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ピラニアって…

2004年の5月、俺はPRIDE武士道に参戦する事になった。2003年の9月にDEEPで桜井マッハ速人選手を撃破しPRIDE武士道第一回大会のメインイベントを消滅させ、翌年の1月には同じくDEEPでPRIDE常連ファイターであった松井大二郎選手を判定で破ってからPRIDEのステージへ乗り込むことになった。

※写真はグレイシー対抗戦メンバーと記者会見で

当時の俺はパワーが漲り怖いものなど何もなかった。
日本で行われるPRIDEのイベントであっても敵地に乗り込んで殺しに行く気持ちだったし当時のDSE(PRIDE運営会社)の加藤専務もこの生意気なガキに試練を与えようと思っていたに違いない。

記者会見に向かうとプレスリリースが広報の女性より配られた。
練習仲間であった中村和裕と高瀬大樹がそれに目を通すとゲラゲラ笑い出した。
「長南さんピラニアってニックネームついていますよ」
PRIDEの洗礼だった。人生でピラニアなんて呼ばれたことはないし一体何これ?と広報の女性に問い詰めると「大物喰いすると言う意味でつけました。嫌だったら変えますよ」と言うので、すぐに変えてくれと俺は伝えた。ピラニアは確かに大物食うかも知れないけど一匹では無く寄ってたかって皆で食べるイメージだった。格闘技は1対1の勝負だから違うだろと。

後日提案されたのは”鏖(みなごろし)の凶拳”だった。しかし大会パンフレットにそのニックネームで書かれたぐらいでそれ以降に鏖の凶拳と呼ばれる事は一切なかった。
中継していたフジテレビがピラニアを気に入ってしまったようで俺の希望など容赦無くピラニアのまま煽り映像は作られPPVで放送された。

放送されたら仕方ないとその件については諦めた。
それからずっとピラニアになってしまうのだが。
因みにピラニアの名付け親はPRIDE広報チームの笹原圭一さんと広報の女性が考えたそう。その女性と何年か後に結婚する事になるとはこの時知る由もなかった。
ピラニアとは言うけれど英表記ではpiranha。ブラジル人達はピラナ、ピラナと呼ぶ。このニックネームと共に海に渡る事になる。そこでは沢山の出会いもあった。

PRIDE武士道の試合のことは後々書くかも知れないし今回はそれを書きたいわけではない。
現在は東京都練馬区にジムを構え4月でもう10年になる。2013年に現役を退いたのだけど今も沢山の弟子達と汗を流し日々戦っている。

選手の指導をしているけれどもう息子みたいな年齢の子達が多くなっているのだがそのような世代は代表である俺が何者なのかも知らなかったりする。
俺自身まだまだ沢山の出会いがあり学ぶ日々で、どんどん記憶はアップデートされ必要のないものは忘れていく中で自分の半生を振り返り記していく事により何か誰かの為になればと思うようになった。

人生どん底の時期もあった。生きるのを諦めかけた時も。でも格闘技に救われたと言う物語。
実は引退時にずっと応援してくれた人達に感謝の意味を込めて自主出版で自伝を描きたいと思ったことがあった。
結局ジムは忙しかったしそんな執筆活動をするような時間の余裕はなかったのだけどその時自分の応援団の1人が「ピラニアとよばれた男」と言う百田先生の「海賊とよばれた男」を真似たタイトルを提案してきた。
時間はだいぶ経ったけどそのまま使わせてもらうとする。

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