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ボス猿とゴリラが、共演した日/Gorillaz/Latin Simone

最近知ったのですが、ゴリラの社会は「並列社会」だそうです。

対極にあるのが、サルの「階層社会」。勝った負けたの闘争の果てにボス猿が君臨し全てを牛耳る。これに対しゴリラ社会は、相手をコテンパンにはやっつけず、日々のパフォーマンスの中で穏やかに優劣関係を構築する仕組みだとか。

同じく最近知ったのが、ゴリラ社会の生物的なユニークさ。生物の世界では、「似通った種同士は、同じ地で共存できない」という原則があるらしいのですが、ゴリラは例外的に、チンパンジー社会と共存できている事例がみられるらしいと。
最近『ホモサピエンス前史』という本を読んでるのですが、我々人類(というかホモサピエンス)の歩みはゴリラと真逆で、似通った他の人類(クロマニヨンとかネアンデルタール)を根絶やしにした殺戮の歴史を持っているすです。ゴリラは、我々以上にフラットで柔軟な社会を実現できているのかもしれません。

今回紹介するGorillazの音楽性も、実にフラットで柔軟。首謀者のデーモン=アルバーンはBlurのリーダー、いわばUKロックの権化なのですが、Latin Simoneでは、Hip Hopの手法で作ったバックトラックにキューバ風の曲調をぶち込んだりと(キューバの有名歌手も客演!)、幅広い感性を嬉々として披露しています。

覆面バンド形式で、自分の存在感を徹底的に消すことで、英国のロックという枠組みの中の闘争から鮮やかに離脱。ラテンやHip Hop等の“種”と自由に交わり、自分の好きな音楽をやる。これぞゴリラ精神に他ならないのでは。

ちなみにGorillazという名前の由来は明らかにされておらず、そのせいで色んな説が飛び交っているそうです。個人的に好きなのが、90年代英国においてBlurのライバル的扱いをされていた超メジャーバンドOasisの発言に起因するという説。
当時のメディアの構図は、「下町のOasis、中流のBlur」。前者をRolling Stones、後者をBeatlesになぞえる向きもあったようですが、これを受けOasisがこう発言。「Oasisは、StonesとBeatlesの両方だよ。Blur?あいつらはMonkeysだね。」
(Monkeysは日本でいうとTOKIO的なアイドルバンドポジションなので、明らかに悪口)
これを逆手にとった皮肉のネーミング、という説です。ま、僕からみると、Oasisのギャラガー兄弟ほど「ボス猿」の佇まいがしっくりくるカリスマはいないのですが。

最新アルバム「Humanz」では、ついにゴリラとボス猿が共演。こんな日がくるとは(涙)




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