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DEEP2002完結編

2002年の秋頃、見知らぬ電話番号から電話が鳴ればほぼカードの支払い請求の連絡だった。
俺が借りていた消費者金融のカードローンは2社で合計160万くらいになっていて給料日に30,000円ほど返済しても元金は3000円くらいでグレーゾーン金利時代の最大金利28%をモロに食らっていた。
デビューからずっとギャラを払ってもらえず怪我や試合で仕事を休むと日当は貰えない状態で、憧れていたプロ選手とはこんなものかと虚しく感じていた。
そんな状態でも一心不乱に練習をして現場では働いていた。
当時はヒップホップが流行っていて渋谷ではオーバーサイズの服を着ている同世代が多かったがファッションに使う金もなくなり生活は困窮していたのだが練習している時だけはお金の事も気にせず最高の現実逃避ができるのだ。

型枠大工の給料も少し下がった。
仕事に専念して建設業で上を狙った方が借金もすぐに返せるのだが何よりも格闘技が好きで正職であるのに仕事は必要以上に努力をしたいとは思わなくなっていた。
DEEP6th Impactが終わり臼田さんを秒殺した事で俺に対する佐伯さんからの評価も上がったようだがDEEPの一発逆転を狙った有明のビッグイベントでは逆転とはならず引き続きDEEPの運営は俺の生活以上に困難だったよう。
三島☆ド根性ノ助の参戦から修斗で活躍している選手達が続いてDEEPに流れてくるという話を木下さんに聞いていた。

noteを書き始めた頃、今回の話で“ピラニアとよばれた男”は完結する予定だった。
書いてくうちにもう少し先まで書いた方が収まりが良さそうな気もするのでもう少し先まで書いてみようと思う。
2002年12月8日、人生に分かれ道があるとすれば確実にこの日だ。

格闘とカネ

DEEPは有明コロシアムの大会後はまたディファに有明で大会が行われると言う。
今現在は毎月のように試合が行われているDEEPだがこの頃は2、3ヶ月ピッチが通常だった。
12月の大会には修斗ライトヘビー級現役王者の須田匡昇が参戦するそうだ。
修斗のライトヘビー級(現ミドル級)は軽量級に比べると選手層も薄く盛り上がってはいなかったが、当時修斗のチャンピオンとなれば他の団体と比べると別格だった。
木下さんからの連絡でその相手を俺にやって欲しいと言われたのだが聞いた時はとにかく驚いた。
その前はプロレスラーの臼田さんで派手に勝てたけど今度はいきなり修斗のチャンピオン、佐伯さんは俺を過大評価しているのでは無いかとさえ思った。
しかもそれがメインで行われると言うから腹を括ってやるしかなかった。
26歳の俺は人生を賭けてこの試合を受けさせて頂いた。

ただ試合を受けるに当たってはっきりさせなければいけない事があった。
デビューから一切貰っていなかったファイトマネーの事だ。
田村さんはお金の件は一切話せない雰囲気を意図的にかは解らないがジム内で作っていた。
当時のU-FILEの選手の誰もがファイトマネーを貰えず貧乏生活をしていた。
俺の生活レベルは他の選手達より上だったけど借金がだんだん返せないレベルになってきたので格闘技を報酬ナシの趣味で続けるには限界になっていたのだ。
そもそも試合の契約書を見た事がなかったので自分のギャラがいくらなのかさえ解らなかった。

田村さんは直接話せるような距離感では無いので木下さんが頼りになった。
木下さんも試合を組む事には関わっているけどギャラに関してはノータッチだったようだ。
しかし我々の現状を聞いた木下さんは田村さんと話してくれて、田村さんは今まで未払いのギャラを払うから誰のどの大会なのか選手達に紙にまとめて書いてくれと言うのだ。
紙にはぎっしりDEEP、パンクラス、ZSTやWKネットワークの大会など皆が書いていってそれを木下さん経由で田村さんに渡した。
ギャラの未払いの理由はシンプルでただ忘れていたそうだ。
皆で書いた紙も失くしたからもう一回書いてと言われるくらい、お金に関してだらしの無い状態だった。

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