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私よ、ワクワクを返せ!


私は一生懸命、手紙を書いた。
 
小学校卒業の記念に、将来の自分に向けて手紙を書こう、という企画がクラスで行われた。手紙と、当時の授業で書いた作文や絵なども一緒に、成人式の日まで学校に保管してもらう。
人生初のタイムカプセルに感動と興奮が混ざり合い、子供ながらに一生懸命手紙を書いた。
…ことだけは、はっきりと覚えている。
 
 
待ち望んだ成人式当日、手紙の内容は1ミリも、いや、0.001ミリも覚えていなかった。どんな紙に、どんな文章を、どのくらいの大きさの字で書いたのか、何もかも分からない。でも、数時間後には知ることができる。
ぼやけた記憶の中で、眩しい夏の陽の光のように輝く小学生時代。なにも考えずにただ楽しかったあの頃を蘇らせ、私の中でまた輝かせることができるかもしれない。
 
旧友や先生に会えることと同時に、昔の自分からの手紙をやっと読めることにワクワクしてこの日を迎えた。
 
 
 
式典を終えた後、クラスメイトが小学校に集まった。
「タイムカプセルなんてやってたっけ?」「どんなこと書いたんだろう?」
と、卒業以来会っていなかったクラスメイトとも会話が弾む。
 
当時の担任が両手で紙の束を抱えてやってくると、子供たちはわっと盛り上がりボルテージは最高潮。20歳の新成人たちが、12歳の小学6年生のようにはしゃぐ瞬間であった。

一人一人の名前が呼ばれ、手紙は配られた。
感動する下準備は完璧だ。
 
 
みんな自分自身からの手紙に興味津々で、そんな必要はないはずなのに、他の人に見られないよう後ろを向いた。恥ずかしさから、コソッと、ゆっくり、手紙を開くとすぐに衝撃を受けた。
 
 
え?これだけ?短くない??
まあ、小さな紙1枚、まあまあ、みんな決まって同じ紙に書かされたんだっけ?いいや、大切なのは内容だ。読んでみよう。読み終わった。(読み終わるまで体感4秒、世界新記録だと思われる。)
 
 
 
薄かった。
 
内容がとにかく薄い。紙1枚よりも薄っぺらい。もしこんな薄っぺらいTシャツがあったら、夏の陽の光の下でもさすがに寒い。
 
 
「元気ですか?今の私は元気です。」「大人になっても色々頑張ってね。」のような、台本を読まされているようなセリフしかない。
つまらない。
タイムカプセルって人生で一度の、思い出深いものじゃないの?
 
 
 
振り返ると、1分前まで楽しみだねと笑い合っていたクラスメイトとのテンションが合わなくなっていた。愛想笑いしかできない。完全に浮いた気がした。
子供だった頃の自分がどんなことを体験し、考え、日々を過ごしていたのか…期待していたのに、全く分からなかった。小学6年生の思い出と成人式の思い出が、(昔の)自分の手によってちょっとだけ残念なものにされるとは。
 
 
 
これがきっかけなのか、日常で起こった出来事を忘れたくないと思うようになり、今では毎日日記を書くようになった。でも実感することは、20歳を超えてからと、小学生から20歳になるまでとでは時の流れがもちろん違う。時間は戻らない。日記を書いても、後悔の気持ちは埋まらなかった。
 
 

もし将来子供ができたら、親として子供がどう過ごしてきたかを代わりにたくさん覚えておきたい。大人になってから、教えてあげたい。
 
20歳にしては気が早い、そんな決意をコソっとしていた成人式であった。

#私だけかもしれないレア体験

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