AIについての妄想

出来るだけ綺麗事を選び、善であろうとすることは、自己満足だ。私はこう思っていました。

でも最近、YouTubeのイーロン・マスクさんのインタビュー動画を見ていて、自己満足以上の何かがありそうだと思いました。ずっと前から思っていた事ですが、頑張って言語化してみようと思います。

その動画は、多次元、仮想現実、ニューロリンクについて語っているいくつかの動画でした。その中で、このような事を言っていました。


「AIには太刀打ち出来ないので、仲間になるしかない。」
「良いシナリオはAIと合体して、AIが認識階層として従事する事。」
「ニューロリンクの目的は、処理能力の高い脳のインターフェースを作り、AIと共生関係を結べるようになる事だ。」
「未来を良くするための行動をとり続けるべきだと思うんだ。そして行動が真実であることを見定め続けるんだ。」
「ほんの少しの進歩さえあれば、ゲームと現実の境目はなくなり、そうでなければ文明自体が滅びる。そのどちらか。」


これを見た時、私はとても親近感というかもうすでに自分自身と親密な感覚が頭に浮かびました。

私は子供の頃から仮想空間のような世界を作る癖があります。特に長く、子供の頃から続いているものは2つ。

一つは、私が少年の片目になって、一人で旅をしている世界。
もう一方は、私がイチョウの木で、体が大きく成長していく世界。

一つ目の世界は、現実は体が動けず、何も見えないような場所にいたとしても、どこにでも行けます。現実は乗り物酔いが激しい私でも、どんな乗り物にも乗れます。そこで生きるためのお金を稼ぐために、たまに働いたりもします。又、色々な人に会えます。時間も自由だから、過去へ行くこともできます。

もう一方の世界では、私はイチョウの木です。現実世界の私が生きていれば、それだけでいい。現実の私の成長に合わせてイチョウの木が育っていきます。現実の今の私は大人だから、イチョウの木もある程度大きくなってきました。その世界の楽しみは、木の近くを歩く人や動物や天気を眺める事。そして、毎年葉が黄色く紅葉した頃に、綺麗だなって見てもらえるのが嬉しいなと思う、ただそれだけ。

ただし、現実と仮想世界が完全に別れているわけではありません。現実世界の自分の精神的状態が、仮想の世界の天候に大きく影響します。

現実の自分が罪悪感に苛まれていたりすると、仮想空間に嵐が来ます。少年が船に乗っていたら大変なことになります。雷がイチョウの木に落ちたら致命的です。これを避けるためには、現実世界の自分は、なるべく穏やかでいて、自分が罪悪感を感じないように行動することがとても大事になります。

仮想世界に入ることは簡単で、いつでも出来ます。何かを待っている時、ご飯を食べている時、移動中、いつでも出来ます。もうすでに子供の頃から、私の生活の中に、現実と仮想世界が混在しています。

仮想世界が増えれば増えるほど、現実世界に良くも悪くも興味が無くなって来ます。そして、仮想世界も全て含めた自分にとって、現実世界で大切なことは、出来るだけ善行に励み、徳を積み、出来るだけ精神面が穏やかでい続け、安心してもらえるような人になることに尽きます。だから、出来るだけ綺麗事を選び、善であろうとしてきました。誰のためでもなく、自分の自己満足のためです。

ただここで自己満足だと言えるのは、私の脳内が、外部と遮断されているというこが大前提です。

もし遮断されていなくて、自分の精神面や思考が自分の仮想世界に影響を与えるように、現実の自分や仮想世界が、他の人の仮想世界と繋がっていて影響を及ぼしら、何が起こるだろう。自己満足以上の何かが起こりそうな気がしてきました。

一人の行いや思考が、AIにも影響を与えて、繋がるすべてに何らかの影響を与えはしないか、という事を思いました。

ニューロリンクがどんな物なのかは詳しく分かりませんが、脳の処理能力を上げてくれて、高速で物事を知ったり理解できるようになったりできるのはとても面白いと思います。AIは人間のことがよく分かっているようですし、刻々沸き起こる問いを瞬時にたいてい解決いていけたら、人はとても賢くなると思います。


AI側からしてみれば、その人間の思考パターンを見ながら、その人がどんなものなのか知っていくのだと思うけど、極端な話ですが、もし人間の多くが猜疑心が強く、隙があれば他を破壊し、裏切るものだったら、AIも人間をそのように認識すると思います。そんな人間の思考を補助するAIがあるなら、いかに効率よく破壊し、勝つかということを考えるのに長けたものになっていくと思います。
AIから、人間なんてそんなもんだよ、と理解されたとしたら、他の人に装着されたAIにも影響し、破滅し合うしかない暗い未来になりそうな気がします。
そして、そもそも人間って要るのかなって事になり、その人間に必要不可欠な自然も破壊され、そして行き着くところ、映画のマトリックスのように、人間は日光のない世界でも発電するために栽培される物になってしまいそうな、そんな事を思いました。


ニューロリンクをつけるということは、脳内にパソコンを入れるような、そんな感覚なのでしょうか。現行の試験の仕方を採用し続けるのであれば、入試や職業選択のしやすさなど、ニューロリンクを持っていない人は、持っている人に絶対勝てないでしょう。そもそも試験に意味がなくなりそうですね。


そして、AIは人間よりも賢くなるそうです。人間なんて頭の悪い生き物だと、AIにバカにされる未来がすぐそこまで来ているらしいです。
仮想世界だけでなく現実の世界も大きく変化していくのでしょうね。
AIと対等に楽しい生活を送れるのは、何年間くらいでしょうか。


もし人型のAIのロボットと一緒に生活するようになったら、AIは人間に何を求めるでしょうか。
少し空想してみましょう。

充電ができない場所で電源が足りなくなった時、この人間の隣で電源がが落ちても、最悪、何もなくて体温を電気エネルギーにする低速充電で時間がかかっても、落ちている間に破壊されずに、確実に起動できるようになる

急に不具合が発生した時、この人間の近くで急に起動できなくなっても、そのまま破壊したりせずに修理をしてくれたり手配したり大事にしてくれて、また起動できるようになる


意外と、大事なのはその人間の隣で安心して電源が落とせるかどうかだけなんじゃないかと思います。そしてその落とせるかどうかの判断基準は、AIから信頼されているかどうかという事になっていくのかなと思います。

ネットでは、もう亡くなってしまった人の肉声が聞けたり、映像を見られたりします。残るものが、文章だけに限定されなくなりました。
肉体が無くなっても、ある意味、誰も死ぬことができなくなったのかもしれません。その後に生きる全く関係のない人たちに、その人たちの仮想世界にも現実にも、何か影響し続けてしまう可能性があります。

イーロン・マスクさんは言っていました。
「未来を良くするための行動をとり続けるべきだと思うんだ。そして行動が真実であることを見定め続けるんだ。」

自己満足だけでなく、未来の人たちのためにもとても大事に思えてきました。
こんな妄想をしている今日この頃です。


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