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非合理な特殊解 14

「エマ、ただいま。」
夏子は玄関の戸を開けてくれたエマに微笑んだ。
「おかえり。どうだった?」
「どうって。驚いたというか。エマは大変だった?」
「段々慣れた。」
「私慣れるかな?」
「無理に慣れなくてもいいよ。本当に嫌なら辞めたらいいよ。夏子はこれまで働きすぎだったから、少し休めば?他に仕事なんかしないでここにいたらいいじゃない?」
「それもそうね。休んでみようか。あの、今までエマからもらっていたお金って、この仕事で稼いだお金なのかなと思うととても大変だったのかなって。何も言ってくれないから。」
「夏子が思ってるより、私多分大変だと思ってなかったよ。」
「そう?」
「慰められたような気もしてた。」
「どういうこと?」
「私の家庭は普通の家庭では無かったじゃない?父親よく知らないし、お母さんは外国人。側から見たら私もね。疎外感はどこへ行っても付き纏ってきたけど、あの仕事してから、みんな色々な問題を抱えていて、日々苦しんでいて、それを微塵も出さないで生きてるって分かってきた。」
「そうだね。私は今日初日だったからまだよく仕事のことを知らないけど、恋愛以前の深い問題がありそう。でもさ、この仕事はそれを悪用しているようだよ。罪悪感だわ。こんなことに慣れるのかな。」
「時給2500円のバイトなんて殆ど無いわけだし、療養だと思ってもう少しやってみたら?」
「そうかな。」
「何か、得るものもあるかも。楽しくなったりして。」
「正直言うとね、非道徳だと思うけど、楽しんでいる自分もいたの。妄想想像したものをつらつらと自由に書いただけで、スタッフの人たちは喜んでいたから。ただ、罪悪感も拭えなかった。でも楽しかった。でもでも、苦しいわ。」
「じゃ、私からのお願い。1ヶ月だけやってみて。毎日ちゃんと眠って。」
「じゃ、う、うん。」

それからしばらく、昼や夜は読書したり絵を描いたり散歩したり眠ったりして過ごした。

数回出勤するうちに、自分の作ったキャラクターでの一般ユーザーとのやり取りが始まった。匿名でだとみんな「正直」になるようだ。普段の会話では到底ありえないような会話がそこら中にあった。

1、2週間経ち、仕事には慣れたが、内面的には慣れるどころかどんどん折り合いがつかなくなってきた。
この日もたくさんのキャラクターへのたくさんの人からのメッセージへコツコツ返信していった。何日も返信し続けると、皆んな会うことをお願いしてくる。みんな寂しいようだ。

この日は、まず最初にユウというキャラクターをクリックした。

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ホスト名:ユウ(29)OL都内在住  内気な性格 趣味は読書 歴女
返信待ち  :  24件
ユーザーメッセージ1 :なおき@d(^_^o)      3分前
・・・
ユーザーメッセージ8:たかし                          1時間前
・・・
ユーザーメッセージ18:Atsushi_em               1時間前
・・・
ユーザーメッセージ21:まさお(^^)                         2時間前
・・・
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昨日は10件以上あった返信が、今日も沢山返信が来ている。前の時間の勤務の人が、こまめにしっかりみんなに返信していたようだ。
夏子は「なおき@d(^_^o)  」をクリックした。

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45、返信はここへ記入してください。
44、なおき@d(^_^o)  :  
ユウさんに会うにはどこへ行けば会えるのかな。どこへでも行くよ。
43、ユウ  :  
23時過ぎかな。
42、なおき@d(^_^o)  :  
うん。今日は何時ごろ仕事が終わったの?
41、ユウ  :  
今日は仕事が終わった?
以下を表示
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夏子は胃が痛くなってきた。前の時間の勤務の人が、これから色々ありそうなところで会話を止めて帰っていったようだ。
夏子はこう返信した。
今日はもうどこにも行きませんよ。

すると、橋本の声が飛んできた。
「あの、近藤さん、マジレスしないでくれる?」
夏子は今の心境を見抜かれていたことに椅子から驚いて立ち上がりそうになった。橋本は画面から、夏子のお仕事状況が見られるらしい。目を逸らさず、ひたすらにPCに入力していた。


それにしても、今日はずっと何かぼりぼりポリポリ音がする。どこからこの音がするのだろう。

次に「たかし」をクリックした。
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123、返信はここへ記入してください
122、たかし  :  
あんたサクラ?
121、ユウ  :  
ごめんね。でももうすぐ。すぐだから。
120、たかし  :  
職場の近くでいつまで待たせるんだよ。
119、ユウ  :  
もうすぐ出れるからちょっと待って。
以下を表示
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これに返信しなければならないのかな。
「そうだよ。サクラだよ。」
と書いてみたくなった。がやめておくことにした。何もしないで前の画面へ戻った。

近くから、ざらざらざらざら、、という音がした。誰かが何かをこぼしてしまったようだ。
「何やってんだよ。」
橋本が言った。橋本の視線の先には、夏子の斜め前の西田という痩せた小柄な男。大人にしてはあどけなさもあるが、顔の皮膚を見ると30代半ば、夏子には年上のようにも見えた。
「すみません。」
「何こぼしたの?」
「ワカメ。」
「本当に何やってんだよ。早く掃除しろ。」
「はい。」
西田は神妙になりながら掃除を始めた。さっさと片付けて席に着くと、またポリポリ音がし始めた。
夏子は西田の胃の中を想像し始めて、仕事が手に付かなくなってきた。
「あ、あのー。」
「何?」
「何って。言いにくいのですが。あのさ、乾燥ワカメは、ポリポリとそのまま食べるものじゃないと思いますよ。ピーナッツみたいに食べちゃダメなものだと思いますよ。」
「ああ、そう。」
「・・・。」
依然としてポリポリという音がし続けた。

次に「Atsushi_em」をクリックした。
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37、返信はここへ記入してください
36、Atsushi_em    :  
朝までいれる?
34、ユウ  :  
あと4日ね。待ち遠しいわ。
33、Atsushi_em    :  
来週火曜日の夜とかどう?
32、ユウ  :  
アメリカから今月帰国するのですか?もしかして、会えたりします?
以下を表示
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夏子は、何気ない普通の言葉で、どう相手から興味を失ってもらうかを考えた。本当は何も返信しない事が一番良いのかもしれないとも思ったが、そう出来なかった。


数日前のことだ。この「Atsushi_em  」と同じような場面で返信しないでおいたところ、夏子の向いの席の神林という男を橋本が叱り始めた。
「もう数日あるじゃん?これたくさん会話数稼げる人じゃん?なぜこまめに返信しない?お前何やってんの?」
橋本が神林へ変な視線を送った。神林は夏子をチラリと見た。神林は急に神妙になって、
「すみません。会う日が決まってそれまでまだ日数があっても、直前まで返信しないとか、ありえないですよね。普通の生身の人間じゃないんだから。すみませんでした。」
しばらくの間、橋本は神林の不手際を詰め寄っていた。
でも妙に神林の言葉が引っかかった。不手際の内容が分かるように発言してるとしか言いようがない言葉選びだった。
「本当に何やってるんだよ。」
「本当にすみませんでした。」
やっとお叱りタイムは終わり、この「すみませんでした」を神林が言った頃には、もうすでに平常の様子へ戻っており、自身のデスクのPCを眺めているようだった。
「何だよ。この茶番劇は。」
夏子はそう呟いてから、苦笑いになった。橋本は本当は神林ではなく、夏子に言いたかったのだと薄々気がついた。橋本なぜ私へ細かい指示を直接言わなかったのだろうか。そして指示したいことがある場面の度に、こんな面倒な茶番をもうされたくないと思った。夏子はここでの正解考えた。おそらく、時間をかけてゆっくりと小鹿のようにおどおどし始めるのが良いのじゃないかとその時は思った。


仕方なく「Atsushi_em  」への返信をした。

30分ほど経ち、急にポリポリという音が無くなった。かと思うや否や、西田は急に立ち上がり、どこかへ走って行った。きっとトイレで今頃、たくさんの水分を含んで胃の中で膨れ上がったわかめを吐き出しているのだろう。
「今まであの人は何を食べてきてるんだろうか。」

次に「まさお(^^) 」をクリックした。
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21、返信はここへ記入してください
20、まさお(^^)  :  
ここには書けないけど。でも、ユウさんもすこしわかってくれそうで嬉しい。ユウさんは日頃どんな活動してるのですか?俺は子供の時から日曜日の礼拝は必ず行きます。布教活動は、地域のリーダーになってからは、週4か5くらいで時間をみて、訪問なり街頭なり何かしらの活動をしています。
19、ユウ  :  
え、そんなことないよ(^_−)−☆私も親が入ってる宗教にいつの間にか入ってたよ。同じ教会かな♪ちなみにどこですか?
18、まさお(^^)  :  
まあ。子供の頃から知ってる人も多いからそう言う気持ちになりにくいってこともあるし、俺の周りの女の人は、一般の人が恋愛対象のようだね。俺くらい活動してきてる人は、一般的な女の人から異質なのか、誰とも分厚い壁を感じるよ。ユウさんだってそうでしょう?
17、ユウ  :  
そうなんだ。教会の中では中々恋愛は難しいのですね。
以下を表示
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まさお(^^) の真面目さに比べてのユウの軽さか絶望的な会話だ。サクラだと気づいてくれないかなと思いながら返信を考えた。ここでではなく、別な場所で誰かと早く知り合ってほしいと思った。お叱りは覚悟してこう返信した。

私もうこのサイト来るのやめようと思います。本当はここで布教活動しようとしていましたが、それもうまくはいきませんでした。ここは変な人が多いですよ。他を考えた方がいいと思いますよ。

夏子は、19、のユウと、21、のユウの返信が到底同じ人物からだとは思えないようにした。
そして、どうか橋本に読まれませんように、と思いながら、オドオドした子鹿のようにしばらくの間なってみることにした。

「はははははは、こいつアホだな。はははは。」
急に神林がが大声で笑い出した。数人が駆け寄ってその人のスクリーンを覗き込んだ。
「ははは。すごいなこの人。自分モテてると勘違いしてくるとここまでになるかね。」

夏子はこの笑われている人へ、夏子が見ている光景を見せてあげたくなった。

すると間もなく透明な壁のにあるドアが開き、西田がとても調子が悪そうに歩いてくるのが見えた。西田は席に着くと抜け殻のようにPCを覗き込んでいた。隣にいる神林やその周りの数人は、西田の様子を全く気にしていないようだった。
恐ろしく乾き切ったような無感情な西田と目が合い、夏子はパーティションの下へ首をすくめた。妙な胸騒ぎがした。

その後西田は早退して帰っていった。





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