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絵本日記DAY26「ぐりとぐらのかいすいよく」/はじめまして英語版のぐりとぐら

こんにちは。みなさまお元気でお過ごしでしょうか。きのう、おとついと私の住む街は30度近くまで気温が上がったところもあり、全国ニュースに知っている景色が登場したりなんてしていました。あまりに暑かったので、おひるはつめたい納豆蕎麦をいただきました。わんこそばで有名な老舗のお蕎麦やさん、新入社員と思しきスーツ姿の若い女性と男性が、お蕎麦を待つあいだ上司らしき男性と差し障りのない会話をしていて、なんだか私のほうもどぎまぎしてしまった。あたらしいスーツと黒髪の彼らは、眩しかったです。蕎麦をすすりながら、かってに心のなかでエールをとなえる。
そこからすこし歩いたところに、おおきな城跡公園があるのですが、みなさん半袖姿で満開の梅を眺めたり双眼鏡でバードウォッチングをしたり。春がうつくしいのはもちろんのことですが、この街に暮らす人人がただ純粋に春を愛でている姿は、愛おしむべき平和だろうとおもいます。
ところが今日は雨模様、上着がないと肌ざむいくらい。色濃くむっくりとふくらんだ桜の蕾も、あらどうしたのかしらとびっくりしているでしょうねぇ。

さて。今回の絵本日記は、「グリとぐらのかいすいよく」です。私はこの4ヶ月ほど、みじかいあいだでしたがご縁をいただいて子どもに英会話を教えていました。しかしながら教えていた、ということばはどうもしっかり来ず、マニュアルの内容を教えていたことは事実ではありますが、子どもたちといかに信頼関係を築くかの攻防戦はどの現場でも変わらないことを思い知ったのでありました。とくに、毎日来ている幼稚園や保育園とはちがって習い事は多くても週に一回、日本語もままならないのに先生の言っていることはしらないことばでなんのこっちゃ、やめたやめた!と先生に注目することを放棄する子どももちらほら、というかわんさか。その気持ちも、わかります。だからこそ時にはマニュアルを無視して(どうか関係者各位の皆様この記事をみても海などへお流しくださいますよう。一個人のしがない持論です)、子どもたちに向き合う瞬間はぜったいに必要なのです。そこには英語も日本語もないんです。そういった意味で、保育現場とはまたちがった子どもたちとの闘いの場を体験させてもらいました。子どもというのはすごいもので、最後のレッスンの日、ひとりの女の子がせんせいに手紙をかく、と言い出しました。アルファベットのワークをもうさっさとこんなのおわらせてやる!あたしは手紙を書くんだから!という彼女の時間配分への圧に押され、もうすこしそこの色ていねいに塗ったら?おかあさんが見たらなんて思うかしら、などど葛藤をのみこんで、白い紙を渡したのでした。
「せんせいいつもありがとう」
覚えたての記号のようなひらがなをいちもじいちもじ、ていねいにクレヨンで書いてくれた手紙。とても嬉しかった。
慣れない英会話講師の仕事は夜が遅いこともあり身体も心もついていかず、保育現場との違いに戸惑いしかありませんでした。だけどそんな私に、彼女は「おつかれさま」のご褒美をくれたのだと、そうおもっています。できないながらに、やれることはやった。彼女の卒業証書のおかげで、こうしてまた次の道にすすむことができる。
講師交代のことは何も聞いていないはずの子どもたちが、こんなふうにして手紙をくれたりやたらとだいすき、とぺたぺたくっついてきたりしたことは、テレパシーってやっぱりあるのかもしれない、と思わずにはいられませんでした。子どもって、ほんとうに不思議。私からこぼれてしまっていたらしい寂しさを拾って、愛でかえすことができる。さまざまな現場で数えきれない子どもたちに出逢ってきて、私はかれらになにを還すことができるのか。この春からまたリセットになった毎日のなかで、私は絵本をそばにおき、考えあぐねているのでした。

そういうわけで、英語版の絵本でもよんでみようか、とふと手にとった本がこの絵本だったわけです。「よんでみようか」、と申しますのは、どうも日本の名作絵本がどう英訳されているのか、ちょっとばかし見るのがこわかった、というところが正直な心持ちでした。だって、うつくしい日本語で形成されているぐりとぐらの世界が急にポップでファンキーなものになっていたらどうしようって、思ったりしていたわけです。

でも、この作品に関していうならば、あぁ大丈夫でした、これならばいつか日本の子どもたちにも原作と英語版とふたつとも読み聞いてみてほしいな、とわくわくしています。

言語比較の雰囲気など醸し出しているようで誠に僭越ではありますが、他愛のないあそびとして以下おたのしみいただければ幸いです。

◎にほんごと英語版/ディティルのこまやかさ
順序としては、先入観をもたないように英語版を読もうと考えたため、先に英語です。英語の音を感じて、アメリカなのかヨーロッパなのか、ネイティブGuri・Guraにあいたいと思ったからです。海辺の木はどうみてもジャパニーズ松の木だけれど、そこはご愛嬌。

まずは砂遊びをするぐりぐらの前に突如として現れる、コルク栓の瓶です。

The sparkling thing turns out to be an old wine bottle.
”Oh boy,wine on the beach!"

原作では、
ながれついたのは、とうもろしのかわをおなかへまいたびんでした

となっていますので、英語のほうが瓶の劇的な登場だ、というニュアンスが感じられます。ただですね、やっぱり次のぐりの日本語のセリフがとてもいい。

「これはすてき、ぶどうしゅだ」

かれらが着目しているのは、瓶のディティルなんですね。とうもろこしのかわをおなか(これもなんて伝わりやすくいいことば)へまいたびん。ぶどうしゅ。葡萄酒って、憧れますよね。子どもの頃読んだ大草原の小さな家とか赤毛のアンにでてくるぶどう酒。作家の江國香織さんが「大人になってのんだどのワインも、ぶどう酒とはちがう」と書いている作品をよんだことがわかるのですが、ほんとうにその通りだとおもいます。ただ密かに、ウェルチの濃さはいい感じ、とひとりごちています。

一方英語版の方では、おいおい相棒瓶が流れてきたぞ、これからはじまる冒険の匂いがぷんぷんするぞ!!というファンファーレ的なものを感じます。

◎物語の肝/はじめてのうみ

瓶のなかみは、手助けをしてほしいといううみぼうずからの手紙でした。そこでやさしく勇敢なカナヅチ・ぐりとぐらは、うきわをぷぅっとふくらませ、いざ大海原へとでてゆくのです。

"This is a first for Guri and Gura. Tossed by the waves on a great adventure.
Now don't you worry,Guri and Gura. Take it slow and sure.
And ride,ride,ride the waves.

あぁ、いいなぁ、とおもいました。英語でも、ちゃんとこうぷかぷかきもちよさそうに漂っているかれらの表情と、相違なくリンクしている。ゆっくりとした、おおらかな文章。ride,ride,ride と3回つづくところをどのように読んで聞かせるかが、肝ですねぇきっと。

さてこのメインの場面、原作ではどうなっていたかしらとみてみますと、

うみは はじめて ぐりと ぐら
なみに ゆられて 
だいぼうけん
あわてちゃ だめだめ ぐりと ぐら
のんびり いこう
どこまでも

おお、さすがだなぁ、とうならされます。物語の肝はここですよ、と。ここだけ歌の節になっていますし、たっぷり見開きのページにおおきく描かれたざぶざぶざぶとした波と、はじめて海をあじわう、ちいさなのねずみ。この対比も見事です。みていて、とてもきもちがよい。ああ海はやっぱりいいよなぁ、ぐりとぐらみたいに波にゆられてみたいなぁ。ここで子どもの心がうごく瞬間を、ぜひとらえたいですね。
それから作者のなかがわえりこさんが我が子のようにぐりとぐらを見守っている、そのまなざしがかんじられるところも好き。あたたかくて、やさしいお母さんのような声。
他の絵本日記でも述べていることですが、やっぱり大好きなひとの膝のうえで聴く冒険ほど、たのしく豊かなものはないのだとおもいます。

◎結論/原作と英語を読みくらべてみて

いつかは絵本の翻訳というのもやってみたいし、もっとこういった読み比べをしてそれぞれの良いポイントや、文化のちがいからくるおもしろさなんかも追求してみたいです。今回は深掘りしませんでしたが、ぐりぐらに泳ぎを教えてくれたうみぼうず、日本では妖怪とされていますがこの絵本ではめちゃくちゃ良い人でしかない、英語では”sea giant"などなど。個人的には英語の直接的なほうがしっくりきますね、だってかれらからしたら相当な海の巨人でしょうからねぇ。

この作品を訳したのは誰かしらと奥付をみてみますと、おふたりの外国人のかたによって英訳されているようです。どちらも日本の学校の先生。しかも、
二人は環境団体「山猫博士の会」メンバー。宮沢賢治やヴァンダナ・シヴァ等の作品を通じて、環境問題に取り組んでいる。ですって。

ふうむなるほど、さすがこの作品の日本語のゆたかさを捉えた英訳であるのは、ピーター先生とリチャード先生のお力というわけですね。山猫博士の会、気になります。

今回は、生意気にもこういう読み比べのあそびをしてみましたけれども、こういうあそびでやはり一番の要となるのは、原作をいかに読みこむかということなのですね。そしてにほんご、えいごそれぞれにもっと向きあわなくては、ということも。

そして最後に、結論。結局そこか、とじぶんにも言わざるを得ませんが・・・
やはりぐりぐらシリーズは、良い。起承転結がすっきりとわかりやすく、冒険のはじまりからおしまいの余韻までが完璧。かれらがながく愛されるわけです。

いっぽうこちらはあちこちとまとまりがなく、走り書きのメモのような日記になってしまいましたが、どうかこれまたひろい海に免じておゆるしいただければ。お読みくださったかた、ありがとうございます。それでは、また。

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