推しのかえるくん
ふと昔読んだ絵本を思い出して、Amazonで検索、ほしい物リストを作成した。
アーノルド・ローベルの「がまくんとかえるくん」のシリーズ。正確に思い出せるわけではないのだけど、私の記憶では、「おてがみ」という物語の中で、がまくんの自己中心的な病みっぷりに対し、かえるくんの寛容で献身的な姿が印象的だった。がまくんを面倒臭く感じつつ、かえるくんの優しさに癒された時間だった。
現実世界でかえるくんがそばにいてくれれば、それだけで心強く生きていけるに違いないと思うと同時に、自分がかえるくんのような人でありたいという、他者と自己の境界線を曖昧にさせる願望が、今思い出しただけでも胸を温かくざわつかせるのである。
人に憧れる時はいつもこのような感情があり、恋愛感情とはなんだか違うものであることは昔から感覚として理解していた。(かえるくんは人ではないが)
これが「推し」というものなのか⁉︎
実は、世間が当たり前のように使う「推し」という言葉を正確に理解しているのかいささか自信がない。「〇〇のファンです」と「推しは〇〇です」はイコールなのだろうか。「推し活」には、「応援してグッズを買い漁る」行為が必須だろうか。「眺めて癒される」だけでは不十分なのだろうか。あと、二次元のキャラクターを推しにしている場合、「応援」とは何を意味するのだろうか。
結局のところ、「推し活」は純粋な個人の幸せの行為であるからして、私が幸せを感じられる対象を得た事が尊いのである。他人がどんな推し活をしていようと構わない。私は私のやり方でかえるくんを崇め奉るのが、すなわち推し活なのであろう、と勝手に納得することにする。
Amazonに出ているグッズなど数は限られている。ジブリやTDL並みにグッズストアがあれば定期的に詣でるものを、推しだけに惜しい。。(急なオヤジ化)