見出し画像

本震

前回からの続きです。

一日かけて家のものを片付けて。
クタクタで眠ったその夜。
また大きな地響きとともに地震が。
大きく揺れる中、妹はお腹を守り私は2歳の甥の上に覆いかぶさる。

本震だった

ある程度揺れがおさまって外に出たら、お隣の家が半分崩れていて同時に津波警報の放送が。
完全にインフラが止まり、何の情報もない。
その後も何度も何度も大きな地震に見舞われた。
恐怖のあまり甥は泣かなかった。



時々通じる電波で仕事が休みだと連絡があった。

国道は全く動かないほどの渋滞で、緊急車両が隙間を縫って進んでいく。
食べ物がないのだけれど、偶然前日に私が職場で頂いたお菓子があったのでご近所にも分けた。
みんなで持ち寄りとにかく食べた。

避難所は人がいっぱいで入れなかった。
車中泊をすることに決めた。

2日くらい経った時、自衛隊の方々が救援に来た。お水を配ったり食事を配ったりととてもありがたく
涙が出た。

そのうちあちこちで支援物資を配ってくださる方々がいて。数時間だけ水が出るようになって。
昼は片付け。夜は車中泊を1週間続けた。

私は一つだけ困ったことがあった。

いつまでゴトゴト(地震)はあるの?

という甥の問いだ。

地球さんがクシャミしているんだよ。
早く治るといいね!

これしか思い浮かばなかった。

けれど甥は信じて地震が来るたびに
「まだ良くならないのかな」と地球を心配していた。

やがて少しずつ日常が戻ってきた。


地震から2ヶ月後に妹は無事出産しました。

私は1週間後から仕事を再開し、
我が家は一部損壊となりました。

ボランティアの方々にかなり助けていただきました。

けれど職場のトップは震災鬱になり退職。

甥もかなり強いトラウマが残りました。

日本は地震が多い国です。
今年の初めにも大きな地震がありました。

明日は我が身かもしれません。

自分の記録として残しておきたく記しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?