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第一次家永教科書事件

こんにちは。

 竹田恒泰さんのyoutubeチャンネルで教科書検定が話題となっていますが、そもそも教科書検定というのは、民間から発行された教科書について文部科学大臣が教科書として適正かどうかを審査し、これに合格したものが教科書としての使用が認められる制度のことです。

 そこで今日は、「第1次家永教科書事件」(最判平成5年3月16日裁判所ウェブサイト)を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったのか

 東京教育大学の教員だった家永三郎は、高校用の『新日本史』の教科書を執筆していましたが、1962年の教科書検定で、323カ所の欠陥を指摘されて不合格となり、欠陥を修正して再審査に合格したものの、教科書の発行が1年も遅れてしまいました。そこで、家永は国に対して、不合格処分の取消しと、文部大臣の措置によって精神的な苦痛を味わったことに対する損害賠償を求めて提訴しました。

2 家永側の主張

 これまで、私の教科書は教科書検定に合格してきました。なのに、今回は突然、暗い挿絵が多すぎるからといって不適合とされたのです。戦争に明るい面などあるわけないのです。このような教科書検定は、教科書の内容に対する思想審査を行い、その内容によって教科書としての発行と学校における使用とを禁止するものであって、明らかに憲法21条2項で禁止されている検閲にあたります。よって、これによって被った精神的苦痛に対する損害賠償として100万円を請求する。

【憲法21条】 
① 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

3 国側の主張

 この教科書は「本土空襲」、「原子爆弾と焼け野原になった広島」、「戦争の惨禍」など暗い挿絵が多いので、もっと戦争の明るい面をださなければなりませんし、「無謀な戦争」という評価は一方的です。国は、子ども自身の利益の擁護のため、または子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、子どもに対する教育内容を決定する権能を有します。教育の自由の一環として国民の教科書執筆の自由を主張されますが、憲法26条は教育の自由を規定しているわけではありません。また、教科書検定は一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの性質はないので検閲ではありません。

【憲法26条】 
① すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

4 最高裁判所の判決

 憲法21条2項にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるものを指すと解すべきである。今回の検定は、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲に当たらず、憲法21条2項前段の規定に違反するものではない。
 検定の審査、判断は、申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量に委ねられるものというべきである。したがって、合否の判定、条件付合格の条件の付与等についての教科用図書検定調査審議会の判断の過程に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当
時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、その判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となると解するのが相当である。
 しかし、文部大臣の検定処分に裁量権の範囲の逸脱の違法があったとはいえず、原審の判断は正当である。よって、家永の上告を棄却する。

5 最も長い民事訴訟としてギネス認定

 今回のケースで裁判所は、第1審で一部違法な検閲があったとして国に10万円の損害賠償の支払いを命じましたが、第2審と最高裁では一転して、教科書検定は検閲ではなく憲法に違反しないとして、家永の請求を棄却しました。
 この家永教科書裁判は、第2次、第3次と32年間続き、一時期は、最も長い民事訴訟としてギネス認定されたこともあります。また、家永は大学の筑波移転に関して統一教会と関係の深い福田信之学長と激しく争ったり、『検定不合格日本史』を発売したりするなど、今後も語り継がれるほどの活動を行ってきたことは間違いないでしょうね。

では、今日はこの辺で、また。


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