じゃがたら/でも・デモ・Demo
前回のフェラクティは、日本の音楽界にも影響を与えました。その最右翼が、じゃがたら。
今回紹介する曲は、特に影響が顕著です。(ちなみに同じ時期によく似た楽器構成で活躍していたのが、かの米米CLUB。歩みは対照的でしたが)
曲の構成も歌詞も、エッジ立ちまくり。徹頭徹尾のアジテーションです。
”あんた気にくわない!”
と冒頭言い放ちざまにボーカルは退き、5分間はインストパート。その後、”くらいねくらいね 日本人ってくらいね”という能天気なコーラスを挟み、ボーカルが早口に急襲。終盤に訪れる、江戸アケミがちぎっては投げちぎっては投げ的に繰り出す、口角泡的な言葉の洪水。
”みんないい人、あんたいい人 いつもいい人 どうでもいい人”
”今夜限りでお別れしましょう 見飽きた奴等にゃおさらばするのさ”
熱気とグルーヴは、フェミクティや先達のファンクバンドをもある意味しのぐ勢いがあります。しかし、江戸アケミからただよう ”異物感” は、一体なんなのでしょう。
ファンクの肝といえば、延々と続くビートに身を投じ一体化すること。熱気にもまれた観客と演奏者、ボーカルは、いわば1つの共同体。
しかし江戸アケミが醸し出すそれは、熱く肉体的であるにも関わらず、一体感や連帯感を許さないかのよう。彼自身が、リズムに身を任せつつも、身をよじって悶え、逃れようとしているようにすら聞こえる。あたかも、理不尽な現実から逃れようと暴れる自分を、ライブ会場で観客を巻き込んで再現せしめようとするかのように。
”思いつくままに踊り続けろ 思いつくままにしゃべり続けろ”
”思いつくままに壊し続けろ 思いつくままに走り続けろ”
”思いつくままに踊り続けろ あんた気にくわない!あんた気にくわない!”
じゃがたらのバンドとしての節目の度に、江戸アケミは精神的にあやうい状態に陥り、次第にメンバーからも孤立していってたらしい。
世は、所謂バブル。周囲の狂乱は、みんな嘘っぱちだ。自分自身も。どこにも逃げ場はないあんただってそうだろう?
暴れれば暴れるほどに周囲の狂乱は強まり、疎外感は水飴のように粘着性を増す。だからこそなお、暴れずにはいられない。
悲劇だ。喜劇だ。傑作です。
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