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古今東西刑事映画レビューその45:ザ・インタープリター

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

2005年/アメリカ
監督:シドニー・ポラック
出演:ニコール・キッドマン(シルヴィア・ブルーム)
   ショーン・ペン(トビン・ケラー捜査官)

 ひとくちに「警察」と言っても、その組織は大きく、部門は数多く、つかさどる職掌はあまりにも幅広い。普通の市民生活を営む我々のようなものが想像も及ばない職務に就いている人もいるのだろうか、などと、こんな作品を観るたびに思うのである。
 主人公のケラー(ショーン・ペン)は、アメリカ合衆国のシークレット・サービスに所属する捜査官だ。日本でも何年か前に“SP”と言うドラマ(と、その続編の映画)で要人警護にあたる警察官が取り上げられていたし、一般の人間にもその職務がイメージしやすい職業なのではないかと思う。だからと言って、街中で見かける機会がそうそうあるわけではなく、一般の人間にとっては、映画やドラマではよく見るけれど、実際触れ合う機会の少ない仕事のひとつに数えられるのではないだろうか。
 アメリカのシークレット・サービスは1865年に財務省内に設立された「秘密捜査部」を前身とする古い組織だ。映画でお馴染みの連邦捜査局(FBI)も、アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局(ATF)も、この秘密捜査部から枝分かれしていったのである。
現在では、大統領を主として、大統領の家族や過去の大統領、また訪米中の各国要人を警護することが彼らの主たる職務だ。構成人員は6,000人以上と、FBIには及ばないものの、ATFよりも多く、大きな組織であることが伺える。
 ケラー捜査官が警護することになるのは、大統領やその家族ではなく、アフリカ南部にある国家・マトボの大統領、ズワーニ(アール・キャメロン)だ。教育者としてマトボの独立に尽力した彼は、しかしいつからか独裁者へと変貌を遂げ、敵対する勢力の人間を次々と殺害していたのだった。彼の非道な振る舞いは国際的な批判を呼び、ズワーニはそれに対する釈明の演説を行うため、ニューヨークにある国連本部を訪れることが決まっていたのだ。
 マトボで生まれ南アフリカで育ち、現地の言葉を操るシルヴィア(ニコール・キッドマン)は、国連で通訳として働いていた。ある日、彼女が会議場の通訳室に忘れ物を取りに行くと、通訳室のヘッドフォンから何者かのささやき声が漏れてくる。それは国連本部の中でも彼女を含めてごく少数の者しか使用できないクー語であり、話されている内容は、ズワーニ大統領の暗殺を示唆するものだった。
 シルヴィアの通報に応え、ケラーをはじめとするシークレット・サービスたちがズワーニの警護にあたるために派遣された。シルヴィアと面談したケラーは、彼女が何らかの嘘をついていると直感する。それは、ここニューヨークから遠く離れたアフリカの大地に彼女が封じ込めてきた過去に起因するもののようだったが……。
 あくまで警護の対象は大統領と言う要人であり、シルヴィアは彼の危機にまつわる重大な秘密を知ってしまった一介の国連職員なのだが、やがて彼女の身の回りにも不穏な出来事が起こり始める。彼女に迫る危機をサスペンスタッチで描きつつ、独裁者である大統領の命を狙うのは誰なのかを追う陰謀劇でもあり、またケラーとシルヴィアが、お互いの相容れない思想や立場を乗り越えて理解を深めていく人間ドラマとしての側面もある。
そして、主人公の2人を通して我々観客に問われることは、「人は人を許すことが出来るのか?」と言う命題である。大切な人を害された過去をもつケラーとシルヴィアは、悲しみと憎しみにとらわれつつも、その負の感情を克服するために足掻いている。今この現実の世界でも起こっている、テロや紛争や戦争がある限り、罪もなく傷つけられた人々と、それを悲しみ敵を憎む人々は絶えない。けれども、復讐の連鎖が生むものは新たな憎しみと悲しみでしかない。では、我々はどうすべきなのか。そんな非常に重たい、しかし決して他人事ではないテーマを、本作は示しているのである。
このように内容も盛りだくさん、登場人物も多く、脚本も複雑、と、観るのに少し頭を使う作品だが、それだけに心に響く物語になっている。俳優も脚本の重厚さに負けない見事な演技を見せており、特に主演の2人はさすがの存在感だ。
また、本作の舞台である国連本部は、セットではなく実際の建物を使用して撮影されていると言うのも特筆すべきことのひとつだろう。今まで決して許されることの無かった国連内部でのロケを、監督自身が当時のアナン国連事務総長に打診。作品のテーマに共感した事務総長から許可が下りたと言う、特別な作品なのである。
監督はシドニー・ポラック。1960年代から数多くの作品を監督した名匠だ。筆者は「追憶」(’73)と「愛と哀しみの果て」(’85)を観たことがあり、いずれもロバート・レッドフォード主演の恋愛映画だったので、てっきりそちら系がお得意なのかと思っていたが、フィルモグラフィを眺めると、コメディからヒューマンドラマ、また本作のようなサスペンスまで幅広く手掛ける才能の持ち主であったのだと言うことが伺える。先述のロバート・レッドフォードからポール・ニューマン、トム・クルーズに至るまで、古今のスターとのコラボレーションも多く、彼の実力の一端がそこからも見て取れるのである。残念ながらこの“ザ・インタープリター”が遺作となってしまったが、彼の作品をさかのぼって観ていくのも乙な趣向ではないだろうか。半世紀に及ぶ一映画監督の軌跡。確かな見応えを、我々に与えてくれるはずだ。

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