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すれっからしで、強くて、哀しい/高田 渡/私は私よ
この人の歌は、生活する人の歌。なので、日本の「フォークソング」が悪く言えば「時代と寝た」印象があるのに対して、手垢にまみれた家具が年季を経て艶光りしてくるみたいに、今なお現役で使える、味わい深い趣きがあります。
ユニークなのは、楽曲の作り方。まず詩を古今東西の詩人たちから拝借し、それに曲をつける。ときにはアメリカのブルースやフォークの曲を縦横無尽に組み合わせ。それをケレン味のない飄々とした歌声にのせれば、あら不思議、魔法がかかります。
例えば「私は私よ」は、フランスのシャンソンの歌詞をえいやっと和訳したもの。
“私は私よ もともとこんなよ 笑いたかったらキャッキャッ笑うわ 愛してくれればあたしも好きだわ"
こういう人、いますよね。いや会ったことないですが。前回のEsperanza Spaldingとは違った意味でクールな、すれっからしの女性像が目に浮かびます。
それを高田渡は、意表をつき、朗々としたディキシー風にアレンジ。すると、なんということでしょう。すれっからしでありながら、明るくてコケティッシュで、なぜかちょっと哀しい、唯一無二の佇まいになるではありませんか。
"相手が変わって何が悪いの もともと男に好かれる性質なの 私の過去があなたに何なの 仕方がないわね 仕方がないでしょ”
この曲は2002年に夏木マリが、小西康陽プロデュースのスタイリッシュなアレンジでカバーしていて、これはこれで鼻血がでるほど格好いいんですが、個人的には、“おかしみ”をたたえた高田渡バージョンの“手の届く色気”のほうが好みだったり。好みの女性像に拠るところも大きいかもしれませんが、ぜひ聴き比べ下さい。
ついでに、下記楽曲も是非どうぞ。
「鎮静剤」・・フランスの沈鬱な現代詩を、ダウナーなギターに載せて。“一番哀れな女”とは?
「ブラザー軒」・・日本の共産党の詩人の作品を、素朴な弾き語りに載せて。真夏の夜の氷水を食べにやってきた、2人の声のない客とは?
https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%B3-%E9%AB%98%E7%94%B0%E6%B8%A1/dp/B00005F801
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