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水をすいあげる

つい昨日まで、あたりまえだと思っていた日常の景色がまたひとつ変わっていく。
それでもわたしたちは、起きて、ごはんをたべ、眠り、また起きる。

変えられることと変えられないことの狭間で、それぞれに守りたいもののことを考える日々を過ごすわたしたちに、そっと寄りかかることを許してくれる絵本があります。

彫刻家の佐藤忠良さんが描きためたデッサンを絵本にしたという、「木」。


木のこぶから
がまんのうたが きこえてくる
だまっているが うたっている
木のこぶこぶ
むかしと いまが
いっしょにいきをしている
木の こぶこぶと

そっとさわってみよう
木のこぶこぶに
こぶこぶは
どんな がまんしてきたのかな
むかしといまが
いっしょに いきをしている
木のこぶこぶ


木のこぶが、がまんでできた証だなんて、知らなかった。
鉛筆の黒い線で描かれている木を見ているうちに、描き手の佐藤忠良さんの人生そのものが憑依しているような威風と、包みこんでくれるようなあたたかさが伝わってくる。
幹に刻まれた線はまるでしわのよう、空に向かって伸びる枝葉はやさしく差し出されたてのひらのよう。

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木が おおきくなったのは
ねっこが みずをしずかに
ぐんぐん すいこんだからだ


水やりを怠っていた部屋の植物に水をかけたときの、あのしわしわというしずかな音。
雨が降ったときの、あの濡れた土と木の肌のにおい。
あれはたしかに、命のよろこびの音であり、においだったのだ。


木は水を吸うことで大きくなる。
にんげんだって、おなじだ。

命あるものが育っていくしくみとその当然性を、この絵本からは受けとることができる。
ゆえにわたしたちは、描かれた木に安心して身をゆだねることができるのだ。


今までと同じ暮らしにはもう戻れないと知っているわたしたちが、戻らない、という決意をもって生きていく。
そのことの大きさに思わず立ち尽くしてしまう日もあるけれど、誰かに、何かに、そっと身をゆだねる日があってもいい。わたしはそう思っています。

そして、世界中の人々にもいま、木のこぶがひとつ増えたのかもしれない、とも。


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眠りにつくあなたに、一瞬でも根が水をすいあげる命のにおいが、鼻をかすめてくれたら。
しわしわと音をたてて流れる、血潮の音が耳に届いてくれたら。

明日を生きるあなたに、どうか希望がもたらされますように。

おやすみなさい。



佐藤 忠良 画  木島 始 文
2001年2月1日 「こどものとも」発行/福音館書店

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