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休日の散歩

いつも歩いている道も、別の方向から歩くとまた違った道に見える。使い古された野暮な比喩だ。自分にとって不都合な出来事も、違った側面から見れば好都合な事象ととらえることができるのだと。物事は多分に多面的な側面を有しており、一面的に解釈するべきではないのだと。一昨日のやけ酒で脳の奥から湧き上がってくる頭痛も、動画配信サイトでだらだらと時間を浪費し終了していったせっかくの休日も、良き思い出として自分の中で消化できる日は果たしてくるのだろうか?あぁ、また暗い内面世界に入っていってしまっている。僕は夏の気配をわずかに含んで街に吹き渡る風や、油断していると日焼けを起こしそうなくらいの強い日差しに意識を向ける。風は僕の体を覆う皮膚を優しくなで、日差しはひりひりとした刺激を与える。確かに感じるこの感覚に目を向け、僕は僕の内面世界が抱える闇から逃れようとしている。

別れというものは突然訪れる。その突発性の高さに、人はしばしば狼狽する。僕自身、まだ現実を受け入れることができず、途方に暮れている。目的を失ってさまよう様は、風で舞い上がる朽ち果てた落ち葉のようだ。ただただ周りの環境に影響を受け、その流れに身を任せる。なるようにしかならないんだよと人は言う。確かにその通りではあるのだが、理解に対して自分の感情がついていかない。そんな経験は、誰しもが抱えているものだろう?

あの時の行動を僕は後悔している。しかし、後悔しても今の現状に変化はない。明確に結論は出ているのに、とりとめのない思考が先ほどから何度も僕の頭の中で回り続ける。時が流れ、記憶が風化していくのを待つしかないのか?いつの間にか移動してきた雲が太陽の光を遮断し、日差しが弱まる。こんな些細な変化に、待ちゆく人々は気づくそぶりを見せない。彼らにとってその変化は、重要度は低く、取り上げるほどのものではないのだから。蜘蛛の巣にかかった蛾のように、何の生産性もない思考のループから抜け出そうと僕は躍起になる。

僕はいつも通りの日常が流れる街を、ただただ歩き続けることしかできなかった。風がまた優しく町の中を吹き抜けた。春は終わったと僕は思った。

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