ドラゴンゲート」のKOBEプロレスフェスティバル2006のポスターではありませんか。私がドラゴンゲートの観戦を始めるのはここから13年後なのですが……まぁそれは別の話。

 本館を東から見たところです。5本並んだ大きな柱が印象的ですね。

 視線を下げたところ。

 これまで何度か内部を覗き見ましたが、外観は初めてですね。

 右手に見えますのは東館です。

 東館の向こうに見えますのは先日は建築途中でした「アーバネックス元町通」です。立派に完成しましたね。

2007年1月4日

 さて、半年以上振りのホテルシェレナですが……。

 西館のバリケードは相変わらずです。その向こうはどうなっているのでしょう?

 おぉ、清掃用具が置かれています。管理はされているようですね。

 お次は本館……

 ぎゃーす!
 パネルで覆われてしまっています。

 とうとう解体が始まってしまいました。まぁ仕方ありませんよね。

 阪神・淡路大震災が1995年ですから解体が始まるまでに10年以上が経過しています。何故これほどの時間が掛かったのでしょう?

 解体に至るまで色々とあったようですが……まぁご興味がおありの方は検索してみて下さい。

 解体が始まってしまった本館ですが、かつてホテルシェレナでの結婚式は若い女性の憧れだったそうです。

「月刊神戸っ子」1990年2月号

 実際に多くのカップルが式を挙げられたのでしょうね。

「月刊神戸っ子」1991年11月号

 また、本館の11階では「フランス料理レストラン ロワール」が営業されていたようです。
 左上に見えます「グルメディア KOBE '91」とは何ぞ……と思いましたら、1990年代の前半頃に街をあげてのイベントが毎年開催されていたようですね。

「月刊神戸っ子」1993年10月号
「月刊神戸っ子」1994年2月号

「期間/平成7年6月30日まで」が今となっては泣かせます。

 さて……

 東館はそのまま残っていました。

 本館と東館の境目です。

 裏側の道に向かいます。

 さようなら本館……。

 写真の左下をよく見ますと

 看板が残っていますね。2001年に撮影したときは

 このような姿でした。変わり果ててしまわれた……。

 外灯。夜は点灯……さすがにそれはないか。

 本館と東館の境目です。

 東館の屋上に小さな建物のような屋根が見えますね。東館は建設中だったということですが、こちらにもスカイチャペルが設けられる予定だったのでしょうかね。

2007年4月8日

 おぉおおおおおおお!

 本館が解体され、東館の屋上のチャペルらしき建物が見えるようになりました。結構な大きさですよね。

 南東から見たところです。

 西館の断面図……いや、断面ではないか。見えるはずのなかった階段が姿を現しています。

 東館を見上げます。このような姿を晒すことになるとは阪神・淡路大震災の前は想像もしませんでしたよね。

 ちょっと拡大してみます。デジカメの進化を実感します。
 本館と繋がっていた部分でしょうかね。

 チャペルを見上げます。

 桜が散り始めていました。このチャペルもいつまで見ることが出来るのでしょう。

2007年5月27日

 本館の解体が完了し、パネルの撤去が進んでいます。

 まずは東館を見てみましょう。

 ゲーム脳としては色々と想像してしまいますよね。ハシゴなのか、ジャンプなのか、上がるのか、下がるのか、キルスクリーンはどうするのか……。

 続いて西館です。

 こちらも想像力を刺激されますね。

 さて、

 このあたりにやって来ました。西館を見上げましたら

 お、おぉぅ。

 えげつないね……。
 というかこれは地震でこうなったの? うーん?

2007年8月12日

 西館の角にネットが……よく分かりません。

 うぉ!
 東館がパネルで覆われようとしています。こちらもいよいよ解体が始まるのですね。

 東館のスカイチャペルも見納めです。

 新婚さんを迎え入れることなく解体されてしまうのね……。

 本館……綺麗に解体されたものです。バリケードの向こうはどうなっているのでしょう。

 どう撮影したのか記憶にないのですが、バリケードの向こう側の写真がありました。

 裏側へ来てみました。すっかり変色してしまった看板……。

 残された西館はどうなるのでしょうね。

 板……。

 見上げます……んんん?

 うぉ! 穴が塞がれてる!

 5月27日はこのような状態でした。
 わざわざ塞いだということは、西館は解体しないということなのね?

2009年3月21日

 ご無沙汰してしまいました。ちょっと色々ありまして……。

 うぉ!
 本館の跡地に大きな建物が登場していました。え、前回が2007年8月でしたので、1年7ヶ月で建ったの? すご過ぎない?
 この建物は公益財団法人木下記念事業団の神戸学生会館とのことです。

 西館は……そのままのようですね。

 すっかり野ざらしになってしまった階段を見上げます。

 誰かが物を投げたのか、蹴ったのかと思いたくなる穴が開いています。

 パイプ。

 足元が網目状というのがまた怖さを膨らませていますね。

 踏み出せば上れますが……やめておきましょう。

 西館のバリケードの向こうを覗いてみます。あれ、割れたガラスが片付けられていますね。

 落ち葉やら何やらも綺麗になくなっています。

 何かが始まろうとしているのでしょうか……。

 神戸元町商店街のアーケードに面した出入口には自動販売機が設置されていました。バリケードのままであるより良いですね。

2009年10月18日

 一眼レフカメラを購入しましてね。2001年の頃のデジカメに比べますと見違えますね。

 まぁカメラが良くなりましても撮影する人間の腕や撮影する対象は変わらないのですけどね。

 朽ちることも誰かが踏み抜いた様子もありません。

 ところで……

 ズームしても綺麗! 買って良かった一眼レフ!

 初めてコンパクトデジタルカメラを購入して日常的に持ち歩くようになったときは世界がそれまでと違って見えたものでした。毎日歩いていたこの街は気になる被写体で溢れていたんだと。一眼レフカメラはその再来ですね。

 ファミコンからスーパーファミコン、そしてプレイステーションとゲーム機の進化を目の当たりにしたときと似ていますね。
 年齢を重ね、カメラの技術革新も頭打ちになった感がある昨今、世界が違って見えるという衝撃はもうそうそう味わえないんだろうなぁ。

 いつも通り西館のバリケードの向こうを覗きます。

 んんん?

 貼り紙が見えますね。何が書かれているのでしょう……というか誰向けのメッセージなのでしょう。読める立場にいる人が宇宙に何人いるのか……。私のような人間に向けて「覗くな」と書いてあったりするのでしょうか。

 阪神・淡路大震災から14年以上が経過しています。西館はどうなるのでしょう……。

 神戸元町商店街側に移動します。

 かつてはイベントの案内が掲示されていたのでしょうか。

 レリーフというのか分かりませんが、何気なく設置されているこれも作るのにどれだけの時間と費用が掛かっていたのでしょうね。

 ホテルシェレナのロゴマーク。HとCですよね、多分。

 裏側へ来ました。

 何故か町名の表示が取り付けられ、そして半壊しています。どうして。
 この看板もいつまで見ることが出来るのでしょうね。

2010年4月4日

 健在でした。

 西館の裏側です。

 さすがに見慣れて来た感がありますね。

 かつては非常階段があったのでしょうかね。

 壁……。

 近付いてみたい……けど近付きません。

 ところで

 この「明治維新開港當時關門趾」の

 説明をようやく撮影していました。

居留地西関門跡

 この碑は、明治維新時の兵庫港開港に先立って、慶応3年(1867)に外国人居留地を設けた時、密貿易を防ぐ目的で置いた11の番所の1つで、西国街道(現在元町通)にあった関門跡に建てられたものです。
 ここの関門は西関門と呼ばれ、明治4年(1871)に撤去されるまで、東関門とともに居留地をまもるうえで最も重要視されていました。

 自動販売機は健在です。そして

 ドラゴンゲートのポスターや……当たり前ですが皆さん若いですね。

 さて、いつものように西館のバリケードの向こうを覗きましょう。

 何か変化はないかな……?

 んんん……2階部分に何かが置かれているぞ!?

 ソファですかねぇ?

 建物の中に大きな家具が残っていたというのも驚きですが、それを片付けたというのもまた驚きです。

 段ボール箱の「奥様メモ」が泣かせます。

 こちらは特に変わりなさそうですね。

 さすがにちょっと飽きてきましたね。

 劇的な変化があるわけではありませんし……。

2010年7月18日

 ぎゃーす!
 侵入者がいたようですね。どうやって入ったのでしょう……。罪を犯して楽しかったですか?

 夏ですね……。
 写真はもう何枚かあるのですが、掲載するのはやめておきます。さすがに同じような写真ばかりですのでね……。

 バリケードは相変わらずです。

 おぉ?

 椅子などが並べられています。何が始まるの……。そろそろ教えてよ!

2012年7月21日

 2011年5月に神戸から大阪へ引っ越しましてね。元町へ来ることも少なくなってしまいました。というわけでお久し振りのホテルシェレナ……

 おぉ! バリケードが撤去されています。

「グランドールプラザ神戸レジデンス」おぉおおお! 何が起こっているのホテルシェレナに。

 ホテルシェレナはまさかまさかの賃貸住宅として復活を遂げようとしているのでした。予想外の展開!

 グランドールプラザ神戸レジデンスの公式サイトによりますと

神戸「三宮」徒歩圏内でありながら、都会の喧騒から解放される西元町。
神戸高速鉄道「西元町駅」と地下で直結という、
最高の立地条件を誇る高級賃貸マンション。
それが『グランドールプラザ神戸レジデンス(旧ホテルシェレナ西館)』です。
旧三越店の重厚な美しさをそのままに-。
偉大なる建築家アントニン・レーモンドゆかりのホテルが、
時代を超え、機能的で快適なマンションとして生まれ変わりました。

グランドールプラザ神戸レジデンス公式サイト

 とのことで……。

旧三越店の重厚な美しさをそのままに-。

グランドールプラザ神戸レジデンス公式サイト

 確かに三越の跡地に建てられたホテルシェレナではありますが、解体して建て直しているはず……。三越の建物をそのままホテルにしてそれがマンションになったと読めてしまいますよね。

機能的で快適なマンションとして生まれ変わりました。

グランドールプラザ神戸レジデンス公式サイト

 元々はホテルの客室なわけで、快適さはともかく機能的なんでしょうかね……。1日や2日だけ滞在するのとそこで生活するのとでは求めるものが違って来そうですけども。

 事務室? 工事関係者の休憩室?
 よく見ますと座って新聞を読んでいる方がいらっしゃいますね。なんかごめん。

 はい。

 神戸元町商店街側の出入口もバリケードが撤去されていました。

 ホテルシェレナのロゴマークはどうなるのでしょうね?

 こちらのバリケードも撤去されていました。

 凝った扉だなぁ。

 おぉ!
 あの恐怖階段が生まれ変わっています。

 裏口は……まぁこれからですかね。

2013年3月24日

 ホテルシェレナ改めグランドールプラザ神戸レジデンスはどうなったのでしょう?

 入ってみたい……。
 カメラを構えていましたら買い物袋を手にした住民らしき男性が建物に入って行かれました。

 警備会社のステッカーが貼られています。

 こちらには「防犯カメラ設置」のステッカーが貼られていました。

 ところで気になるお部屋なのですがグランドールプラザ神戸レジデンスの公式サイトを見ます限りはホテル時代の間取りそのままで、洗濯乾燥機とキッチンを後付けしただけのものだったようです。
 家賃は67,000円から98,000円が中心とのことで、決して安くはありません。
 どれだけの部屋が埋まったのかは分かりませんが、暮らすというよりは仕事場や別荘としての使い方が多かったのだろうと想像します。

 公式サイトは2013年に登場したものの2014年には何故か「ただいま準備中です」の文字が表示されるだけになりました。ドメイン自体は2022年頃まで維持されていたようです。

2018年12月15日

 あれ!?
「DAIICHI GRAND HOTEL Nishimotomachi」とは? グランドールプラザ神戸レジデンスはどこへ?

 うーんまぁ入居者が集まらなかったのでしょうね。お察しします。

 営業されている雰囲気はありません。

 外国人観光客が増えている昨今、賃貸住宅よりはホテルとして再出発する方が儲かりそうですよね。

 こちらの出入口は変わりないようです。

 裏口も。

2022年5月7日

 あれ!?

 解体しちゃうんですか!

 ホテルとして再出発しようとされていたものの、営業されることはなかったようです。新型コロナウイルスの影響かと思いましたが、先の写真が2018年12月15日でしたので1年以上の時間はあったはず……。何がどうなったのでしょうねぇ。

 最後まで残っていた西館も解体され、跡地にはマンションが建設されるそうです。
 阪神・淡路大震災がなければ観光地の巨大ホテルとしてインバウンドの恩恵を受けられたのでしょうけどねー。

 阪神・淡路大震災の後、被災した人たちは「地震前」「地震後」という言葉をよく口にしていました。
 あれから30年近くが経ち、私の中の「地震後」が終わりを告げたように思います。

 さようなら、ホテルシェレナ。

読み終わられて「面白かった」「役に立った」「他の記事も読みたい」などなど思われましたらサポートを是非よろしくお願いします。