したきりすずめ

昨日も少し出てきたけれども。今回、図書館で『したきりすずめ』を借りてきている。

有名な話なので知っている人も多いと思う。

せんたくのりを食べてしまったスズメが、舌を切られた。逃げたスズメを探しに行ったおじいさん。スズメのお宿でもてなされ、最後に大きいつづらと小さいつづら、どちらにするかを選ばされる。優しいおじいさんと、強欲おばあさん、そんなお話である。

今回、我が家で借りてきていたのはこの本。

大筋は私も知っている通りだったのだけれど、知らない部分もあった。

スズメを探しに行ったおじいさんが、いろいろ試練を与えられるのである。

「牛を洗った桶の水を飲むか、残りの牛を洗うかしたら、(スズメのお宿の場所を)教えてやってもええ」

「馬を洗ったため池の水を飲むか、残りの馬を洗うかしたら、(スズメのお宿の場所を)教えてやってもええ」

途中で出会った牛飼いや馬飼いに、そんなことを言われるのである。


最後の解説文によると、

本書のおじいさんの試練は牛や馬を洗うことでしたが、他に伝わる話では大量の小便、米のとぎ汁、野菜の洗い水、たきぎ、天びん棒を飲むなど、とても不可能と思われることばかりです。

一般に知られている『したきりすずめ』には、試練の部分がありません。これは江戸時代の子どの向け絵本や、明治時代以降に作られた国定教科書の影響と思われます。

とのこと。
この本では、「水を飲むか洗うか」の2択を迫られているけれども、他の試練も2択なのだろうか。よりマシな方を選んだとして、それが木を食べることだった場合。作者の意図は何だったのだろう?と思う。

解説には、「すずめに対するおじいさんのひたむきな愛情」と書かれているものの。別にそんな内容で試さんでも…もっと他にあるだろう…と私は思ってしまう。困難があった方が物語が盛り上がるのはわかる。でも、「汚い水を飲む」「木を食べる」じゃなくてもいいよなぁ。

その2つからパッと浮かぶのは食糧難。昔の日本は飢饉もあったし、今のような食生活では無かったはず。その時代の人から見ると、また違った感じ方になるのかな。当時の人が何を思ってこの話を作り、どう受け取られていたのか。何となく気になったのだった。


昔話って大人になってから読んでも、いろいろ発見があるものだな。



ではまた明日。