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【映画感想】『ボストン市庁舎』フレデリック・ワイズマン観ました!

本編の内容に触れています


 ずっと気になっていたワイズマンの『ボストン市庁舎』がU-NEXTに追加されたので、視聴しました。ワイズマン自体作品の評価がかなり高く、この作品も例に漏れず、各種批評サイトなどで高い評価が付いてました。そのため、期待感が大きかったけれども、その期待を超えてくるような完成度の高い作品でした。ここでは、『ボストン市庁舎』を見た雑感を書いていきたいと思います。

リーダーの存在

 『ボストン市庁舎』では、ドキュメンタリーの主人公として位置づけられるわけではありませんが、中心人物が存在します。それはボストン市長のマーティ・ウォルシュ市長です。
 観客は、彼の言葉を幾度となく、聞くことになります。しかし、そこにはワイズマンらしいインタビュー形式を排した演出が取られています。インタビューに代わって、ウォルシュ市長の声は、演説で届けられます。
 彼は、出てくるたびに演説をします。地球温暖化、多様性、レッドソックスの祝賀、デモクラシーの重要性、退役軍人の問題など、種々のテーマについて、聴衆の前に立って、彼の思いや考えを訴えかけます。
 彼の言葉は、中身の是非を置いておいて、理想主義的な思想に満ちている。ボストンという多様性を中心街で、彼の望みは誰もが幸福に生きられる社会と考えています。彼の理想主義的な言説は、理想主義的であるがゆえに、何らか達成されるべきタスクとしてではなく、彼の夢・理想に聴衆を巻き込み、彼が思い描く世界に画面内の聴衆と画面外の観客の参加を促しています。
 画面外の観客にとって特徴的なのが、内容よりも演説を映すカメラの位置です。カメラは大半が、カメラと向き合ったウォルシュ市長の斜め右手に位置してます。観客は聴衆の一員として、ウォルシュ市長を右手に見ることになります。観客はウォルシュ市長の演説を市側からの視点ではなく、多少は疑わしさを持つ市民の側に立って、彼の演説を聴くことになります。その視点に立って初めて、たとえ意見が合わずとも、ウォルシュ市長が彼の理想を語る姿に、真摯さと熱っぽさを感じ、真正な長として観ることができます。

トップの役割は?

 ここで長という言葉を出しましたが、ウォルシュ市長の演説から私の中では、これこそがトップのやるべきことではと感じました。彼の演説では、彼の望む理想的な世界のビジョンを提示するが、具体的にそれをどのような方法で、どの程度の数値目標を設定して、それをいつまでに達成するのかといういわゆるビジネス的な話は出てきません。
 確かにこれらの具体的な話が出てこない彼の演説は、理想主義ではなく、夢想主義と言えるのかもしれません。ですが、演説という開かれた形で、で自分が理想とする世界を提示し、その是非を聴衆である市民に委ね、どのような社会・世界を志向するのか、その総体の方向付けをするのが政治的トップの役割のように感じました。どのような社会・世界を目指すのかを開かれた議論に付すことが、まずデモクラシーの始まりだろう。その後に、その目標に対して、どのような政策を採り、どのような目標値を設定するのかは、議会での議論となり得ましょう。

市民と市役所

 理想を語る市長とそれを聴く市民は話し手と聞き手に分断されています。
 市民と市側の人間は、視覚的にも分割されていました。ウォルシュ市長の演説など、市側が市民に対して語り掛ける際には、話す側と聞く側が画面上で分割されています。画面左手に演壇に立つウォルシュ市長と一本道を挟んで、市民たちが座して彼の話を聴いている様子が見られます。
 また、演説形式では市民と市側の人間が分割されていましたが、打ち合わせの形式をとっているときには、市民と市側の人間がフレーム内のどちらを占めるなど、そこに分割は存在していません。彼らが持つ課題に対して、彼らが協力して意見を出し合うように、視覚的にも彼らの様子は、市民と市側ではなく、お互いに入り混じった構図が取られ、課題に向かう一つの集団に見ることができます。
 

行政と市民

 今までの二つの観点を踏まえると、理想的な社会について語るトップ、そして同じ社会の課題に取り組む市民と市側の人間。トップの演説は、一つの理想を語る。そしてそれを市民は聞いて、支持できるのかできないのか、距離を置いた地点から吟味する。そのため、市長と市民との間に構図・あるいはフレームによって、分割がされていました。
 それに対して、具体的な課題に対して、解決策を模索する段階では、市民も公務員も存在しない。皆が混じりあい、策を出し合い、お互いに議論を交わし合う。そうした中で、よりよい策を模索していく。
 この二つの活動こそが、ウォルシュ市長が信奉するデモクラシーなのではないでしょうか。そして、『ボストン市庁舎』では、現実には膨大に存在するこれらの現象を抽出して、断片化することによって、フィクションのよう物語りではない仕方で、デモクラシーそのものを、個々の断片から浮かび上がらせているように感じました。

 本作から、デモクラシーについての説明が全くないにも関わらず、「これがデモクラシーか」と納得させられるような作品でした。上映時間は、272分と一般的な映画と比べて長いです。ですが、個々のシーンの美麗さ、真に迫るウォルシュ市長の演説に見入って内に終わってしまう、そのような作品になっています。

#映画感想 #フレデリック・ワイズマン #ボストン市庁舎

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