空 第23話

〈 命 〉

数日前にうさぎの赤ちゃんが5羽生まれた。

学校の校門を入り、ウサギ小屋を覗き込むと、小さな肌色の生きものがお母さんうさぎの近くに見えた。

出産をしたウサギは2羽だったが、その内の1羽は全く子育てをしなかった。すぐにその赤ちゃんウサギは死んでしまった。

そして今日も、すごく弱っている赤ちゃんがいた。朝登校した時には、毛布の外に追い出されてそのままになっていた。この赤ちゃんのお母さんは子育てするウサギだったけど、この赤ちゃんウサギを子育てしなくなったようだった。この子だけ他の兄弟より小さかった。とても寒そうだった。

先生に聞いてみると、この子だけ小屋から取り出してよいと許可が出た。私は毛布の切れっ端に子ウサギを包んだ。まだあまり毛の生えていない赤ちゃんのうさぎだったが、柔らかくて暖かかった。

この日は、授業中もジャケットを脱がなかった。その丸まった毛布をお腹のあたりに入れていたから、席を立つこともなかった。出来る限り動かないようにした。

給食の時間になるとそうもいかなかった。給食当番をしながら、私の机の上に置いてある丸まった毛布の上に、誰かが物を置いたり手をついたりボールを当ててきたりしないか心配だった。

もう給食もほぼ配り終えた頃、教室の一番後ろにある私の机に何人か集まっているのに気づいた。どうやら見つかってしまったようだった。

「何だよこれ。」 

隣の席の子が言った。席から遠い給食の配膳台の近くにいた私は、大声で答えた。

「ウサギの赤ちゃんだよ。お母さんがお世話しなくなったから、寒そうだったから暖めてたの。毛布に包んでおいて。」

「え、でもミルクどうするの?」

近くの席の女の子が言った。

「分からない。先生に聞いてみる。」

私がそう答えると、皆んなが話し出した。

「僕の牛乳あげるよ。」

「私のもあげるよ。」

「え、そもそも牛乳飲むの?」

「何も飲まなかったら死んでしまうよ。」

「そうだね。」

「ミルクは冷たいの飲ませちゃダメだよ。うちの弟のミルクを毎日作ってるけど、温くして飲ませるもん。」

「じゃあ温めよう。俺牛乳嫌いだからいつも誰かにあげちゃうけど、今日はずっとこれをポケットジャンバーのポケットに入れておけば温くなって飲めるかな。」

「いいね。」

「そうしよう。」

みんなはあれこれ言いながらウサギのお世話を始めた。私は給食当番を続けながら、みんなの言葉を聞いていた。

午後の授業中は、牛乳を温めてくれた男子が、ジャンバーを着てお腹に入れて温めてくれた。いつも教室の中でボールを投げて当ててくるとの男子を好きじゃ無かったけど、ウサギにはとても優しいことがわかった。

そして、みんなも割と優しい事が分かった。学校が好きじゃないから気づかなかった。


帰りの会の時、午後から温めてくれていた男子が急に大声を出した。

「あ、冷たくなってる。」

その赤ちゃんうさぎは粘土の小さな塊のように冷たくなっていた。

放課後、皆んなでウサギ小屋の近くのサザンカの木の根元にその赤ちゃんウサギを埋めた。

命は呆気ない。まだ生まれたばかりだったのに。

雨が降りそうなどんよりとした曇り空を見ながら、そんな事を思って帰り道を步いた。なぜか空ばかり見てしまった。上ばかり見ていたから、電柱にぶつかったり、石に躓いて何度か転んでしまった。それでもなぜか空が気になった。

信号待ちをしていた時、お母さんの車が少し先に停まっていることに気づいた。駆け寄ってみると、急に開き始めた窓からお母さんの声が飛んできた。

「待ってたよ。早く乗りなさい。ひいおばあちゃんが亡くなったの。」



お母さんは平生を装っていたが、とても動揺しているようだった。先程から何度か赤信号でも進みそうになったり、青信号でも進まないから後ろの車にクラクションを鳴らされたりした。

「どうして?ひいおばあちゃん、元気だったでしょう?」

私は、無表情で運転するお母さんに言った。

「少し話さないで。静かに。運転してるから。」

お母さんは前を向いたまま言った。

フロントガラスにポツポツと雨が見え始めた。

程なくして赤信号で止まった。

しばらくすると、斜め前の方にいる犬の散歩中のお姉さんが訝しげにこちらを見ていた。信号は青に変わっていた。

「お母さん、信号が青になっているよ。」

「あっ。」

お母さんは車を急発進させた。

「お母さん、大丈夫?」

ひたすら前だけを見て運転するお母さんの顔を覗き込みながら言った。

「うん。」

力のない声で答えた。

「お昼ご飯もいつも通り食べていたけど、その2時間後位に気づいた時には、お部屋で倒れていたそうだよ。最初はお昼寝をしているのかと思ったけど、妙なところで寝ているから起こそうとしたら、もう冷たくなっていたらしいの。」

お母さんの膝にも雨が降ってきたみたいになっているのに気付いた。右横にいるお母さんを見上げると、前向いたままのお母さんの目から涙が溢れていた。

「急にどうして?」

「心臓かな。もうね、もうすぐ99歳だったから。仕方がないのよ。ここまで十分健康で良く生きましたよ。大往生よ。」

「こんなに急に。。。」

何も言葉が見つからなかった。まだひいおばあちゃんが死んでしまった事など実感できなかったが、「冷たくなっていた」と言う言葉だけは何となくわかるような気がした。今日の、少し湿った、冷たくなったウサギの赤ちゃんの感触が蘇ってきた。

「急にくるのよ、お別れは。だから沢山お話ししておいて良かったでしょう。」

お母さんは半分自分に言い聞かせているかのように言った。

私は、ひいおばあちゃんと今までに話した事を思い返した。私と同じ歳の頃には、もう住み込みで働きに出ていたと話していた事を思い出した。そして、秀夫のことも思い出した。

「もうすぐ着くけど、おばちゃん(の魂)はまだ近くにいるから、ちゃんと感謝を伝えて送り出してあげよう。しっかりお別れしよう。」

お母さんはもう泣いてはいなかった。

ひいおばあちゃんはきっと、秀夫の事を今日も忘れていなかっただろう。私の中でも、秀夫はまだ生きていて、犬に喰われていなかった。

私はまた、秀夫の旅の続きを想像し始めた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?