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自分で自分を褒められるか

他者承認欲求を求める人が増えていると聞く。

SNSのいいねを求め、映えを意識した写真に集中し、文字通り自分の人生から“切り取った”その一瞬を追い求めている人がどれほど増えてしまったのだろうか。

切り取られた写真は、自分の人生であって自分の人生でない。
他人に見せるためだけの作り上げたものになっているのではないだろうか。

結局、他人と比較して生まれるのは欠乏感、他者の切り取られた人生の一コマを羨ましがる心と、自分の一コマへの承認の数(多くの場合、過去の最大値と比較することになるのでこれも欠乏感が生じる)だけではないのか。

そんなことより、自分で自分を褒めていればいいのではないか。
自分はよく頑張っている、こんなに頑張れている自分はすごい、と心から言えるほど頑張れていればそれでいいのではないか。

ただ、自分の限界は自分が一番よく知っているから、それを心から言うためにはそれなりの努力が必要であることは間違いないだろう。
自分の限界を偽って、自分に嘘をついてまで褒めることはなかなか難しい。というか、そんなことをしても何も得られない。

なので、頑張るしかない。自分を褒められるほど頑張れている人はどれぐらいいるのだろう。まぁこんなもんでいいやと適当になっていないか。
手元の全ての仕事に全力を尽くすのはしんどいかもしれない。

もちろん、俺も手を抜く時は多い。
でも、トータルで見れば、俺は自分で自分を褒められる。
全ての物事を自分事と捉えている自負がある。
だから、一生懸命になる。

できない人は、先ずは自分事の範囲を広げることができれば、そこから少しずつ変われると思う。


今日は都合により、本の引用ではなくストックしていたものを。

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