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コルチャック先生事件

こんにちは。

 ポーランドで小児科医をしていたコルチャック先生は、1911年にユダヤ人孤児院の院長を務めることになりましたが、1940年という激動の時代がやってきます。コルチャック先生は、「私は子どもたちの父親です。だから一緒に行くんです」と、ナチス強制収容所に行き、子どもたちと共に死を遂げました。しかし、コルチャック先生の思いは後世に引き継がれ、1989年に国連で採択された児童権利条約の中に、「子どもは権利の主体である」というコルチャック先生の理念が盛り込まれることになったのです。

 さて今日は、コルチャック先生について描いた書籍の著作権が問題となった「コルチャック先生事件」(大阪高判平成14年6月19日裁判所ウェブサイト)を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったのか

近藤二郎氏は、「コルチャック先生」という著書を出版していました。その後、ポーランド人を主人公とした演劇公演がスタートし、戯曲「コルチャック先生・ある旅立ち」が出版されました。この作品に対して近藤氏は、自身の著作物の翻案権を侵害するものであると主張して、朝日新聞社と劇団ひまわり、脚本家のいずみ凜、NHKに対して、損害賠償を求めて提訴しました。

2 近藤二郎氏の主張

 私は、コルチャック研究のためにドイツとポーランドに留学し、日本に紹介してきた。戯曲で用いられている翻訳は、私の作品の翻訳をそのまま使用している。コルチャックの文章は一般に難解であり、それは多忙な日常生活の中で思いつくままに長々と書き連ねたり、突然、行の途中から別のテーマにしたりするものなど、系統的に書かれていないから、私が苦労して超訳してきたのだ。それにもかかわらず、戯曲では私が省略したのと同じ箇所で、同じ量の省略をしているので、明らかに翻案権の侵害だ。

3 いずみ氏らの主張

 戯曲全体としてみたときに、表現上の創作性が認められる部分において近藤氏の著作と同一性は全く認められない。両作品で同一とされている部分は、コルチャックの人生におけるエピソードであり、これをめぐる事実も先行資料により社会一般に知られているものである。最高裁判所の裁判長も「既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらない」といっているので、これにそのまま当てはまる。

4 大阪高等裁判所の判決

 近藤氏の著作、問題となった舞台劇に描かれているコルチャックの生涯の大枠ないし客観的人物像については、リフトン著作、モニカ・ペルツ著 「コルチャック」及びワイダ映画においても同様の生涯の大枠ないし客観的人物像が描かれているところであって、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり、基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられ、その生涯の大枠ないし客観的人物像において、近藤氏の著作のみに見られる表現上の本質的な特徴があるとはいえず、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
 舞台劇の各場面のうち、プロローグ、第二幕の「別れ」、「かなたへの旅立ち」の三場面は近藤氏の著作物の翻案であると認められるが、近藤氏と朝日新聞社及び劇団ひまわりとの間で取り交わされた覚書において自由に公演を行なうことが出来る旨を定めた条項が存在するため、近藤氏の著作を翻案した舞台劇を上演することを許諾したものと解することができる。
 よって、近藤氏の控訴を棄却する。

5 翻案権侵害の有無

 今回のケースで裁判所は、コルチャック先生の舞台劇のうちプロローグなどのいくつかのシーンで、近藤氏の著作物の翻案に当たると認定したものの、舞台劇の脚本制作や上演にあたって著作物の使用を許諾していたとして、近藤氏の請求を棄却しました。
 歴史的に実在した人物の史実に関する舞台劇であったとしても、その一部の場面でも他人の著作物の翻案にあたる可能性があるので、十分に注意する必要があるでしょうね。
 では、今日はこの辺で、また。


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