見出し画像

ITサポートの原体験<Vol.1>

なんだかんだと『情シス歴』が10年を超えた今、2019年のアドベント・カレンダーをキッカケに【なぜ、自分は、この仕事を続けているのだろうか?】と立ち返って見る事にした。
  
振り返って自分の歩いて来た道を振り返る時、改めて自分の使命(ミッション)に立ち戻った。
『自分のITスキルを、人助けをしたい。感謝される事でお金を貰える事に、喜びを感じる。』と言う事に。

『パソコンを直すと、感謝されて、お金を貰える。』これが、自分のITサポートの、一番最初の体験だった。今回は、その話について書いてみようと思う。

1998年~2002年、自分の大学時代に一番長く続けたアルバイトが『パソコンの出張サポート』だった。

最所は、大学の学内で、学生向けのコンピュータルーム(学内は全てMacを使用)の管理アルバイトをしていた。学生向けのPCの貸し出し等をしているうちに、外に出て稼いでみたいと思ったのだ。
世間では『Windows 98 SE』が登場。学内のMacもピザボックス型の『Power Macintosh 6100シリーズ』から、5色の『iMac G3』に変わろうとしていた頃である。
 
   
と、そんなこんなで、とある大手ソリューション・プロバイダー(現在のWikipediaにはそう書いてある。笑)のアルバイトに意気揚々とエントリー。
   
面接では「そんなに得意だと言うのなら、ぜひうちで働いて欲しい!」と、早速、八王子にあるパソコンショップ(サテライト店舗)にて『PCドック』担当として、働く事になった。
(今、思えば、実力が無いのに、口だけは一人前だったと思う)
 
しかし、初日からWindowsの故障機が持ち込まれ、コマンドプロンプトを熟知していない事を指摘される。
「トリング君には、ドック担当は未だ無理だな~」と言われ、翌週、別事業部に行くように言われる。
 
 
その別部署が『PC出張サポート事業部』だった。当時は、ISDNルーター設置が真っ盛り。中でもYAMAHAのNetVolante『RTA50i』という機種のセットアップ案件が、とても多かった。
(この2~3年後には「Yahoo! BB」が、駅前でADSLルーターを配っている時代が来るのだけれど、当時は、まだアナログ回線やISDN回線でのセットアップが当たり前だった)


めでたく、自分の1件目の訪問【初めてのPCサポート案件】は、逗子のとある一軒家のお宅。お宅に設置されているPCは『Macintosh Performa LC575 シリーズ』だった。

訪問直前、本部からメールでお客様の問合せ依頼の詳細が届く。
「ダイアルアップ接続でMacをインターネットに繋げて欲しいが、モデムが故障しているかも知れない。」との事。ついては、トリング君のほうで、トラブルを切り分けてしてきて欲しい」との事。
  

そして実際に訪問。訪問後PCは無事に起動。(MacOSは、漢字Talk7だったかな?)

事前にダイアルアップの設定についてはMacOS 8.1ベースで調べていたので、手順に沿って確認。
 
しかし、いきなりつまづく事に。

なぜなら、ダイアルアップ接続の設定画面が『すべて英語』だったのだ。
お客様は「Free PPP」というソフトを使って、アナログ回線でインターネットに接続。その上で、ブラウザ「Netscape Navigator」を立ち上げてブラウジングをしている、との話だったのだ。

Mac OS 8.1は全てのメニューが英語だった。
しかし訪問まで、自分は一度も、英語のPPP設定をした事が無かったのだ。
画面を見ながら、約3~5分ぐらい、沈黙して居ただろうか?
 
偶然、カバンの中に持参していた「デイリーコンサイス」をめくりながら、TCP/IPの空欄を埋めていく作業。
脳内では、「TCP/IPのIPって『インターネット・プロトコル』って事だから、通信するための規約って事?」なんていう具合である。
 
今から、振り返れば、「日経ネットナビ」や「インターネットマガジン」みたいなダイアルアップ接続先が書かれている、雑誌を持参するとか、解決策は有ったのだが、当時はGoogleも無いし、携帯電話に、やっとメールが搭載された位の頃。
 
つまり、経験値を沢山積んだ人が優秀で、今のように、素人がネット調べて直ぐに解決出来るような状況では無かった。そして、そもそもインターネットに繋げる作業自体が、今のように簡単では無かった。


結局、2時間以上『Performa LC575』と格闘するも、内蔵モデム(NuBusの内蔵モデム)は無反応のまま。
「ピー」や「ガー」の音の反応も一切無し・・・。
 
本部から携帯宛に折り返し電話を貰い、状況を説明。解決出来なかった事を伝える。
そして本部からは、お客様から費用を回収した上で、撤収するように言われる。
 

何が辛かったかと言えば、PCドックでも挫折し、その上、町田→逗子まで出張サポートに来た挙げ句、何も解決出来ないで、お金を貰った事だった。

最終的に、故障診断の結果『モデムの不良』と書き記し、お客様から書類にサイン、診断料+基本出張料の約14,000円を頂戴した。
  
この1件目の訪問での帰り道、無力感で一杯だった。
トラブルでの訪問が事前に分かっていたのに・・・・。
 
・何の準備もしていかなかった
・現場で出来る事について、もっと別の手段や方法があったのではないか?
・自分のスキル不足のせいで時間不足になってしまった。その結果、お客様に迷惑を掛けてしまったのではないか?
・PCの専門用語を自分がもっとキチンと理解していれば、自分自身が納得できる説明を、お客様にも出来たのではないか?
  
『ああ、ココは、本当は、こうすれば良かったのでは?』という後悔の数々。
こうして自分の初めてのPCサポートは、ほろ苦い経験で幕を落としたのだった。
 
 <了>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?