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結婚の自由をすべての人に事件

こんにちは。

 今日は、同性婚をめぐって裁判で争われた札幌地判令和3年3月17日を紹介したいと思います。


1 どんな事件だったのか

 北海道に住む同性カップルが、婚姻届を提出したところ、「不適法」として受理されませんでした。そのため同性カップルたちは、同姓の者同士の婚姻を認めていない民法及び戸籍法の規定が憲法13条、14条1項、24条に反するにもかかわらず、国が必要な立法措置を講じないことは国家賠償法1条1項に違法しているとして、国に対して、慰謝料1人100万円の支払を求めて提訴しました。

2 札幌地方裁判所の判決

 性的指向とは、人が情緒的、感情的、性的な意味で、人に対して魅力を感じることであり、このような恋愛・性愛の対象が異性に対して向くことが異性愛、同性に対して向くことが同性愛である。性的指向が決定される原因、又は同性愛となる原因は解明されておらず、遺伝的要因、生育環境等複数の要因が組み合わさって作用している可能性が指摘されているが、精神医学に関わる大部分の専門家団体は、ほとんどの人の場合、性的指向は、人生の初期か出生前に決定され、選択するものではないとしており、心理学の主たる見解も、性的指向は意思で選ぶものでも、意思により変えられるものでもないとしている。同性愛者の中には、性行動を変える者もいるが、それは性的指向を変化させたわけではなく行動を変えたにすぎないものであり、自己の意思や精神医学的な療法によっても性的指向が変わることはない
 我が国における異性愛以外の性的指向を持つ者の人口は明らかではないが、いわゆるLGBTに該当する人が、人口の7.6%とする調査、5.9%とする調査、8%とする調査などがあり、いずれの調査においても異性愛者の割合は9割を超えている。
 明治期においては、同性愛は、健康者と精神病者との中間にある変質狂の1つである色情感覚異常又は先天性の疾病であるとされていた。色情感覚異常の著明な症状は、色情倒錯又は同性的色情であり、男子は年少の男子に対して色情を持ち、「鶏姦(けいかん)」(男性間の性的行為)をするものとされ、女子は女子を愛してしまうものであり、これらが変質徴候の第一とされていた。このような色情感覚異常者に対する治療法として、催眠術を施すほか、臭素剤を投与する、身体的労働をさせる、冷水浴をさせる、境遇を変化させるなどが行われていた。
 また、青年期における同性愛は、愛情に対する欲求が極めて強いために起こることであり、ある程度を超えなければ心配する必要がないが、同性同士の愛情を深め、不純な同性愛に向くこともあり、そのような場合はすこぶる注意すべきことであって、絶対に禁止すべきものとされていた。
 明治民法の起草に当たっては、フランス民法、イタリア民法、ベルギー民法など8か国の外国法を参照するところから始まったが、その起草過程においては、婚姻は当然に男女がするものであることが前提とされており、同性婚の許否について議論がされた形跡は見当たらない。当時の外国法においては、同性婚を明示的に禁止するものもみられたが、起草者は、同性婚が認められないことは当然であって、あえて民法に規定を置くまでもないと考えていた。
 明治民法が制定される以前から、婚姻は、人生における重要な出来事の1つとされ、かつ、既に一定の慣習が存在した。明治民法は、そのような慣習を直ちに改めるのではなく、慣習を踏襲しつつも、慣習の中には、そのまま認めれば弊害となる事柄があったり、慣習によっては決められない不明な点もあったりしたことから、そのような事柄について法により規律するものとして制定された。
 明治民法においては、家を中心とする家族主義の観念から、家長である戸主に家を統率するための戸主権を与え、婚姻は家のためのものであるとして戸主や親の同意が要件とされ、当事者間の合意のみによってはできないものとされた上、夫の妻に対する優位が認められていた。このような明治民法における婚姻は、終生の共同生活を目的とする、男女の、道徳上及び風俗上の要求に合致した結合関係であり、又は、異性間の結合によって定まった男女間の生存結合を法律によって公認したものであるとされた。したがって、婚姻が男女間におけるものであることはいうまでもないことであるとされ、よって、同性婚を禁じる規定は置かれていなかった。同性婚は、学問を妻とするとか、書籍を配偶者とするなどの比喩を用いる場合と同様に、婚姻意思を全く欠くものとして否認されなければならないとされた。
 明治民法においては、その起草時から、子をつくる能力を持たない男女であっても婚姻をすることができるかという検討・議論がされていた。婚姻の性質を、男女が種族を永続させるとともに、人生の苦難を共有して共同生活を送ることと解すべしとの見解があった一方で、男女が種族を永続させるとの定義は、老齢等の理由により子をつくることができない夫婦がいることを説明できないとの反対の見解が示された。また、子をつくる能力がない男女は、婚姻の材料を欠き、その目的を達し得ないから婚姻し得ないとの見解が示された一方で、そのように婚姻を理解するのは明治民法の趣旨に沿ったものではなく、婚姻とは両者の和合にその本質があり、子をつくる能力は婚姻に必要不可欠の条件ではないとの反対の見解が示された。
 このような議論を経て、明治民法においては、婚姻とは、男女が夫婦の共同生活を送ることであり、必ずしも子を得ることを目的とせず、又は子を残すことのみが目的ではないと考えられるに至り、したがって、老年者や生殖不能な者の婚姻も有効に成立するとの見解が確立された。
 戦後初期においても、鶏姦又は女子相姦は、変態性欲の1つとされた。すなわち、鶏姦や女子相姦は、陰部暴露症などと並んで精神異常者や、色欲倒錯者に多くみられるものであり、病理とされた。
 心理学の分野においても、同性愛は、古来より存在し、民族や階級等にかかわらず存在する、性欲の質的異常とされていた。同性愛は、異性愛への心理的成熟以前に、精神的又は肉体的な同性愛を経験しそれが定着した場合に生じることがあるとされ、その後、異性愛者となり、健康な結婚生活を営めるようになる場合が一般的ではあるものの、外的要因によって同性愛に病的に定着してしまうことがあり、それは一般の健康な親愛とは違って、性的不適応の一種であるとされた。そのように病的に同性愛が定着してしまった場合の心理療法として、自己暗示、自己観察、原因の探求などを行うものとされ、異性愛に対する障害を取り去ることが根本的対策であるともされていた。
 米国精神医学会が、1952年(昭和27年)に刊行した精神障害のための診断と統計の手引き第1版及び1968年(昭和43)年に刊行した同第2版においては、同性愛は、病理的セクシュアリティーを伴う精神病質人格又は人格障害とされていた。 
 また、世界保健機関が公表した国際疾病分類(ICD)においても、1992年(平成4年)に改訂第10版(ICD-10)が公表されるまでの改訂第9版(ICD-9)以前においては、同性愛は性的偏倚と性的障害の項目に位置付けられていた。
 昭和54年1月、当時の文部省が発行した中学校、高等学校の生徒指導のための資料である「生徒の問題行動に関する基礎資料」には、性非行の中の倒錯型性非行として同性愛が示されており、正常な異性愛が何らかの原因によって異性への嫌悪感となったりすること、年齢が上がるに従い正常な異性愛に戻る場合が多いが成人後まで続くこともあること、一般的に健全な異性愛の発達を阻害するおそれがあり、また社会的にも健全な社会道徳に反し、性の秩序を乱す行為となり得るもので、現代社会にあっても是認されるものではないことなどが示されていた。
 昭和22年民法改正は、明治民法を改正するものであったが、これは次の理由による。
 憲法13条及び14条は、全て国民は個人として尊重され、法の下に平等であって、性別その他により経済的又は社会的関係において差別されないことを明らかにし、同法24条では、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならないこと、及び配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないことを宣言しているが、明治民法には、この憲法の基本原則に抵触する規定があるので、これを改正する必要があるとされた。すなわち、明治民法においては、家を中心とする家族主義の観念から、家長である戸主に家を統率するための戸主権を与え、婚姻も家のためのものであるとされ、戸主や親の同意が要件とされ、当事者間の合意のみによってはできないものとされ、また、夫の妻に対する優位が認められていたことから、これを、婚姻の自主性を宣言し、個人を自己目的とする個人主義的家族観に基づいた家族基盤の法律的規制に改めるためにされたものである。
 もっとも、昭和22年民法改正は、明治民法のうち憲法に抵触する規定を中心に行われ、憲法に抵触しない規定については明治民法の規定を踏襲したものであり、この際に同性婚については議論された形跡はない。
 昭和22年民法改正によっても、婚姻は引き続き男女の当事者のみができるものとされ、夫婦関係とは、社会で一般に夫婦関係と考えられているような、社会通念による夫婦関係を築く男女の精神的・肉体的結合であるとされていた。また、婚姻意思とは、当事者に社会の風俗によって定まる夫婦たる身分を与え、将来当事者間に生まれた子に、社会の風習によって定める子たる身分を取得させようとする意思、又は、その時代の社会通念に従って婚姻とみられるような関係を形成する意思であるなどと解されていた。
 昭和22年民法改正が行われた頃は、夫婦関係とは、社会で一般に夫婦関係と考えられているような、社会通念による夫婦関係を築く男女の精神的・肉体的結合であるとされていたため、同性婚はその意味で婚姻ではないとされた。また、明治民法下と同様に、同性婚は、学問を妻とするとか、芸術と結婚するなどと比喩する場合と同様に、婚姻意思を全く欠くものとして否認されなければならないとされた。
 米国精神医学会は、1973年(昭和48年)、同性愛を同学会の精神障害のリストから取り除くとの決議を行い、1975年(昭和50年)には、米国心理学会も、上記米国精神医学会の決議を支持し、同性愛それ自体では、判断力、安定性、信頼性、一般的な社会的能力又は職業遂行における障害を意味しないとの決議を採択した。
 米国精神医学会は、1980年(昭和55年)に刊行した精神障害のための診断と統計の手引き第3版(DSM-〈3〉)において、同性愛は、同性愛者である患者が、同性愛的興奮の持続したパターンが嫌で、持続的な苦悩の源泉であったと訴える場合のみが精神疾患に当たるものと改訂したが、これも、1987年(昭和62年)に刊行された第3版の改訂版(DSM-〈3〉-R)においては削除され、同性愛は精神疾患とはされなくなった。
 世界保健機関は、1992年(平成4年)、同性愛を疾病分類から削除した国際疾病分類改訂第10版(ICD-10)を発表した。世界保健機関は、併せて、同性愛はいかなる意味でも治療の対象とならない旨宣明した。
 我が国においても、昭和56年頃には、同性愛は、当事者が普通に社会生活を送っている限り、精神医学的に問題にすべきものではなく、当事者が精神的苦痛を訴えるときにだけ治療の対象とすれば足りるとの知見が広まり、その後、我が国の精神医学上、精神疾患とはみなされなくなった。
 1989年(平成元年)、デンマークにおいて、同性婚とは異なるものの、同性の二者間の関係を公証し、又は一定の地位を付与する登録制度が導入され、2001年(平成13年)にはドイツ及びフィンランド、2004年(平成16年)にはルクセンブルク、2010年(平成22年)にはアイルランドにおいて登録パートナーシップ制度が導入された。
 また、次の各国は,次に掲げる年に同性婚の制度を導入した。
2000年(平成12年) オランダ
2003年(平成15年) ベルギー
2005年(平成17年) スペイン及びカナダ
2006年(平成18年) 南アフリカ
2008年(平成20年) ノルウェー
2009年(平成21年) スウェーデン
2010年(平成22年) ポルトガル,アイスランド及びアルゼンチン
2012年(平成24年) デンマーク
2013年(平成25年) ウルグアイ,ニュージーランド,フランス,ブラジル及び英国(イングランド及びウェールズ)
2015年(平成27年) ルクセンブルク及びアイルランド
2017年(平成29年) フィンランド,マルタ,ドイツ及びオーストラリア
 米国連邦最高裁判所は、2015年(平成27年)6月25日、いわゆるObergefell事件(オーバーグフェル)において、婚姻の要件を異性のカップルに限り、同性婚を認めない州法の規定は、デュー・プロセス及び平等保護を規定する合衆国憲法修正第14条に違反する旨の判決を言い渡した。
 台湾においては、2017年(平成29年)、憲法裁判所に当たる司法院が、同性婚を認めない同国民法の規定は、同国憲法に違反する旨の解釈を示し、これに基づき同性婚を認める民法の改正が行われた。
 また、イタリアにおいては、2010年(平成22年)、憲法裁判所が、婚姻は異性間の結合を指す旨判断し、2014年(平成26年)にも同様の判断をしたが、同性の当事者間の権利及び義務を適切に定めた婚姻とは別の形式が同国の法制度上存在しないため、この点が同国憲法に違反する旨の判断をし、この結果、2016年(平成28年)に登録パートナーシップ制度を認める法律が成立した。
 ロシアは、2013年(平成25年)、同性愛行為は禁止しないが、同性愛を宣伝する活動を禁止するための法改正を行い、2014年(平成26年)、憲法裁判所も同性愛行為が同国憲法に違反しない旨の判断をした。
 ベトナムにおいては、2014年(平成26年)、それまで禁止の対象となっていた同性との間で結婚式をすることを禁止事項から除く法改正を行ったが、同時に、婚姻は男性と女性との間のものと明記し、法律は同性婚に対する法的承認や保護を提供しないとされた。
 また、韓国においては、2016年(平成28年)、地方裁判所に相当する地方法院において、同性婚を認めるかは立法的判断によって解決されるべきであり、司法により解決できる問題ではないとの判断をした。同国の2013年(平成25年)の調査においては、同性婚を法的に認めるべきとする者が25%だったのに対し、認めるべきではないとする者が67%に上っていた。
 在日米国商工会議所は、平成30年9月、日本を除くG7参加国においては同性婚又は登録パートナーシップ制度が認められているにもかかわらず、日本においてはこれらが認められていないことを指摘し、外国で婚姻した同性愛者のカップルが、我が国においては配偶者ビザを得られないなど同性愛者の外国人材の活動が制約されているなどとして、婚姻の自由をLGBTカップルにも認めることを求める意見書を公表した。また、同月、在日オーストラリア・ニュージーランド商工会議所、在日英国商業会議所、在日カナダ商工会議所及び在日アイルランド商工会議所も上記意見書に対する支持を表明し、その後、在日デンマーク商工会議所も支持を表明した。
 我が国においては、平成27年10月に東京都渋谷区が、同年11月に東京都世田谷区が登録パートナーシップ制度を導入したのをはじめとして、登録パートナーシップ制度を導入する地方公共団体が増加し、現在では導入した地方公共団体数が約60となり、そのような地方公共団体に居住する人口は合計で約3700万人を超えた。
 我が国における、権利の尊重や差別の禁止などLGBTに対する基本方針を策定している企業数の調査において、平成28年の調査結果では173社であったが、令和元年の調査結果では364社であった。
 内閣府による平成17年版国民生活白書によれば、独身のときに子供ができたら結婚した方が良いかとの質問に対し、18~49歳のいずれの年齢層においても、そう思うとの回答がおおむね6割となり、そう思わないとの回答は1割に満たなかった。また、いずれ結婚するつもりであると回答した男女は、昭和57年から平成14年までの各年の調査を通じてそれぞれ9割を超えていた。
 厚生労働省が行った平成21年の調査では、「結婚は個人の自由であるから、結婚してもしなくてもどちらでもよい」という考え方に賛成又はどちらかといえば賛成する者は70%であったが、同省が平成22年に20~49歳を対象として行った調査によれば、「結婚は必ずするべきだ」又は「結婚はしたほうがよい」との意見を持つ者は合計で64.5%に上り、米国(53.4%)、フランス(33.6%)、スウェーデン(37.2%)を上回った。
 広島修道大学教授を研究代表者とするグループが行った平成27年の調査によれば、男性の44.8%、女性の56.7%が同性婚に賛成又はやや賛成と回答したが、男性の50%、女性の33.8%は同性婚に反対又はやや反対と回答した。この調査においては、20~30代の72.3%、40~50代の55.1%は同性婚に賛成又はやや賛成と回答したが、60~70代の賛成又はやや賛成の回答は32.3%にとどまり、同年代の56.2%は同性婚に反対又はやや反対と回答した。
 ところで、憲法24条1項は「両性の合意」、「夫婦」という文言を、また、同条2項は「両性の本質的平等」という文言を用いているから,その文理解釈によれば、同条1項及び2項は、異性婚について規定しているものと解することができる。そこで、上記のような婚姻をするについての自由が、同性間にも及ぶのかについて検討しなければならない。
 同性愛は、明治民法が制定された当時は、変質狂などとされて精神疾患の一種とみなされ、異性愛となるよう治療すべきもの、禁止すべきものとされていた。明治民法においては,同性婚を禁じる規定は置かれていなかったものの、これは、婚姻は異性間でされることが当然と解されていたためであり、同性婚は、明治民法に規定するまでもなく認められていなかった。また、同性愛は、戦後初期の頃においても変態性欲の1つなどとされ、同性愛者は精神異常者であるなどとされており、このことは外国においても同様であった。昭和22年5月3日に施行された憲法は、同性婚に触れるところはなく、昭和22年民法改正に当たっても同性婚について議論された形跡はないが、同性婚は当然に許されないものと解されていた。 
 上記の事実経過に照らすと、まず、明治民法下においては、同性愛は精神疾患であることを理由として、同性婚は明文の規定を置くまでもなく認められていなかったものと解される。そして、昭和22年民法改正の際にも、同性愛を精神疾患とする知見には何ら変化がなく、明治民法下と同様の理解の下、同性婚は当然に許されないものと理解されていたことからすると、昭和21年に公布された憲法においても、同性愛について同様の理解の下に同法24条1項及び2項並びに13条が規定されたものであり、そのために同法24条は同性婚について触れるところがないものと解することができる。以上のような、同条の制定経緯に加え、同条が「両性」、「夫婦」という異性同士である男女を想起させる文言を用いていることにも照らせば、同条は、異性婚について定めたものであり、同性婚について定めるものではないと解するのが相当である。そうすると、同条1項の「婚姻」とは異性婚のことをいい、婚姻をするについての自由も、異性婚について及ぶものと解するのが相当であるから、本件規定が同性婚を認めていないことが、同項及び同条2項に違反すると解することはできない。
 また、憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項について、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ね、同条1項はその裁量権の限界を画したものと解されることは上記において説示したとおりであり、同条によって、婚姻及び家族に関する特定の制度を求める権利が保障されていると解することはできない。同性婚についてみても、これが婚姻及び家族に関する事項に当たることは明らかであり、婚姻及び家族に関する個別規定である同条の上記趣旨を踏まえて解釈するのであれば、包括的な人権規定である同法13条によって、同性婚を含む同性間の婚姻及び家族に関する特定の制度を求める権利が保障されていると解するのは困難である。
 実質的にも、婚姻とは、婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し、戸籍によってその身分関係が公証され、その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという、身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であると解されるところ、生殖を前提とした規定(民法733条以下)や実子に関する規定(同法772条以下)など、本件規定を前提とすると、同性婚の場合には、異性婚の場合とは異なる身分関係や法的地位を生じさせることを検討する必要がある部分もあると考えられ、同性婚という制度を、憲法13条の解釈のみによって直接導き出すことは困難である。
 したがって、同性婚を認めない本件規定が、憲法13条に違反すると認めることはできない。
 憲法14条1項は、法の下の平等を定めており、この規定は、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきである。
 婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであるから、憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項について、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねたものである。このことに加え、同条及び13条によって、同性間の婚姻をするについての自由や同性婚に係る具体的制度の構築を求める権利が保障されているものではないと解されることにも照らすと、立法府は、同性間の婚姻及び家族に関する事項を定めるについて,広範な立法裁量を有していると解するのが相当である。
 戸籍法は、婚姻は届出によってできるものとし(同法74条)、婚姻の届出があったときは、夫婦について新戸籍を編製し(同法16条1項)、当該戸籍には、戸籍内の各人について、夫又は妻である旨が記載され(同法13条1号,6号)、子が出生した場合にはこれを届け出なければならず(同法49条1項)、子は親の戸籍に入ることとされ(同法18条)、戸籍の正本は市役所等に備え置くこととされており(同法8条2項)、戸籍によって婚姻した男女や子の身分関係を公証している。また、民法は、婚姻に関する規定を設け(同法731条以下)、婚姻は戸籍法の定めるところにより届け出ることによってその効力を生ずるとした(同法739条1項)上で、三親等内の姻族も親族とし(同法725条3号)、同居の親族の扶け合いの義務(同法730条)、夫婦間の夫婦財産制(同法755条以下)、夫婦相互の同居・協力・扶助義務(同法752条)、夫婦の子に関する嫡出の推定(同法772条)、夫婦の子に対する親権(同法818条以下)、配偶者の相続権(同法890条)など、婚姻当事者及びその家族に対して、その身分に応じた権利義務を伴う法的地位を付与している。
 以上のことからすると、婚姻とは、婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し、戸籍によってその身分関係が公証され、その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという、身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であると解することができる。
 ところで、本件規定は、異性婚についてのみ定めているところ、異性愛者のカップルは、婚姻することにより婚姻によって生じる法的効果を享受するか、婚姻せずそのような法的効果を受けないかを選択することができるが、同性愛者のカップルは、婚姻を欲したとしても婚姻することができず、婚姻によって生じる法的効果を享受することはできない。そうすると、異性愛者と同性愛者との間には、上記の点で区別取扱いがあるということができる。
 以上のことからすると、立法府が、同性間の婚姻及び家族に関する事項について広範な立法裁量を有していることは、上記で説示したとおりであるが、本件区別取扱いが合理的根拠に基づくものであり、立法府の上記裁量権の範囲内のものであるかは、検討されなければならない。
 この点、国は、同性愛者であっても、異性との間で婚姻することは可能であるから、性的指向による区別取扱いはないと主張する。
 確かに、本件規定の下にあっては、同性愛者であっても異性との間で婚姻をすることができる。
 しかしながら、性的指向とは、人が情緒的、感情的、性的な意味で人に対して魅力を感じることであり、このような恋愛・性愛の対象が異性に対して向くことが異性愛、同性に対して向くことが同性愛である。また、婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあると解される。これらのことからすれば、同性愛者が、性的指向と合致しない異性との間で婚姻することができるとしても、そのような婚姻が、当該同性愛者にとって婚姻の本質を伴ったものにはならない場合が多いと考えられ、そのような婚姻は、憲法24条や本件規定が予定している婚姻であるとは解し難い。さらに、婚姻意思(民法742条1号)とは、当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思であると解されるところ、同性愛者が、恋愛や性愛の対象とならない異性と婚姻したとしても、婚姻意思を伴っているとは認め難い場合があると考えられ、そのような婚姻が常に有効な婚姻となるのか、疑問を払拭できない。
 上記のような性的指向や婚姻の本質に照らせば、同性愛者が、その性的指向と合致しない異性との間で婚姻することができるとしても、それをもって、異性愛者と同等の法的利益を得ているとみることができないのは明らかであり、性的指向による区別取扱いがないとする国の主張は、採用することができない。
 そこで、本件区別取扱いが合理的根拠を有するといえるかについて検討する。同性愛は、現在においては精神疾患とはみなされておらず、さらには、性的指向の決定要因は解明されていないものの、人がその意思で決定するものではなく、また、人の意思又は治療等によって変更することも困難なものであることは、確立された知見に至ったということができる。そうすると、性的指向は、自らの意思に関わらず決定される個人の性質であるといえ、性別、人種などと同様のものということができる。
 このような人の意思によって選択・変更できない事柄に基づく区別取扱いが合理的根拠を有するか否かの検討は、その立法事実の有無・内容,立法目的、制約される法的利益の内容などに照らして真にやむを得ない区別取扱いであるか否かの観点から慎重にされなければならない。
 現在においても、法律婚を尊重する意識が幅広く浸透しているとみられるが、このことは、明治民法から現行民法に至るまで、一貫して、婚姻という制度が維持されてきたこと、婚姻するカップルが年々減少しているとはいえ、いまだ毎年約60万組のカップルが婚姻しており、諸外国と比較しても、婚姻率は高く、婚姻外で生まれる嫡出でない子の割合は低いこと、各種の国民に対する意識調査においても、婚姻(結婚)をすることに肯定的な意見が過半数を大きく上回っていること、内閣も、法律婚を尊重する意識が国民の間に幅広く浸透していると認識していること、法令においては、婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者について、婚姻している者と同様に扱う例が多数見られ、事実上婚姻関係と同様の事情にある者に対しては、婚姻している者と同様の権利義務を付与することが法技術的には可能であるにもかかわらず、なお婚姻という制度が維持されていることの各事情からもうかがわれるものといえる。
 このことからすると、婚姻することにより、婚姻によって生じる法的効果を享受することは、法的利益であると解するのが相当である。
 そして、このような婚姻によって生じる法的効果を享受する利益は、それが異性間のものであれば、憲法24条がその実現のための婚姻を制度として保障していることからすると、異性愛者にとって重要な法的利益であるということができる。異性愛者と同性愛者の差異は、性的指向が異なることのみであり、かつ、性的指向は人の意思によって選択・変更できるものではないことに照らせば、異性愛者と同性愛者との間で、婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の価値に差異があるとする理由はなく、そのような法的利益は、同性愛者であっても、異性愛者であっても、等しく享有し得るものと解するのが相当である。
 したがって、本件区別取扱いは、このように異性愛者であっても同性愛者であっても、等しく享有し得る重要な利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益について、区別取扱いをするものとみることができる。
 明治民法下においては、婚姻とは、終生の共同生活を目的とする、男女の道徳上及び風俗上の要求に合致した結合関係などとされ、昭和22年民法改正当時においても、夫婦関係とは、社会で一般に夫婦関係と考えられているような、社会通念による夫婦関係を築く男女の精神的・肉体的結合とされており、我が国においては、同性婚は、明文の規定を置かずともそのような社会通念に照らして当然のこととして認められないと解されてきた。
 その理由について検討するに、同性愛は、明治民法下においては、変質狂などとされた精神疾患の一種とされ、これは治療すべきものであり、また禁止すべきものとされていたのであり、昭和22年民法改正がされた頃以降においても、同様に精神疾患とされ、治療すべきもの、禁止すべきものとされていたものであることからすれば、同性愛とは精神疾患にり患した状態であり、同性愛者間において婚姻を欲したとしても、それは精神疾患が原因となっているためであって、同性愛者間においては社会通念に合致した正常な婚姻関係を営むことができないと考えられたことから、法令によって禁止するまでもないとされたものと解される。
 しかしながら、平成4年頃までには、外国及び我が国において、同性愛は精神疾患ではないとする知見が確立したものといえ、さらに、性的指向は、人の意思によって選択・変更できるものではく、また後天的に変更可能なものでもないことが明らかになったことからすると、同性愛が精神疾患であることを前提として同性婚を否定した科学的、医学的根拠は失われたものということができる。
 現行民法では、婚姻当事者である夫婦のみにとどまる規定だけではなく、実子に関する規定(民法772条以下)、親権に関する規定(同法818条以下)などが置かれ、婚姻した夫婦とその子について特に定めていること、戸籍法が、子の出生時の届出(同法49条1項)や、子の親の戸籍への入籍(同法18条)などについて規定していることからすると、本件規定は、夫婦が子を産み育てながら共同生活を送るという関係に対して、法的保護を与えることを重要な目的としていると解することができる。
 しかしながら、現行民法は、子のいる夫婦といない夫婦、生殖能力の有無、子をつくる意思の有無による夫婦の法的地位の区別をしていないこと、子を産み育てることは、個人の自己決定に委ねられるべき事柄であり、子を産まないという夫婦の選択も尊重すべき事柄といえること、明治民法においても、子を産み育てることが婚姻制度の主たる目的とされていたものではなく、夫婦の共同生活の法的保護が主たる目的とされていたものであり、昭和22年民法改正においてこの点の改正がされたことはうかがわれないことに照らすと、子の有無、子をつくる意思・能力の有無にかかわらず、夫婦の共同生活自体の保護も、本件規定の重要な目的であると解するのが相当である。特に近時においては、子を持つこと以外の婚姻の目的の重要性が増しているとみることができ、子のいる世帯数は年々減少しているにもかかわらず、いまだ婚姻件数は毎年60万件を超えて婚姻率も諸外国と比べて比較的高く、子を持つこと以外に婚姻(結婚)の利点を感じている者が多数いるとみられることには、それが表れているということができる。
 このような本件規定の目的は正当であるが、そのことは、同性愛者のカップルに対し、婚姻によって生じる法的効果の一切を享受し得ないものとする理由になるとは解されない。
 すなわち、婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあるが、異性愛と同性愛の差異は性的指向の違いのみであることからすれば、同性愛者であっても、その性的指向と合致する同性との間で、婚姻している異性同士と同様、婚姻の本質を伴った共同生活を営むことができると解される。上記で説示したとおり、本件規定が同性婚について定めなかったのは、昭和22年民法改正当時、同性愛は精神疾患とされ、同性愛者は、社会通念に合致した正常な婚姻関係を築けないと考えられたためにすぎないことに照らせば、そのような知見が完全に否定されるに至った現在において、本件規定が、同性愛者が異性愛者と同様に上記婚姻の本質を伴った共同生活を営んでいる場合に、これに対する一切の法的保護を否定する趣旨・目的まで有するものと解するのは相当ではない。なぜなら、仮にそのように解したときには、本件規定は、誤った知見に基づいて同性愛者の利益を否定する規定と解さざるを得なくなるからである。
 このことは、憲法24条の趣旨に照らしても同様であり、同条が異性婚についてのみ定めた理由は、本件規定に関して上記で説示したところと同様であることは、説示したとおりである。これに加え、そもそも同条は、異性婚について定めるものであり、同性婚について触れるものではないことも併せ考慮すれば、同条は、同性愛者が異性愛者と同様に上記婚姻の本質を伴った共同生活を営んでいる場合に、これに対する一切の法的保護を否定する趣旨まで有するものとは解されない。
 以上のとおり、本件規定の目的や憲法24条の趣旨に照らせば、これらの規定は、同性愛者のカップルに対する一切の法的保護を否定する理由となるものとはいえない。
 我が国においては、平成27年10月の東京都渋谷区に始まり、登録パートナーシップ制度を導入する地方公共団体が増加し、現在はその数が約60に及び、そのような地方公共団体に居住する住民の数は約3700万人を超えるに至った。また、年齢層による差異があるとはいえ、同性婚を法律によって認めるべきとの国民の意見は、平成27年の調査と比較して平成30年には増加しているとみることができ、かつ平成27年の調査当時からおおむね半数に達していたものであり、特に、比較的若い世代において肯定的意見が多くみられる。さらに、同性愛者のカップルに何らかの法的保障が認められるべきだとの意見に肯定的な回答は75%に上り、我が国の企業のうち、権利の尊重や差別の禁止などLGBTに対する基本方針を策定している企業数は、平成28年から平成30年までの間に約2倍となった。
 上記各事実は、いずれも国民の意思を代表するものとはいえないが、性的指向による区別取扱いを解消することを要請する国民意識が高まっていること、今後もそのような国民意識は高まり続けるであろうことを示しているといえ、このことは、本件区別取扱いが合理的根拠を有するといえるかを検討するに当たって考慮すべき事情であるといえる。
 同性愛が精神疾患の一種ではないとする知見が確立して以降、諸外国においては、同性婚又は同性間の登録パートナーシップ制度を導入する立法が多数行われ、婚姻は異性婚に限るとする司法判断がみられる一方で、同性婚を認めない法制は憲法に反するとする司法判断も示されるようになり、このような例は、いわゆるG7参加国等の先進国に多くみられるものといえる。また、我が国に所在する外国団体も、我が国における外国人材の活動が制約されているとの懸念を示す意見を表明するに至っている。
 上記のような諸外国やその関連団体の動向は、婚姻やカップルの在り方に関する文化、価値観、宗教観などが我が国と異なることから、直ちに我が国における同性愛者のカップルに対する法的保護の在り方に影響する事情とし得るものではない。しかしながら、諸外国及び地域において、同性愛が精神疾患ではないとの知見が確立されて以降、同性愛者のカップルと異性愛者のカップルとの間の区別取扱いを解消するという要請が高まっていることを示すものといえ、このことも、本件区別取扱いが合理的根拠を有するといえるかを検討するに当たって考慮すべき事情であるといえる。
 同性愛を精神疾患の1つとし、禁止すべきものとする知見は、昭和55年頃までは、国際的にも我が国においても通用していたものであり、それは教育の領域においても広く示されていたものであった。近時の調査によれば、同性婚を法律で認めるべきとの国民の意見が多数になりつつあるものの、60歳以上の比較的高い年齢層においては、同性婚を法律で認めることについて否定的意見を持つ国民が多数を占めている。このように、国民の総意が同性婚に肯定的であるというには至らないのは、明治時代から近時に至るまで、同性愛は精神疾患でありこれを治療又は禁止すべきものとの知見が通用しており、そのような結果、同性婚を法律によって認めることに対する否定的な意見や価値観が国民の間で形成されてきたことが、理由の1つであると考えられる。同性愛を精神疾患とする知見は、現在は、科学的・医学的には否定されているものであるが、上記のような経緯もあって、同性婚に対する否定的な意見や価値観が形成され続けてきたことに照らせば、そのような意見や価値観を持つ国民が少なからずいることもまた考慮されなければならない。特に、婚姻とは、明治民法以来、社会の風俗や社会通念によって定義されるものと解されていたのであるから、立法府は、異性婚と同様の同性婚を認めるかについてその裁量権を行使するに当たり、上記のような否定的な意見や価値観を有する国民が少なからずいることを斟酌することができるものといえる。
 しかしながら、繰り返し説示してきたとおり、同性愛はいかなる意味でも精神疾患ではなく、自らの意思に基づいて選択・変更できるものでもないことは、現在においては確立した知見になっている。同性愛者は、我が国においてはごく少数であり、異性愛者が人口の9割以上を占めると推察されることも考慮すると、圧倒的多数派である異性愛者の理解又は許容がなければ、同性愛者のカップルは、重要な法的利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の一部であってもこれを受け得ないとするのは、同性愛者のカップルを保護することによって我が国の伝統的な家族観に多少なりとも変容をもたらすであろうことを考慮しても、異性愛者と比して、自らの意思で同性愛を選択したのではない同性愛者の保護にあまりにも欠けるといわざるを得ない。 
 性的指向による区別取扱いを解消することを要請する国民意識が高まっていること、今後もそのような国民意識は高まり続けるであろうこと、外国において同様の状況にあることも考慮すれば、立法府がその裁量権を行使するに当たって斟酌することができる一事情ではあるといえるものの、同性愛者に対して、婚姻によって生じる法的効果の一部であってもこれを享受する法的手段を提供しないことを合理的とみるか否かの検討の場面においては、限定的に斟酌されるべきものといわざるを得ない。
 国は、同性愛者のカップルであっても、契約や遺言により婚姻と同様の法的効果を享受することができるから、不利益はない旨主張する。
 しかしながら、婚姻とは、婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し、戸籍によってその身分関係が公証され、その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという、身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であることは、上記で説示したとおりであり、婚姻によって生じる法的効果の本質は、身分関係の創設・公証と、その身分関係に応じた法的地位を付与する点にあるといえる。そうすると、婚姻は、契約や遺言など身分関係と関連しない個別の債権債務関係を発生させる法律行為によって代替できるものとはいえない。そもそも、民法は、契約や遺言を婚姻の代替手段として規定しているものではなく、異性愛者であれば、婚姻のほか、契約や遺言等によって更に当事者間の権利義務関係を形成することができるが、同性愛者にはそもそも婚姻という手段がないのであって、同じ法的手段が提供されているとはいえないことは明らかである。加えて、婚姻によって生じる法的効果の1つである配偶者の相続権(民法890条)についていえば、同性愛者のカップルであっても、遺贈又は死因贈与によって財産を移転させることはできるものの、相続の場合と異なり、遺留分減殺請求(同法1046条)を受ける可能性があるし、配偶者短期居住権(同法1037条)についていえば、当事者間の契約のみでは、第三者に対抗することができず、契約や遺言によって一定程度代替できる法的効果も婚姻によって生じる法的効果に及ぶものとはいえない。
 以上のことからすれば、婚姻と契約や遺言は、その目的や法的効果が異なるものといえるから、契約や遺言によって個別の債権債務関係を発生させられることは、婚姻によって生じる法的効果の代替となり得るものとはいえず、国の上記主張は、採用することができない。
 本件区別取扱いは、人の意思によって選択・変更できない事柄である性的指向に基づく区別取扱いであるから、これが合理的根拠を有するといえるかについては、慎重な検討を要するところ、婚姻によって生じる法的効果を享受することは法的利益であって、同性愛者であっても異性愛者であっても、等しく享受し得る利益と解すべきであり、本件区別取扱いは、そのような性質の利益についての区別取扱いである。この点につき、本件区別取扱いは本件規定から導かれる結果であるところ、本件規定の目的そのものは正当であるが、昭和22年民法改正当時は正しいと考えられていた同性愛を精神疾患として禁圧すべきものとする知見は、平成4年頃には完全に否定されたことに照らせば、同性婚について定めていない本件規定や憲法24条の存在が同性愛者のカップルに対する一切の法的保護を否定する理由となるものではない。そうであるにもかかわらず、本件規定により、同性愛者と異性愛者との間で、その性的指向と合致する者との間で婚姻することができるか否かという区別が生じる結果となってしまっている。
 もっとも、同性間の婚姻や家族に関する制度は、その内容が一義的ではなく、同性間であるがゆえに必然的に異性間の婚姻や家族に関する制度と全く同じ制度とはならないこと、憲法から同性婚という具体的制度を解釈によって導き出すことはできないことは、前記で説示したとおりであり、この点で、立法府の裁量判断を待たなければならない。そして、我が国には、同性婚に対する否定的な意見や価値観を有する国民が少なからずおり、また、明治民法以来、婚姻とは社会の風俗や社会通念によって定義されてきたものであって、婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであることからすれば、立法府が、同性間の婚姻や家族に関する事項を定めるについて有する広範な立法裁量の中で上記のような事情を考慮し、本件規定を同性間にも適用するには至らないのであれば、そのことが直ちに合理的根拠を欠くものと解することはできない。
 しかしながら、異性愛者と同性愛者の違いは、人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかなく、いかなる性的指向を有する者であっても、享有し得る法的利益に差異はないといわなければならない。そうであるにもかかわらず、本件規定の下にあっては、同性愛者に対しては、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段が提供されていないのである。そして本件区別取扱いの合理性を検討するに当たって、我が国においては、同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的な国民が増加し、同性愛者と異性愛者との間の区別を解消すべきとする要請が高まりつつあり、諸外国においても性的指向による区別取扱いを解消する要請が高まっている状況があることは考慮すべき事情である一方、同性婚に対する否定的意見や価値観を有する国民が少なからずいることは、同性愛者に対して、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないことを合理的とみるか否かの検討の場面においては、限定的に斟酌すべきものというべきである。
 以上のことからすれば、本件規定が、異性愛者に対しては婚姻という制度を利用する機会を提供しているにもかかわらず、同性愛者に対しては、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは、立法府が広範な立法裁量を有することを前提としても、その裁量権の範囲を超えたものであるといわざるを得ず、本件区別取扱いは、その限度で合理的根拠を欠く差別取扱いに当たると解さざるを得ない。
 したがって、本件規定は、上記の限度で憲法14条1項に違反すると認めるのが相当である。
 本件規定は、昭和22年民法改正当時における同性愛を精神疾患とする知見を前提とすれば、そのような同性愛者のカップルに対する法的保護を特に設けなかったとしても、合理性がないとすることはできない。
 この点につき、そのような知見は、昭和55年頃には米国において否定され、平成4年頃には世界保健機関によっても否定されたものであり、その頃には、我が国においても、同性愛を精神疾患とする知見は否定されたものと認めることができる。
 しかしながら、科学的・医学的には同性愛を精神疾患とする知見は否定されたものの、諸外国において登録パートナーシップ制度又は同性婚制度を導入する国が広がりをみせ始めたのは、オランダが2000年(平成12年)に同性婚の制度を導入して以降といえ、我が国における地方公共団体による登録パートナーシップ制度の広がりはさらに遅く、東京都渋谷区が平成27年10月に導入して以降といえる。
 また、近時の調査によっても、20代や30代など若年層においては、同性婚又は同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的な意見が多数を占めるものの、60歳以上の比較的高い年齢層においては否定的な意見が多数を占めており、国民意識の多数が同性婚又は同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的になったのは、比較的近時のことと推認することができる。
 さらに、同性愛者のカップルに対し、婚姻によって生じる法的効果を付与する法的手段は、多種多様に考えられるところであり、一義的に制度内容が明確であるとはいい難く、どのような制度を採用するかは、国会に与えられた合理的な立法裁量に委ねられている。ところが、本件証拠上確認できる、国会において初めて同性婚に言及された機会は、平成16年11月17日の参議院憲法調査会における参考人の答弁であるが、同調査会においては同性婚について議論がされた形跡はなく、国会における議論がされるようになったのは、平成27年に至ってからであると認められる。
 加えて、同性婚や同性愛者のカップルに対する法的保護に否定的な意見や価値観を有する国民は少なからず存在するところである。
 これらのことに加え、昭和22年民法改正以後、現在に至るまで、同性婚に関する制度がないことの合憲性についての司法判断が示されたことがなかったことにも照らせば、本件規定が憲法14条1項に反する状態に至っていたことについて、国会において直ちに認識することは容易ではなかったといわざるを得ない。
 そうすると、本件規定は、前記で説示した限度で憲法に違反するものとなっていたといえるものの、これを国家賠償法1条1項の適用の観点からみた場合には、憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。
 したがって、本件規定を改廃していないことが、国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではないというべきである。
 よって、同性カップルの請求を棄却する。

3 地方裁判所で判断が分かれる 

 今回のケースで裁判所は、同性愛者に対しては、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは、立法府の裁量権の範囲を超えたものであって、その限度で憲法14条1項に違反すると判断したものの、国に対する損害賠償請求を認めませんでした。
 同性婚をめぐっては、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5つの地方裁判所で判決が言い渡され、そのうち4つの判決で、同性婚を認めないことは違憲であるとの判断がなされています。今後の控訴審の行方にも注目したいと思います。
 では、今日はこの辺で、また。


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