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すずめの戸締りは想定以上に面白かった

新海誠作品は初視聴だったのですが、細田守とは違った意味でゲームライクな作品だなーって感じでした。
一口にゲーム的な作品といっても
細田守はどちらかというとゲームデザイナー的要素が強い作品で、竜とそばかすの姫とか見てもゲームシステムを作品に取り入れることが好きそうな感じがしました。
一方、新海誠は本作を見る限りではゲームシナリオライター的な側面が強く、例えば、堀井雄二的な感じ?本作、すずめの戸締りでも序盤のすずめの旅立ちの描写がのりというか勢い重視で強引に進める手法は古典的なRPG的シナリオを彷彿とさせました。自分的にはFF3に近いかなー。Twitterのつぶやきにも書いたけど、行く先々の人が鈴芽に親切に服とか帽子とかあげるのも見る人によってはご都合主義なようだけど、まぁ、RPG作品と思えば鈴芽は人々から親切にされる権利はあるのです、だって世界を救う主人公だもの、暴論なのは重々承知してますが。
で、ここまで書いておもったのは、本作のわかりにくいというか、見ている人にもやもや感を与えているのは
鈴芽が目に見えている厄災の予兆っていうのは他の人には見えておらず、鈴芽が世界を救う主人公っていうのが他人には全く伝わっていないこと、
だろうな。
だから、行く先々の人が親切を受けるのは人によってはご都合主義ととらえるかもしれない。でも、新海誠は一応、そのあたりのご都合主義的な面に対する答えというか配慮もしていて、鈴芽は他人から受けた親切に対してきちんと対価として労働を提供していて受けた恩に報いているんだよな、そのあたりの描写はなぜか昭和レトロだったっていうのも面白かったな、個人的に。

後、なんか、SNSのトレンドなのか知らんけど、
「地震の描写がどうたらこうたら」
っていうのが話題になっていたけど、逆にそんなものがなぜトレンドに上がるのかわからないほど直接的な地震の描写は薄かったなって印象だ
逆に、個人的に印象に残ったのはラストの鈴芽の故郷の描写だよ。
彼女の故郷は放棄された分譲地なのだけど、最近、限界タウン探訪記

なる放棄分譲地に関する動画を見ているから、作品で描かれる放棄分譲地はものすごくよく描けていて、そのリアルさが最後の常世の禍々しさの大きさにリンクしているっていうのは、リアルな描写とファンタジックな描写のバランスというか融合っていう意味では秀逸だよなって思ったり
後、ラスト、完全に戸締りじゃなくて鈴芽の記憶の欠落を埋めるというか取り戻しに「ただいま、今から行くよ」って扉を開ける感じだったね。このタイトルとのギャップを狙った演出もよかったなー

最後に、色々書いたけど
一人の女の子が
一生懸命走って
一生懸命泣いて
一生懸命笑って
一生懸命喧嘩して
一生懸命好きな人を想う
っていうのは話のつじつまが多少合わなくても、見てて気持ちいいなって思ってしまった
作画のクオリティも高いので映画館で見たほうがいい作品、ですね

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