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古今東西刑事映画レビューその26:ボーン・コレクター

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

2002年/アメリカ
監督:クリストファー・ノーラン
出演:アル・パチーノ(ウィル・ドーマー)
   ヒラリー・スワンク(エリー・バー)
   ロビン・ウィリアムス(ウォルター・フィンチ)

 眠りたいのに眠れない夜と言うのはつらいものである。翌日に仕事を控えている日などは特に最悪だ。目を閉じ、羊を数えてみても、百匹くらいたやすく数えられてしまう。壁時計の秒針の音がやけに大きく感じられ、ただいたずらに過ぎて行く時間が焦りを募らせる。布団の中で、何度も寝がえりとため息をうち、とうとう一睡も出来ないまま目覚しのベルが鳴る──そんな経験は、誰もが持つものだろう。
 一晩、二晩程度なら「昨日はよく眠れなかったなあ」で済む話だが、これが三晩、四晩と重なるとそうは行かない。思考は止め処なく拡散し続け、疲労はぬぐってもぬぐっても消えないだろう。今夜は眠れるだろうか、明日は眠れるだろうかと、睡眠自体がストレスになる。今では非常にポピュラーとなった「不眠症」の入り口に、その人は立っているのかもしれない。
 この映画のタイトル“インソムニア”は、「不眠症」を意味する英単語である。そして登場するのは、不眠症に悩まされるベテラン刑事、ウィル・ドーマーだ。演じるのはアル・パチーノ。ニューヨーク市警の殺人課で辣腕をふるうウィルは、アラスカ北部の寒村で起こった殺人事件の捜査応援に派遣される。
 ファーストシーンはセスナ機の下に広がる氷河だ。青みがかった氷の柱、巨大な杭のようなそれが見るものを圧倒する。タイトルはあくまで静かに。早速、クリストファー・ノーラン監督の味が出ている。
 相棒のエッカート刑事(マーティン・ドノヴァン)と共にセスナを降りたウィルを、地元警察のエリーらが出迎える。一見平和に見えるこの村で、17歳の少女が撲殺される事件が発生したのはつい48時間前のこと。ウィルとエッカートは早速捜査を開始する。十数年前に一世を風靡した連続ドラマ“ツイン・ピークス”のような出だしだが、展開していくのはあくまでリアル、シリアスなサスペンスである。
 ウィルとエッカートのコンビは、深刻な問題を抱えていた。ニューヨーク市警の内務監査部が、過去のウィルの捜査についての証言をエッカートに求めていたのだ。自分への監査を逃れる代わりに証言をしようとするエッカートと、それを拒むウィルの間の信頼は揺らぎ、コンビの仲は崩壊しかかっていた。
 残された手がかりから、犯人をおびき出す作戦を立てた刑事たち。少女の遺留品が遺棄されていた海辺の小屋で犯人が罠にかかるのを待ち構えていると、果たして待ち人が現れる。霧深い海岸での追跡行で、事件は起こった。ウィルが、犯人と間違えてエッカートを射殺してしまったのだ。
 駆け付けた仲間たちに、ウィルは自分が誤って撃ったと言いそびれ、逃亡した犯人の仕業だと嘘の証言をする。ポリスアカデミーの教則本に登場するほどの名刑事であるウィルの言い分を疑う者は誰もおらず、警官たちは少女殺しとエッカート殺しの2つの事件の捜査を始める。
 自責の念と、事実が明らかにされることの恐怖、そしてアラスカの白夜のせいで、ウィルは不眠症に苛まれることになる。いつまでも暗くならない空はウィルに安らぎをもたらさず、やっとの思いで眠りの入り口にたどり着けても、たちまち襲い掛かる悪夢のせいですぐに目が覚めてしまう。そうやって苦しい夜を迎えた3回目の夜、ウィルのもとに1本の電話がかかってくる。「俺はあの日、海辺でお前が人を撃つのを見た」──姿なき脅迫者が、ウィルの喉元に冷たいナイフを突きつけてきたのだった。
 “バットマン”3部作の成功も記憶に新しく、もはや巨匠の域に達した感のあるクリストファー・ノーランが12年前に制作したこの映画。“フォロウィング”(’98)からキャリアをスタートさせ、2作目の “メメント”(’00)でスマッシュ・ヒットを飛ばした彼が、長編3作目にして初めてハリウッドに挑んだ作品である。フラッシュバックを多用し、時間軸を自在に操るそれまでの作品と違い、実にストレートな作風で、“メメント”を観たあとで、ノーランの作品であるということを意識しつつ本作を観た人はずいぶん面食らうことだろうと思う。
 ただそれも、アル・パチーノやロビン・ウィリアムス、ヒラリー・スワンクと言った一流の俳優の力量が、トリッキーな演出を必要としないという確信がノーランにあったからではないだろうか。
決して善良ではない、しかし悪徳でもない、刑事・ウィル。職務の理想と現実の狭間で苦悩し、過ちを犯す男の彷徨。日に日に憔悴を増すその姿を、アル・パチーノは額や口元に寄せるシワひとつで表現しきっている。彼の選択は愚かなものばかりだが、「そうするしかなかった」と言う悲しさも漂わせ、見る者の共感を誘う。
もう一人の主役とも言うべきロビン・ウィリアムスの演技も良い。コメディアンとして、また“レナードの朝”(’90)、“グット・ウィル・ハンティング/旅立ち”(’97)などの真摯な善人役で評価を高めてきた彼だが、本作ではそれとは真逆の男を違和感なく演じ、「さすがロビン・ウィリアムズ」と唸らざるを得ない。
さて、不眠症に陥ったウィル。彼に眠りと安らぎは訪れるのだろうか。この行く末は、是非ご自身の目で確かめていただきたい。


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