静かな決意

暑いこの暗い部屋の中で、ガチャガチャ音を立てながら、機械がプレスして、金属を切っていく。部屋の違う隅の方では、別の機械が金属を形作っていく。窓の隙間から強い日が一筋、その光がその機械から撒き散らされた金属の粉を輝かせていた。真夏のこの工場の中では、汗が止まらなくなる。汗と湿気が相まって金属の粉が髪や皮膚にへばり付き、キラキラしてくる。私は自分のそんな手も好きだった。

私、佐々木良子は大学生になり、日頃はアルバイトで家庭教師や塾講師をしていたが、たまに佐藤工業とうい旋盤工場でも働いていた。夏休みなど長期休暇中や、工場がとても忙しい時はお呼びがかかるのだ。工場と言っても、社長含めて平均年齢55歳くらいの男性社員5人の小さな工場だ。高校生の時もたまに働きに来たので、声がかけやすかったのだろう。

私は子供頃から、この工場の前を通るたびに聞こえて来る金属音が気になって仕方がなかった。高校生になり、私は早朝にコンビニ、放課後はガソリンスタンドで働いていたが、夏休みはどうしても時間が有り余る。どうせなら面白そうなところで働きたかったので、この佐藤工業に働かせて欲しいと押しかけたのだ。急な女の子の訪問に、社長や社員さんたちは本当に驚いていたが、みんなとても可愛がってくれた。

しかも制服のつなぎかカッコ良かった。ガソリンスタンドのつなぎは緑色だった。それでも悪くはなかったが、工場のはグレーで、キャップも本当にしっくり来た。願わくば、高校の制服もこれにしたいくらいだった。

「そろそろ休憩にしよう。良ちゃん、アイス買ってきて。」佐藤社長が言った。

「はい。」社長から渡された400円を持って、私は近所のコンビニでラムネのアイスを1箱買った。

工場に戻ると、まだ2人が機械を動かしている。私は椅子にすでに座っている佐藤社長たちにアイスを配り終えると、残りの2人のところへ行った。

「谷口さん、辻さん、早く食べてください。アイスがもう溶けますよ。」

「もうちょっとなんだ。あと15枚くらいでこの型終わるんだ」社員の中では一番年配の谷口さんが言った。

「こっちももう少し。」辻さんも言った。

この工場で作られる部品は、ある大手電機メーカーが大量生産する製品を作るための機械の部品だった。製品自体の部品ではないため、大量生産の必要はない。そのため、メーカーから近い場所にある小さな工場でこういった特殊な部品が作られていた。

2人を眺めながら、いつになったら私はこれをやらせてもらえるのかなと考えていた。と言うのも、私が高校生の時に、社長がこう言ったからだ。

「高校卒業した後もうちを手伝ってくれる気があるなら、その時はやってみていいよ。」

私は今、「その時」だと思うのだが、一向にやらせてもらえる気配がない。くる日も来る日もベリ取り(金属の切り口についた細かい凹凸を取り除く作業)や掃除や、三角関数が苦手な社長に代わってたまにする、金属の切断機械の切断経路の設定くらいだった。危ないから触らせてもらえないのかな、と強引に思おうとするが、でもやはりそうではなさそうだった。そこで聞いてみた。

「社長、そろそろ私にも辻さんがやっていた機械、触らせてくれてもいいんじゃないでしょうか。だって、何年か前にそう言ってたでしょう。」私は、ご機嫌に話をしている社長に言った。

「ああ、そうだったね。あ、考えておくね。」そう言うと、社長が少し笑顔を作った。内心全然笑っていないような、そんな笑顔だった。詳しく聞ける雰囲気でもないので、それ以上話すのはやめた。

家に帰り冷たいシャワーに打たれながら、私は社長に何か悪い事を言ってしまったのかと心配になった。自分の黒くなった両手を眺めながら色々思案したが、やはり理由が思いつかなかった。


夏休みももうわずか数日となった。私はまだ、例の金属の切断機を使わせてもらえていなかった。少し残念には思っていたが、そう思っていた事自体ももう忘れそうになっていた。

この日の工場には、私と谷口さんと辻さんしか居なかった。1人は休暇で、社長ともう1人の社員は配達へ行ったらしい。3人居ないだけで、こんなに静かなのかと思いながら、今日は何をしようかと考えていると、谷口が言った。

「社長がなぜ良ちゃんに機械使わせないか分かる?」

「いいえ。」私は両手を持ち上げて、少し戯けながら言った。

「良ちゃんのせいじゃないんだ。多分、社長も怖いところがあるんだと思う。」

「怖い、ですか?」私は意外な答えに驚いた。

「実は、社長は元々、ある会社で旋盤の下積みをしていて、そこから独立してこの佐藤工業を作った。その時に前の会社から、多少顧客も持って来たんだよ。結局、元の会社は、景気とか他にもいろいろ理由はあるかもしれないが、倒産した。もしかしたら、良ちゃんが若い頃の社長自身と重なっちゃうんじゃないかな。」と谷口が言った。

「私はそんな独立とか、そんな事を考えたことがありませんよ。」

「だろうけど、社長はそんな気持ちなんじゃないかな。」

私はただ皆んなのお役に立ちたかっただけなのに、私は皆んなから信頼してもらえていなかったのかと残念な気もしたが、意外と嬉しいと感じている自分もいた。ある意味、女子の私でも戦力と思ってくれていたのかなと思うと悪くはない気分にもなった。


この日はずっと真鍮(しんちゅう)の部品のベリ取りをしていた。真鍮は柔らかい金属なので、力を入れすぎるとたくさん削れてしまう。谷口に言われた事を思いながらボーッとしていたら、いつの間にか削りすぎていた。切断したての部品の角が丸くなってしまった。配達から帰ってきた社長がデスクで事務処理をしているのが見えたので、謝りに行くことにした。

「社長、ごめんなさい。ボーッとしてたら、削りすぎてしまいました。申し訳ありませんでした。」私は頭を下げた。

「あ、大丈夫だよ。何枚かは多く作ってるはずだから。そんなに心配しないで。」社長はにこやかに言った。

「ああ、よかった。」私はその笑顔に安心した。そこで、気になっている事を思い切ってきいてみることにした。

「社長、私、将来この工場の仕事をしたいとか、独立したいとか思っていません。裁断機使わせてもらえないのは少し残念だけど、仕方がないのかなって。だから安心してください。」

若かりし日の社長も、最初から独立しようとなんて考えていなかったでしょう。今、私がこんな事を言ったところで、「5年後か10年後は分からないだろう?」と社長に言われてしまったらどう返そうか。そう思うと、今更になって聞かなければよかったなと思い始めた。

「うーん」社長は黙り込んでしまった。

そして少しの沈黙の後、社長はやっと口を開いた。

「そうじゃないんだ。同業者がどんどん減って、生き残りが本当に大変なんだ。仕事を熱心にやってくれるのは嬉しいけど、良ちゃん、ここじゃないところに行った方がいい。出来たら、地元出た方がいい。何かウチじや勿体ない。どこかで挑戦しておいで。」

予想と違う言葉に、どう答えていいか一瞬戸惑った。

「はい。」とだけしか言えなかった。


帰り道に考えた。

思えば、幼稚園も小学校も中学校も高校も大学もずっとこの道を通って通った。これから先もそうなのかな、これでいいのかな、と。

家に帰ると、お母さんがリビングにいた。いつもは病気がちで寝ていることが多いが、今日は少し元気なようだ。

「良子が高校の数学の先生になったら、、、、%☆♪☆%¥」

お母さんが私の将来のことを勝手に言っている。途中から聞く気も無くなった。ここにいたら、お母さんからずっとコントロールされ続けられるのは確定なようだ。

そしてふと、今日社長が言ってくれた「良ちゃん、どこかで挑戦しておいで。」を思い出した。そして私は決めた。来年、この家を出よう。


約1年半後、私は両親が反対の中、都内の大学へ編入し、家を出ることができた。社長は、私の静かな決意を、私の両親には最後まで黙っていてくれた。しかも、アルバイトなのに3万円分の図書カードの退職金も。



そして時は経ち、良ちゃんはどうなったかというと、

残念なことに、

何者かになっていたらよかったのに、

なれませんでした。

社長、本当にごめんなさい。

でも、社長のおかげで、今、納得した人生を送れている気がします。

社長、ありがとう。今でもずっと感謝してます。







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