昭和一桁生まれの男2

昨日の続き

祖父の話。この記事は2000字くらいになってしまっているので、時間のある時にお読みください。


祖父は(祖母も)昭和一桁生まれである。

世代によって「こんな傾向がある」と語られることがあるけれども、私の周りでは「昭和一桁生まれ」とひとくくりにして語られることが割とあった。曰く

・戦争を経験しているので、質素な生活を心がけている(贅沢を良しとしない)

・とにかくよく働く

らしい。
確かに祖父母は「贅沢したらいかん。(お金を)使ってしまってはいかん」と言っていたし、体調が悪くて「しんどい」と言っているのに田畑に行く所はあった(祖母は現在もそうである)。

そういうことがある度に、「昭和一桁生まれだからねー」「あの年代はそうだよねぇ」という会話が出てくるのだった。私は祖父母以外の人をあまり知らないので、本当にそれが当てはまるのかはわからないのだけれど。「昭和一桁生まれ」という言葉は私の中で定着してしまっている。


昭和一桁生まれだから、というわけではないのだろうけれど。祖父は70歳を過ぎても、75歳になっても外に働きに行っていた。土木関係の仕事である。いつからやっていて、どんな仕事をしていたのかは知らない。とにかく毎朝車に乗って通勤していた。

しかしさすがに、しんどくなってきたのだろう。76歳の誕生日を迎える時に、仕事をやめることにした。当時カメラ屋で働いていた私に祖父は言った。

「ねえ(私のこと。長女なので姉。ねえ)、カメラ1つ買ってきてくれ」

仕事をやめたら旅行したいらしい。実は旅行が好きだったようだ。そういえば毎年社員旅行であちこち行っては、お土産をくれてたよなぁと思う。

私は早速、デジカメを1つ買ってきた。祖父でも使いやすそうな、割と簡単に操作できるものを。それが1月末くらいの話だっただろうか。祖父の誕生日は2月。仕事をやめるまであと少しという時だった。


それからそんなに経たないある日。祖父が入院することになった。どうも朝起きたら顔の筋肉?表情が動かないとかで、病院に行ったら入院することになったのだ。

入院期間がどのくらいだったかは覚えていないけれど、そこまで長くは無かったと思う。長くても1月くらいじゃなかろうか。お見舞いに行って帰る時、駐車場から病室を見上げたら手を振ってくれたのを覚えている。


その後家に帰ってきたものの。仕事もやめたのだし、旅行に行けば?と言っても「そのうちな」という感じで。田んぼに行ったり本を読んだり、休日のように過ごすだけだった。

そうこうしているうちに、今度はおなかが痛いという。肝硬変だった。もうどうしようもないほど悪くなっていて、入院しても正直できることはあまり無い。家でいることもできるけどどうするか?と言われ。祖父は家でいることを選択した。

通院したり、たまにどうしようもなく痛みが我慢できなくなったりで私も病院に連れて行くことがあった。先生は言う。

「すごく痛いはずなんよ。でもこの年代の人って本当に我慢強いんよね」

「正直もう、いつ亡くなってもおかしくないんよ。でもこの年代の人って、本当に丈夫なんよね。よく動くからね」

そういう言葉を聞く度に「昭和一桁生まれ」の単語が頭をよぎった。先生が家まで来てくれると言うのに、頑なに自分が病院に行こうとするし。祖父が痛みや苦しみに対して叫んだりしたのを、私は聞いたことが無い。唯一聞いた弱音は、亡くなる3日くらい前。自力でトイレに行こうと立つ祖父を支えた時だろうか。

「こんなに痛いと思わんかったんじゃ」

弱々しい声で言った。たぶんそれが、私が聞いた祖父の最後の言葉だ。


祖父は亡くなった。ちょうど今頃。7月20日くらいだったと思う。最後は家族みんな祖父の部屋に集まって、ただ静かに、呼吸が止まるのを見守った。


田舎なので家で葬式をした。元々覚悟していたし、年齢的におかしな話でもないし。全く湿っぽくないお葬式だった。

祖父がいなくなっても普通に回っていく毎日。一緒に暮らしていたと言っても家族の中で一番関わりが少なかったのは祖父だったので、大きく何かが変わるということはなかった。

ただ、亡くなって一月くらい経ったある日。地元の花火大会の日に。家で花火を見ながら、何故か祖父がいないことを実感してしばらく泣いたことがあった。一月経ってやっと自分の中で落ち着いたというか、何か変化があったのだろうか。


結局、私が買ったデジカメは使われないまま。旅行もできないままだった。祖父は後悔していたのだろうか。どちらかというと寡黙な人だったし、病気がわかった後、祖父がどう考え過ごしていたのかは全然わからない。

そもそも私は、一緒に暮らしていたのに祖父のことをあまり知らないのだ。自分のことに一生懸命だったといえばそれまでなのだけれど。もうちょっと、祖父の話をいろいろ聞いてみれば良かったなと思う。


「昭和一桁生まれの男」。祖父のことを思い出すと必ずセットで出てくる単語である。あまり贅沢はせずに、働けるだけ働いて、動いてきた人生。典型例と言えるかはわからないけれど。私の中では祖父が、「昭和一桁生まれの男」代表なのである。



ではまた明日。