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京都 29歳 冬

京都に行くのは気が進まなかった。
そもそも、旅行先に京都を選んだのは私だ。
でも、行きたいと言ってから、実際に行くまでの間に、仕事でも私生活でも慌ただしい日が続いたので、正直、疲れていた。

高校の修学旅行先といえば京都というのが、私の住む地域の定番だ。
きょうだいもそうだったし、隣の高校もそうだった。
でもそれ以来、京都には行ったことがなかった。最初で最後の京都が、高校生のとき。
 
大人になって、歴史なんか詳しくないのだけれど、和の趣を感じることも素敵かもしれない、と、行きたくなったのだ。初めて日本を訪れる外国人みたいに、大人になってやっと、名所を見てみたいという気持ちになった。
 
友人と二人、冬の京都を歩いた。本当に、歩いて回った。
ある程度の行き先は決めていたけれど、気になるところにも立ち寄る。食べたいものは食べる。大人だから成せる、自由な旅だった。

この自由さがカチッとはまって、いつのまにか、料亭で天ぷらを食べていた。

モーニングが食べられる喫茶店に向かって歩いていると、高級料亭然とした建物に出くわした。こんなところで食事する人生があるのかな、なんて話しながら、喫茶店へ。コーヒーを待つ間に、さっきの料亭で食事してみるのはどう?と提案された。今日の旅は余白だらけで、少し遅いランチなら今からでも予約できそう。
さっき見たばかりの、いわれも何も知らない、おそらく高級なのであろう店で、天ぷらを食べる人生が、今日、自分の人生になった。

予約の時間に店に向かうと、和装の方に出迎えられる。
順次、天ぷらが運ばれてくる。
大人だから、ついでにお酒なんかも飲んじゃう。

天ぷらはおいしい。
料亭だからおいしいのか、揚げたてだからおいしいのか、旅の高揚感がおいしく感じさせるのか、多分、全部なんだと思うけれど、おいしい。

2時間弱のコースを終えて、途中、お店の人には聞かれないように、こういう個室で秘密の商談とかしているのかな、なんて想像を言い合いながら、店を出た。もうすぐ、夕日が見える時間だ。

夜になっても食事をとる気分にはならず、また私たちは歩いた。
自分がいま京都にいる、という新鮮味は少しずつ薄れ、さらには、高級な食事への背徳感にも近い気持ちを抱え、歩きながらの話題は街並みの話から自分の話へと変わっていく。
それぞれの話を少しずつ、基本的には多少のぼやかしを入れながら、時には、職場が違うことをいいことに一挙一動をありありと再現しながら、話した。

そんなことをして、名所をめぐり、時には路地に入り、京都を歩いた旅だった。
帰りの新幹線に乗るころには、疲れていたけど京都に来てよかったんだ、と思える。そう思いたいだけなのかもしれない。でも、私は今、京都に来てよかったと間違いなく思っている。

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