自力

ある日小学校から帰ってきた息子が、こんなことを言っていた。

「昨日計算の宿題もあったんやってー」

連絡帳の宿題欄には、計算の宿題が書いてあった。しかし息子は見落としてやっていなかったらしい(他の宿題はやっていた)。

「そうなんや。まぁそんなこともあるよねー」

と言いつつ。何となく「自力」ということについて考えたのだった。


小学校が始まった当初こそ、「今日の宿題はこれだね」と一緒に確認してやっていたものの。見ている感じ大丈夫そうなので、息子に言われない限り宿題に関しては特に声をかけないでいた。

息子から「一緒に見て」と言われたら連絡帳と照らし合わせてやることを確認するけれども、言われなかったら特に何もしない。連絡帳にサインをする時に宿題の項目をざっと見て、音読の宿題がまだだなーと思ったら「国語の教科書読んだっけ?」と声をかけるくらいである。

今回のも「わざとやらなかった」じゃなくて「見落とした」とのことで。実際その通りだろうし、私からは特に何も言うことがない。「見落とした」のは息子自身だし、その上でどうするかを決めるのは息子だからだ。


だけど今回もしも、私が宿題を確認していたらどうだっただろう。

「計算の宿題を忘れていた」となった時。きっと息子は私を責めたのではないかなと思う。「なんで言ってくれんかったん!」ってなったと思う。

いやいやそれは誰の宿題だい、あなたの宿題だよ。一緒に確認した以上、保護者である以上、私にも責任があるかもしれない。しかし本人であるあなたにだって責任はあるし、本来は全部自分でやることなんだよ。

と言ってもおそらく息子は怒るだろうし、(薄々自分も悪いという自覚がありつつも)全て私のせいにしたがるだろう。

つまり私が手伝ったが故に、他責思考になった可能性がある(ここで「親は頼りにならない。自分でやらなきゃ!」ってなってくれればそれはそれでいいんだけど、おそらくそうはならないだろう)。


今回のことは息子ひとりが関わっていたから、「自分が見落とした」と自力の方向に自然と持っていけたのではないかなぁと思う。

本当に全然理解できていない、ひとりでは到底無理なら手を貸した方がいいかもしれないけれども。ある程度できることなら放っておいた方が自力は育つのだろうなぁと思ったのだった。



余談だけれど、別の日。息子の宿題に間違いを見つけた。

8は1と□にわけられます

□に8と書いていた。1と8を足したら8より多くなってしまうではないか。

ただ、他の同じような問題は全て合っていたので、理解できていないわけではなくて、急いでパパパーッとやって間違えたもよう(基本的に息子の中で宿題は「面倒くさいもの」なので、とにかく早く終わらせたがる。まぁ、自分がわかっているものを何度もやらされるのは面倒くさいよね…)。

果たしてこれ(間違い)は、気付いた私が指摘した方がいいのかどうなのか。

とりあえず私は何も言わずにいた。おそらくそのまま提出されただろうと思う。後のこと(遊びたい)で頭がいっぱいの子に「ここ間違ってるよ」と言ったところで何の意味もないと思ったからだ。

間違いを知った時、息子はどうするだろうか。「うがー!」って怒って直すだけで終わるのか。「見直ししよう」ってなるのか。それとも私に「合ってるか見て」って言うのか。いろんな方法がとれると思うけれども。

そこでどう考えて実行するかは息子次第。

子どもが自分で考えて行動するには、親はあんまり手を出さない方がいいんだろうなぁと感じる日々なのである。



ではまた明日。