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「ワレがうつになりまして」ですがなにか

「うつ」との距離感

映画の「ツレがうつになりまして」が公開されている頃、我が家もツレがうつでした。映画も一緒に見に行ったし。
傍で見ていて感じていたことは、普段なら「好き」とか「楽しい」と思えるようなやりたいこともできなくなるまで重症化すると、本当に回復に時間がかかるということ。
妻は数年間の休職と転職を経て今はそれなりに普通の生活が送れていますが、私の友人は社会復帰できないまま亡くなりました。

「ツレうつ」から「ワレうつ」に

そして、私にも忍び寄ってきたうつの足音。
当時は関連する書籍やマンガも読んで、今回も前兆を感じ取っていたんですがダメな時はダメですね。注意しても防げない。原因から距離を取らないと。
本で読んだ「誰でもなる可能性がある」という言葉を実感しています。
特に休職する直前の1週間は、基本的に在宅勤務にしていたにも関わらず、日に日に症状が悪化していく感じが自分でも分かるくらい本当にヤバかった。
今の状況は、会社とのコンタクトが無ければ不眠とか食欲不振、疲れやすいくらいの症状で済んでいるので、まだ軽度な部類だと思います。

タスクシュートに助けられている

こんな状態になっても、タスクシュートはやめずに続けることができています。堕ちる前に習慣化していて本当に良かった。
そしてタスクシュート認定トレーナー講座で、「使った時間の中身に罪悪感を感じる必要はない」と知ったことも大きかったです。
起き上がれなくて何もできない時でも、これまでの習慣化のおかげで床と一体化した時にスタートボタンをポチっと押して開始時間を記録する・・・これくらいならできる。
そして、ログが残っていることで、わずかでも今の自分を俯瞰で見る感覚が生じる。これが地獄に垂らされた蜘蛛の糸のような一筋の光になっているのです。

認定トレーナーっぽいことも言ってみる

まだ認定トレーナーじゃないですけど・・・
タスクシュート認定トレーナー講座で体系的にタスクシュートのメソッドを学ぶまで、私のログはどこかヨソ行きというか、誰かに見せる前提というか・・・「そんな無駄な(くだらない)ことに時間を使っているの?」と言われそうな時間については敢えて記録していませんでした。

記録するのを忘れているのではなく、分かっていて記録しない。
そういった時間がそれなりにありました。しかし、それこそがタスクシュートの良い部分を消していたことを実感しました。
改めて人に見られたくないとか恥ずかしい(と自分が思う)時間の使い方も記録に取ってみると、スタートボタンを押す瞬間に若干の罪悪感を感じるものの、一日の終わりに残っているログを見ても意外なくらい罪悪感は感じませんでした。
反って記録を取らない方が罪悪感が得体のしれないものとして強く残るような気がします。記録は残っていなくても感情は残りますからね。しかも、ログが残っていないので改善にもつながりにくい。

今言えるのは、脱線したり時間を盗まれていることに気づいているなら、それはログとして残した方が良いということ。

結論はない

そして会社に行かなく(行けなく)なって2週間が過ぎた。
平日の大部分の時間を占めていた「やらなければならないこと」や「通勤」から解放されて、さぞかし認定トレーナー試験の準備も順調に進んでいると思われるかもしれませんが、もちろんそんなことはないです。
あともうひとつ、堕ちてしまってからタスクシュートを始めるのはちょっとつらいかも。

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