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三中

第三訓練校

沢山の思い出の中、失った記憶も沢山あるだろうけど歴史ある朝陽第一小学校を卒業したのは1989年の事。
自動的にに鶴岡第三中学校に入学する年となる。

三中はとても狂っていた。
読者の方々は今までの話の経緯からヤンキー校を想像するかも知れないが実際は真逆過ぎる軍隊のように校則が厳しく教師の暴力が横行する学校だった。

自分達の5つか6つ上ぐらいの世代がだいぶ暴れてくれたようで校舎の破壊や暴力など酷い状態だったのをやっと収めた後くらいが我々の入学時期だったようだ。
トイレの壁なんかは継ぎ接ぎされていて破壊の跡を隠していた。
人通りの多い通学路に俺の家はあったけど小学校の頃にそこを歩く中学生のイメージはめちゃ怖かったし見た目も酷いものだった。

入学式からそれは始まった。まず教員による服装のチェック。頭から威嚇するようなお話の数々。

優等生のスピーチ

入学式後の始業式では洗脳された優等上級生のスピーチで驚かされた。上級生を代表された優等上級生が新入生の皆さん入学おめでとうみたいな話から始まり、我が学年ではみたいな自分達の話を始めた。長々とどうでも良い話をした後に経験談として入学後、我が学年最初の試練が訪れたと言いだした。

何か事件があったのかと体育館に長時間体育座りでケツも痛い中で俺は興味を示していたのだが優等上級生が続けて話した話に驚愕した。
彼らの試練の名は「お菓子事件」と言う。

何でも最初に行った学年の遠足での帰り道。
※とにかく田舎は遠足だなんだ1時間でも余裕で歩く風習が小学生の頃からある。
この先輩方の同学年の中に食事終わりの自由時間にだけ食べて良かったはずのお菓子を帰り道で歩きながら食べた数名がいたとの事。
その行為が問題となり何故その数名は勝手な行動をしたのか?それは食べた本人達だけの責任では無く学年全体の緩みに他ならないと言う。
それについて学年集会だのホームルームだので話し合い再発防止とその難題を克服したと堂々と語ってらっしゃっていた。

普通に一言「今食うな」で済む話じゃね?
この洗脳された優等生とそれを見守る教員達の姿に恐怖を覚えた。
それが中学生活最初の衝撃だった。

大丈夫か俺?

ただ初めて着た堅苦しい制服と厳重の監視の目の元で俺が思ってたのは誰が強ぇんだそれが一番大きかった。
我が三中は一小と二小、我々の田舎の中でも更に田舎な田んぼの向こうみたいなところからくる斎小学校(いつき)と黄金小学校(こがね)が集まる形となり我々の時代で学年は300数十名、9クラスで成り立っていた。

まず驚いたのが斎と黄金にはゴツいのがゴロゴロといた事だ。田んぼの中で育ったからかユズルよりも骨格がガッチリしていて凄まじくパワーがあり足も速いのが数名いた。

入学時の俺の身長は153cm。それでも真ん中よりちょっと上だったが内心俺は通用するのか心配になった。

入学当時の俺が強いとか他校の奴らはあまり思わなかったろうし1小卒業の奴らからもユズルが1小最強だと思われていただろうこの頃は…

そんな心配をよそに入学後すぐに「シン君って呼べぇーーー」と校内で暴れる大男が同級生にいた。

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