情報と常識

最近自分の中で、割と衝撃的なことがあった。簡単に言うと

「インフルエンザが原因」と言われている世界規模の出来事が、実はインフルが原因ではなかったんでないの?

という記事を読んだのである。

私が触れた情報が「真実であるかどうか」は正直わからない。私は生きていない時代の話だし、今更検証しようがないというか。私にできることと言えばせいぜい当時の人の記録を読むことくらいだけど、正直なところそれすらやることはないだろうと思う。

この話が「真実であるかどうか」自体は私の中ではあまり重要ではないのだ。何より衝撃を受けたのは、

「世界的にインフルが原因だと言われていることが実は違ったのかも」

という部分である。


「世間的に言われていることが実は違った」ということは、まぁ、山のようにあって。今までだっていろいろ触れてきたのである。

ただ今回のことは「世界規模」で「そこまで大昔のことではなく」て、何より「私がすんなり信じてしまっていた」ことだった。それが違っていたかもというのは、なかなかに衝撃的な話だった。


世界規模でインフルが原因だと言われている。つまり、それは「世界の常識」と言ってもいいと思う。世界規模なら間違っていることなんてないんじゃないか。少しの迷いを持つこともなく、一切疑うこともなく、頭から「常識」としてインプットしていた。

「これは常識だから、知らなければおかしい、無知だ」とさえ、どこかでは思っていたかもしれない。


だけどもしかしたら、その常識は違っていたかもしれなくて。じゃあ「常識」って何なんだろうと思う。

「あれってインフルが原因なんでしょ」

と知ったかぶりして常識を振り回して、それで終わり。本当の原因を知ることはなく、だからそれを元に今後何か対策をすることがあっても的外れで。なのに「これが常識だ」と大きな顔で言うことに何の意味があるんだろう。


「常識」って「思考停止」なんだなぁと改めて思ったのだった。たとえ目の前に「これはこういうもんだ」という情報があっても、「それが常識だ」と言われても。本当のところどうなのか、その情報のどこを信じてどこを信じないのか、自分の目で見て考えて選択していくのが、一番自分のためになるのだろうと思う。そしてこれからの世の中特に、その力が必要になってくるのだろう。

わかっているつもりだけどわかっていなかったというか、またひとつ腑に落ちたのでとりあえず書いておく。今の世の中嘘ばっかりなのでねぇ…昔ほど何でも信じちゃいないけど、それでもやっぱり騙されて「はっ!」てなることはあるんだよなぁ。




以下、蛇足的に今回のことについて追加すると。

ここ数年の流れで病気関連のもの(特に大本営発表)が怪しいのはわかっているつもり…だったけど、それを昔にまで適用できていなかったなぁというのがかなり大きな気付きだった。

普通に考えて、今の世の中でこれだけやっているんだから、昔だってやっているよなぁという。でもそこまで思考が至らなくて。「常識」に縛られているんだな。

歴史は「勝者の歴史」ということも、一応頭ではわかっているつもりだけど。でもじゃあ、そこに埋もれてしまった人々はどう生きてきたのだろう。歴史の片隅でその時代を生きた人々。自分の目で見て、考えて、その時代に自分の生活を楽しい方に変えてきた人々。そういう人の記録こそ、これから生きていくのに参考になりそうだよなぁと思う。


あんまり病気やら何やらについて記事として書くことはないんだけど、今回は発端がインフルだったので。まぁいろいろ。自分に都合がいい情報を流してそれを「常識」とする人は多いので、気をつけねばいかんなぁと思うのである。



ではまた明日。